第9話 8th lesson 家賃のわりに広い部屋に住んでいたことを、こんな形で良かったと思うとは思わなかった。
「さて、言いたいことはいくつかあるが、まずはどうしてお前がここにいるのかについて説明して貰おうか?」
俺の部屋に戻って来て、春日の作った絶品のカレーを食べた後、いつも通り俺は彼女に勉強を教えた。
きりの良いところまで勉強を見た後、俺は春日を彼女の家の前まで送り届けた。
その後テーブルを少し片付けて、風呂に入った。
ゆっくり湯船に浸かって、一日の疲れを湯船で癒して風呂場から戻ってみれば何故か春日が居た。
「あはは、そんな怖い顔しないでよセンセ。どうしてって、戻って来たからに決まってるじゃん!」
「決まってるじゃんってお前な。何で戻って来たかを聞いてるんだよ、俺は」
やれやれと頭を抱える俺を見ながら、春日はケタケタと笑っている。
ダイニングテーブルでプリンを食べながら、すっかりくつろいで。
あのプリン、俺は買ってきた覚えがないので、恐らく彼女が持ち込んだものだろう。
「ん? あ、もしかしてセンセもプリン食べたかった? もう半分以上食べちゃったけど、残り食べる?」
「いや、いらん。何でお前がくつろいでるのかと思って頭を抱えてただけだ」
「あはは、大変だねセンセは……」
「あ、ああ、そうだな……」
そのまま何も気にせずプリンを頬張りながら、春日はテレビでお笑い番組を見て声を上げて笑う。
様子からして、完全にもう家に帰る気はなさそうだった。
「じゃあ、質問を変えるぞ。俺の書斎に敷かれてる、寝室にあった俺の布団は何だ?」
「ん? ああ、あれ? これからはセンセに書斎で寝て貰おうと思って」
俺の質問に、当たり前のことのようにそう答える。
そんなことだろうとは思っていたが、改めてそう言われると頭が痛くなる。
しかし俺は、それでもまだ何も分からない風を装って質問を続けた。
「それじゃあ、寝室に敷かれてる来客用の布団や、お前の私物は一体なんだ? もうぱっと見、あの部屋がまるでお前の私室になってるんだが?」
「いや、だから、これからしばらくは、アタシこの家に住もうと思って。夜の時間気にして中途半端に勉強することになるくらいならさ、いっそアタシがここに住んじゃえば色々面倒なことが解消されるかなって……」
「ここに住むってお前な……そんなのお前のご両親が許すわけ――」
「お母さんの許可は貰ってる」
言葉を遮って、春日は俺の鼻先にスマホを突き付ける。
画面にはメッセージアプリが表示されていて、そこには彼女と彼女のお母さんのやり取り。
その中で確かに、この件について許可が降りていた。
「そうは言ってもな……」
「ついさっき、お父さんと喧嘩したの。喧嘩って言うか、お父さんが一方的に私に怒鳴ってただけだけど。進路のこと、学校のこと、アタシの生活のこと……センセに勉強を教わってることについても」
なんとなく、そんな気はしていた。
彼女が『お母さんの許可は貰ってる』と、母親の許可だけを強調したあたりから……
しかし、だからと言ってこんな状況を『はい、そうですか』と受け入れられるわけもない。
「だからって、お前がここに住む理由には――」
「お父さんは、全部無駄だって言ったの。進路も、学校も、私の高校生活も……どうせ結婚して家庭に入るお前には、そんなもの全部無駄なんだって。センセに教わって、頑張ってるこの時間も全部……」
「……お父さんが、そんなことを?」
「本当に腹が立ったけど、アタシ言い返せなかった。少なくともアタシは、これまでの高校生活を全部無駄にしてきたから。でも、センセに色々教わって、少しづつ勉強の遅れを取り戻して、また、塾に通ってた頃みたいに、勉強が楽しいって感じるようになって来てたの。これから頑張って、大学に行って、自分の夢を見つけたいって思えて来てた……だから、アタシの全部を『無駄だ』って否定するお父さんが許せなかった」
俺を見つめるその顔は、中学の頃に彼女が志望校を目指していたときと同じ顔をしていた。
真剣に、自分の未来を考えているときの、真っ直ぐな目で俺を見つめていた。
「お願いセンセ、アタシお父さんを見返したいの。その為に、出来ることを全部やりたい。だから、夕食だけじゃなくて、先生の家の家事全般は私が全部やる。その代わりに、もっと沢山アタシに勉強を教えて欲しいの」
そう言って、春日は俺の目の前に正座して、そのまま土下座をする。
「アタシ、お父さんがぐうの音も出ないような大学に行きたいの。誰もが認める有名大学に合格して、その合格通知をお父さんに叩き付けてやりたい。だからお願いセンセ。アタシをここに住まわせて下さい!!」
あの公園で話を聞いたときは、彼女の父親は彼女の対して接し方が分からないだけだと思っていた。
しかし、今の話を聞く限り、どうやらそうではないらしい。
てっきりいい加減な気持ちで俺の部屋に転がり込もうとしているのかと思っていたが、まさかこんなガチな感じで頼み込まれるとは……
どんな返答をするべきなのか、分からなくなる。
彼女の顔は真剣そのもので、いい加減なことを言ってるようには見えない。
「はぁ~…… 春日、ちょっとお前のスマホ貸せ」
「……なんで?」
「いいから」
俺の土下座をスルーした要求に、春日は不安そうな顔をした。
だが、俺はそんな春日を無視して、差し出されたスマホを受け取る。
表示されたままになっていたメッセージアプリを操作すると、通話を要求するコール音が鳴り出した。
その音が途切れ、代わりに彼女の母親の声が聞こえて来る。
『もしかして、先生ですか?』
「あはは、流石は御察しがいいですね。ってことは、俺の話そうとしてることも概ね想像がついてる感じですか?」
「え? え? 何でお母さんと?」
俺と自分の母親が通話をしている状況に混乱する春日。
そんな春日を徹底的に無視して、そのまま会話を進めていく。
『ふふふ、それは流石に分からないわよ。あの子がうちの旦那に家出を宣言して、色々担いで出て行ったから、そろそろ先生から連絡があるかとは思ってたけど……』
春日の母親はそう言うが、恐らく俺の話す内容に察しがついているのだろう。
それでもこうやってしらばっくれるのは、俺からキチンと話を聞きたいということか。
「ふぅ~…… 分かりました。実はお母様に折り合ってお話があります」
そんな前置きをしてから、俺は一種の覚悟を決めて言葉を続けた。
「俺は、彼女の決意を尊重して、その覚悟を応援しようと思います」
「センセッ――!?」
その言葉に真っ先に反応したのは春日だった。
だが、それを無視して、俺は彼女の母親に話を続けた。
「彼女はうちに住み込みで家政婦として働く見返りとして、彼女の志望校合格の為の学力的な補助を俺に要求しています。俺は、その要求を受け入れるつもりです。お母様もそれでよろしいでしょうか?」
『ええ、その子も言っていたと思いますが、私は最初からをその子の行動を全部許していますから。前にメッセージでもお伝えした通り、末永くその子のことをお願いします』
その返答は予想通りのものだった。
そして、なんとなくその続きも……
『私としてはもういっそ、その子を先生が貰ってくれたらいいと思ってますので』
だから、そんな言葉に俺は動揺することなく、冷静に言葉を返すことが出来た。
「いえ、それはお断りさせて頂きます。俺は彼女の未来を応援するつもりですからね。彼女の未来の可能性を狭めるような軽率なことはしません。だから、お約束します。俺はうちに住み込みで働く彼女の対して、一切手を出しません」
俺の言葉を聞いて、彼女の母親は吹き出した。
『あははははっ! 瞳、あっさりフラれちゃったわけね。まぁ、こうして応援してくれるってことは、まだ完全に勝ち目がなくなったわけではないんだろうけど……先生、私は別にあなたがうちの娘に手を出しても、とやかく言うつもりはないってことは伝えておくわね。うちの旦那が娘に言った言葉については、私も腹を立ててるの。その辺については、私の方でもキチンとお説教しておくから、先生はその子が打ち立てた目標を叶えられる様に、どうか力を貸してあげて下さい』
「重ねて言いますが、絶対に手を出しませんからね!」
そんな俺に、『分かった分かった』と笑う彼女の母親。
その神経の図太さは、この親にしてこの子ありと思わされる。
「それなら私は、手を出してもらえるように頑張るから!!」
「あのなぁ……」
俺の言葉に反応して、バカなことを言う春日。
それを聞いて、電話の向こうで笑い出す彼女の母親。
正直もう滅茶苦茶だ。
『あはは、せいぜい頑張りなさいって、瞳に伝えておいてくださいね。それじゃあ、時間も遅いしもう切らせて貰うわよ?』
「え、ええ…… 夜分に失礼いたしました」
『おやすみなさい、先生。これからしばらく、うちの子のことよろしくお願いしますね』
最後まで楽しそうな声でそう言って、春日の母親は通話を切った。
「誘惑とか、バカなこと言ってるとこの部屋から叩き出すからな」
「大丈夫。だって私この部屋の合鍵を持ってるから!」
「そういうことじゃないんだってば……」
元気一杯に馬鹿なことを言う春日に、それが冗談だということは分かりながら俺は肩を落とす。
すると、春日は再び真面目な顔をして、俺に向かって三つ指をついて頭を下げた。
「そんな訳で、不束者ですがどうぞよろしくお願いいたします」
「……そういう嫁入りみたいな挨拶はいい。だた、ここにお前が済むにあたって、いくつかルールを決めるからそこに座れ」
「……はぁ~、本当に冗談が通じないとこ、昔から全然変わらないよね、センセはさ」
文句を言うわりに、春日は俺の指示に素直に従って椅子に腰かける。
勉強を教える際に使っていたホワイトボードを取り出して、俺はそこに思いつく限りのルールを書き記した。
「いいか、まず大前提として、俺はお前の講師でお前は俺の生徒だ。さっき言ってた誘惑とかはさせないからな」
「はぁ…… 分かってるってば……」
やれやれという顔で溜息をつく春日だが、溜息をつきたいのは俺の方だった。
「いかがわしいことをした場合は、強制的にこの関係は破棄する。お前には即刻自宅に帰って貰うからそのつもりで」
「はぁーい……」
「他にも――」
それから数十分かけて、俺はこの家に春日が住むにあたって守って欲しいルールを伝えた。
まぁ、基本的には常識的なルールしか設けていないのだが……
「それじゃあ俺はもう書斎に行くから、春日はお前の部屋に入って、今日出した宿題をきちんとこなしてから寝るんだぞ?」
「分かってるってば! いちいち細かいんだから……」
俺が席を立ってそう言うと、やはり春日はやれやれと溜息をついて笑う。
今日から春日の私室となった元俺の寝室のドアノブに手をかけて、彼女はニヤリと笑みを浮かべる。
「アタシからの誘惑はしない約束だけど、センセがアタシの寝込みを襲うのは全然ウェルカムだからね?」
「だから、絶対手を出さないって言ってるだろうが!!」
「あはは! 怒らないでよ、冗談なんだから!!」
春日はそう言い残し、逃げるようにその部屋へと入って行くのだった。
「はぁ~…… マジでこれからどうなるんだよ、俺の生活……」
「そんなの、楽しくなるに決まってるでしょ!」
「っ!? 春日、聞いてたのか!?」
「あはは、今度こそおやすみセンセ!」
ドアを少しだけ開けて顔だけ覗かせていた春日は、そのまま逃げるように自室へと消える。
「先行きに不安しかないんだが……」
そう言った俺の言葉に、今度は春日は反応しなかった。
「ふぅ~……」
こぼれる溜息を止めもせず、俺は背を向けて書斎に向けて歩き出す。
頭の中には、これからの生活に対する不安が渦巻いていた。
これから俺を待ち受けているのは、元教え子とはいえ女子高生との同棲生活だ。
想像するだけでも、トラブルの匂いしかしない。
そりゃもちろん、春日の上手いご飯が朝昼晩と食べられるのは嬉しいが……
「……こりゃ、しっかり運動するようにしないと、あっという間に太っちまいそうだな」
俺は書斎にあるゲーム機で、最近話題の運動するゲームをいくつか購入して置く。
「そうだ、アイツが使うものを、次の休みで色々買いに行かないとな……」
こうして、俺と春日の同棲生活が始まった。
家賃のわりに広い部屋に住んでいたことを、こんな形で良かったと思うとは思わなかった。
続く――。
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