1923

@samayouyoroi

1923


ルミドラ中央軍港は大変な忙しさを見せていた。本来惑星ルミドラの軍港は軍艦より軍物資運搬船のほうが利用することが多いほど平和な軍施設であった。それがこの情勢により全く様相を変えたのである。


「ここの補給能力がなくなっちまうぞ!あんたらだってそれじゃ困るだろ!」

「補給なんてどうにかしろ!俺たちの他に誰が使うんだ!」

「無茶言うな!いくら決戦でもそれとは違う用途だってあるんだ!」


お互いに気が立つのも無理はなかった。なにせ全く想定外の事態、それも宇宙の歴史を変えてしまう大戦がまさに目前に迫っているのだ。


---


13FB09-2144-REC-I-795-015


まさかこんなことになるとはなあ。

マゼット・リーグは今更ながらドッグタグをしみじみと眺めていた。


僅かな休暇を艦の自室で過ごし、小さな窓からぼんやりと宇宙港を眺めるのも飽きた頃にふと首にかかるドッグタグに目が行ったのである。このタグをもらった時には何の感慨もなかった。単に配属に伴い支給されただけである。


索敵下士官という立場は当然前線勤務であり、もちろん死と隣り合わせの仕事ではあるが、それは今更さほど気にしてはいない。人間死ぬときは死ぬ。しかし今気になるのは自分の生死ではなくもっと大きなものだった。


宇宙大戦争。ハッ!アニメかよ!


ぼんやりとした考えの中で浮かんだ単語に自分でツッコミを入れるといささか気がまとまった。考えてもしょうがねえや。探して報告すりゃいいんだ。


---


「言うまでもないことだが、今回は同盟史上最も重要なオペレーションとなる」

戦艦ヒューベリオン第一索敵班班長アダ・ランズベルト少尉はそう話を始めた。相変わらず長くて過剰な修飾語が多いブリーフィングに耳が情報収集を拒否し始めると、マゼットはぼんやりと別のことを考え始めた。


通常の1.5倍に当たる30名で構成される第一索敵班は、ヒューベリオンのみならずこのヤン艦隊全体の「目」であった。猛将でも闘将でもないくせにやたらと最前線に出張る我らがヤン・ウェンリー提督の乗艦ヒューベリオン艦内にあって最重要任務と言ってもいい。なにせあの提督が死んだらこっちは全て御破算なのだ。


だったら艦ごともっと奥に引っ込んでればいいものを何故かあの提督は最前線、というよりほとんど艦隊の先頭で指揮することが多い。かといって艦単位での戦闘指揮に長けているわけでもない。むしろ艦単位での戦闘では紅茶ばっかり啜ってデカい指揮デスクの上でああでもないこうでもないと唸りながら戦術コンピュータで駒を動かしたりしてる。なんなんだあいつは。死ぬぞ。


あんな変な提督の下に配属されて早4年。いくつもの戦役を生き長らえ瞬く間に伍長から曹長に昇進したはいいが、そこから先は士官の領分なので非常に狭き門であり、また3ヶ月に一回は戦役に巻き込まれる我がヤン艦隊にあっては試験勉強などする気にもならなかった。それにイゼルローン要塞駐留艦隊に所属するものは無試験昇進もあるというまことしやかな噂も手伝って、マゼットは仕事とプライベートを充分に謳歌する毎日を過ごしていた。


---


「班長、質問です」

ようやくランズベルト班長の長い長い「演説」が終わるかという頃にアンナ・サモリが挙手した。アンナは班長の返答を待たずに質問を続けた。


「2日前に提供されたVidoのバージョン4.221で発光配色の変更があったという情報がありますがいかがしますか」ブリーフィングの場がこれまでとはまた違う白けムードに覆われた。


アダが「演説家」だとしたらアンナは「研究員」だった。過剰な表現を好むアダと解剖学的な緻密さを持つアンナは水と油なのだが、索敵技官として同盟全軍で1,2を争う両巨頭である。というよりこの二人がはっきりと別格であり、No3以降というものは数えられていない。


なにせ索敵距離1000光秒で優秀、1200光秒なら超優秀という世界でアンナは普通に1400光秒とか1500光秒台での索敵に成功し、結果ヒューベリオンへの被弾率のみならず作戦全体への巨大な貢献をしているのである。ちなみに同盟の索敵OS「Vido」による最長索敵記録はアダの持つ1701光秒でありこれは未だ破られていない。


やれやれ出番か。うんざりしながらマゼットが間に入った。


「サモリ曹長、その変更とはどんなものなのでしょうか」

マゼットが丁寧に割って入る。内心はともかく一般的にマゼットは第一索敵班の良識人と見なされていた。というより配属当時は多くいた先任たちが戦死や配置転換などで抜けていくと自然とアダとアンナの距離が近くなり、この強すぎる能力と個性の間に入ってしまったマゼットができることはそれしかなかった。


「私は配色については知見が不足していますので正確な事はわかりません」

実にアンナらしい回答だった。どうせもう自分で確認してるんだろうからその印象をそのまま言えばいいのに。


「それは具体的になにが違うのですか」

マゼットが根気強く聞き返した。ここで重要なコツがあり「感じますか」や「思いますか」ではアンナから情報は一切出てこない。そういう情緒的な質問ではダメなのである。対話式コンピュータを相手にしなくてはいけない。


「私が確認した結果、敵軽巡航艦と敵重巡航艦の配色が近いものになっていました。正確な配色は前述の通り知見が不足していますが敵重巡航艦が従来よりやや暗くなっており結果敵軽巡航艦と誤認する可能性があります」

一緒だよそんなもん。


「ありがとうサモリ曹長。このオペレーションが終わったら業者に言っておく」

アダが形式的に言った。このオペレーションが終わったら俺たちは全員死んでるかも知れないんだけどな。


---


宇宙暦799年4月12日。ついにヤン艦隊は補給を終え全軍発進した。見送るルミドラ中央軍港の人々はこの発進をさまざまな意味で歓迎した。投げられたのはテープだけではなく空き缶や玉子もあったようだが全て餞別ということになった。


同盟内では「魔術師」などと称される現代の英雄ヤン・ウェンリー提督は、しかし意外とそういう部分ではドラスティックであり、半ば接収に近いこの補給オペレーションによる苦情などは一切シャットアウトしているようであった。


「まあ俺らが負けたら接収どころか本当に支配されちまうからな」

薔薇の騎士連隊に所属する知人はそう語った。まあな。


決戦予定域であるバーミリオン星系にいくまではさほど忙しくもなく、3交代で索敵デスクについては適当に索敵しているだけである。たまに見かける人工物反応の大半は衛星や事故った船の破片であり報告する事もなく「危険ナシ」アイコンを貼っつけて終わりである。いつもこうならいいのに。


その気の抜けた勤務態度は別にマゼット一人だけではない。逆に戦闘宙域に入れば交代などできずに24時間勤務になるなど当然のことで、言わばそれこそが第一索敵班の本領である。そこまでは気を抜くのはむしろ精神安定上当然のことで、唯一人を除いて皆同じような状態だった。その唯一人は音もなくキーボードを叩いている。


---


(820)

アンナは本人も半ば無意識の癖があった。それはキーボードを叩く回数を数え、10分毎にその平均を割り出すのだ。それには何のソフトウェアも使っていない。カウントも除算も全て自分の頭の中で行っている。無論口にも出さないし本人すらオペレーションが終わればそんな事は考えないので誰にも知られる事はなかった。


平常時の1分間平均打数が820というのはやや高い。通常なら800前後に収まっているはずである。やはり少し興奮しているのだと自己分析し戒めた。


---


アンナ・サモリは平凡な家庭に生まれた奇人であった。彼女の両親もその家系も特段数学的素養が豊富だったわけではない。幼少期に数学的な何かに強く影響される事柄があったわけでもない。気がつけば数学とコンピュータにのめり込み、それ以外のことに全く興味を持たなかっただけである。


数学的素養のせいか学業成績は優秀だった。しかし例えば短文などを読み作者の気持ちを考える、などという問題では解答は正解でもその本質、感性の部分では全く理解できていなかった。理解する気もなかった。家族や教師の中にはアンナのその本質を見抜き気味悪く感じるものも多く、結果として彼女は孤立していったがそれすら気にしなかった。


しかし煩わしさは感じていたようで、軍に入ったのはそういうしがらみから抜けだすためであった。


例え軍隊でも人間関係は重要であるが、彼女の望みは出世などではなく、単に数学系要素に埋没することだったので、異動が多く深く長い人間関係を構築する必要がない軍隊勤務はうってつけだったのである。そして彼女のその考えは16歳の時に固まり、以降全く更新されていなかった。


---


宇宙暦799年4月24日。後世バーミリオン星域会戦と呼ばれる戦闘が始まった。銀河帝国軍最高司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥と自由惑星同盟軍イゼルローン要塞司令官兼同要塞駐留艦隊司令官ヤン・ウェンリー元帥の一騎打ちといってもいい。当初この戦いは両軍の興奮がそのまま具現したような激烈な撃ち合いが応酬された。


「戦艦ドロス-II被弾、駆逐艦EZ-I小破、同EZ-III大破」

「敵駆逐艦フォルセティ級命中、敵巡航艦型式不明大破」

「EF-11方面から艦隊接近、40隻前後」

「レダIVより救援要請」


先頃までののん気さなどどこへやら、命がけの索敵業務の開始である。この命がけのというは被弾を意味するだけではなく当然過労も含まれる。いざ戦闘状態になったら索敵班は基本的に小康状態になるまで交代はない。本当に1分1秒で状況が変わるので引き継ぎなどしていられないからだ。


ましてや最前線で指揮を執る旗艦ヒューベリオンにあっては一瞬の隙もない。艦としての戦闘だけではなく、戦術的にレールキャノンなどでの長距離狙撃なども想定されるからだ。


---


「HA-02方面に敵影発見、017卓連結要請します」

「了解。016卓018卓連結」


索敵OS「Vido」は大きな特徴がある。同バージョン同士ならシャットダウンをせずに即時連結が可能であり、マスター側の情報が即時にスレーブ側に反映され、しかもスレーブ側のリソースを全てマスター側に提供できるのだ。つまり瞬時に索敵能力を倍増することができる。この性能で演算能力の集中と分散が容易になるが、一方でこれはある一人に責任が集中してしまうという問題も孕んでいる。


事実スレーブ側として連結された016卓018卓の二人は既に索敵能力を奪われ単なるサブオペレータとなってしまった。まあこれを見越してアンナの両脇には経験が浅いものが配属されるのだが。一気に3倍になった索敵能力でアンナはさらに静かに激しくキーを叩く。


---


(1273)

アンナの気分が高揚している。既に達人級を超えたタイピング速度であったがむしろアンナは意識して抑えていた。先日の平常索敵時820打数は彼女にとってあまり好ましい結果ではなく、無駄な情報を追い過ぎたとの反省からである。


---


宇宙暦799年4月27日。約3日間続いた激しい乱戦が一旦止まり艦隊の再編成が行われた。両軍ともに疲労困憊だったがヤン・ウェンリーは敢えて速攻を命じた。


「自分はしょっちゅう休むくせにふざけやがって」

僅か1時間の仮眠中に叩き起こされたマゼットが赤い目をこすりながら毒づいた。誰に向けた言葉というわけではないが、イゼルローン要塞の階級別有給消化率では一位が大将の100%となっている。


---


戦闘の様相は打って変わり、まるで待ち構えているような帝国軍に対してひたすら同盟軍が突撃するを繰り返していた。同盟軍が進めばある程度の艦隊が押し寄せ、それをそのまま中央突破すれば左右に分断されたの敵艦隊はいずこかへ消え去っていく。


押し寄せてくる敵艦隊は極めて編隊が薄くほとんど一撃で突破できるが撃破報告も少なく、敵艦隊は分断する段階で置き土産のような攻撃を繰り返すので、結果として同盟艦隊は致命的ではないが確実に傷を重ねていく有様だった。


こちらの消耗を狙った作戦であることは間違いないが、問題はこの敵艦隊がどこからやってくるのかが不明な点であった。


「そりゃそのへんにいるんだろ」

戦略や情勢というものを全く考慮しない下士官は気楽に、しかし正確に実態を掴んでいた。しかしそれでは全く解決にはなっていない。


普通に考えればここは一旦進軍を停止したほうがいい。しかし同盟艦隊が置かれた状況ではそんなことは許されなかった。何せ今戦っているのはあくまで「ローエングラム本隊」であり、その数倍の艦隊が既に同盟内に進入しているのである。分散した敵艦隊のそれぞれが同盟艦隊とほぼ同じ戦力だとすれば1艦隊でも戻ってくれば詰みである。


そもそもこの戦いは勝利はあっても生還はないんじゃないかと思えてきた。仮にローエングラム公を倒して勝利したとしても敵艦隊がそれで何もせずに撤退するという保証はないのである。というより敵艦隊からすれば丁度帰路に同盟艦隊がいるわけで、撤収がてら主君の報復も含めて袋叩きにあうんじゃないだろうか。それを避けるためにはまずローエングラム公を倒すことは前提として、次に敵艦隊が押し寄せる前に脱兎のごとく逃げるしかない。


そう考えるとのん気に構えてる場合ではなかった。具体的にどうするかは上が考えることだ。まずは倒す相手を見つけなきゃ話にならん。


---


(1496!? 1497!? どっち!?)

繰り返し突破してもどこからかやってくる敵艦隊にアンナは冷静さを失っていた。アンナは極めて知性の高い人間だったが、想像力が全く欠如しているので、唐突に現れては消えていく艦隊に理解が追いつかなかった。


さらに悪いのは彼女はこのような時に「化け物のようだ」という例えで思考を停止できないのである。「化け物」などというものを知らないから。子供の頃に怪談のひとつふたつは聞いたことがあるが、彼女はそういう非現実的なものを頭から信じなかった。何故ならば理屈としておかしいから。


そのためアンナは目の前に現れる敵影と別に背後に消えていく敵影を分析し、それがCA方向とIK方向に向かっていくのは早い段階で把握していたが、それが何を意味するかには全く考えが及ばなかった。


---


宇宙暦799年4月30日。同盟軍は一旦後退し小惑星群の蔭に隠れ工兵隊による隕石牽引準備を始めた。


相変わらずわけわからねえ事すんなあ。


マゼットは別にヤン・ウェンリーを嫌っているわけではない。いや、やっぱり嫌いなのかも知れない。元々地元でも軍でも「腕力」がモノをいう世界に生きてきた彼はヤン・ウェンリーのような人間に会ったことがない。マゼットからみたヤン・ウェンリーは唯の変人でしかなかったが、その変人は不可能を可能にし続けた常勝無敗の名将なのである。あの兄ちゃんがねえ。つうか寝てるよあいつ。


ヤン・ウェンリーのほうをちらりと見た視界の中にはもうひとりの変人がいた。隕石牽引オペレーションなので索敵班は警戒という名の小休止状態ではあったが、それでも索敵卓にいて全くキーを叩かないアンナは珍しい。相変わらずマネキンみたいな顔が少し暗い気がするのはさすがに疲れが出たのか。


---


(0)

アンナはひどく傷ついていた。たった600秒たった2万にもならないタイピングを正確に測定できなかったのだ。自分の能力は衰えたのだろうか。それは頭脳だけで生きてきたアンナにとって何よりの恐怖であった。


超越者の目を以て補足すると、アンナはある時間だけを区切って測定をしているわけではなく、索敵卓でのオペレーション全時間のタイピングをカウントし、10分毎に平均を導いているのだ。彼女が測定しきれなかったのはそのうちの1回だけである。


---


隕石牽引オペレーションが本格稼働しはじめると共に小休止は終わりを告げた。隕石を囮にして一気に敵の本陣に躍り込む体で敵艦隊を囲んだのだ。釣瓶撃ちである。


「撃て!撃ちまくれ!」


全僚艦からそんな声が聞こえてきそうなほどの大攻勢である。実際に聞こえてきたのは音量を最低限に絞った爆発音と索敵卓連結要請とその許可だけだったが。


アンナの索敵卓は15連結していた。つまり第一索敵班の部隊能力の半分はアンナひとりで賄っていることになる。アンナの前にはバーチャル・ディスプレイがひしめきあい、一瞬で拡大と縮小を繰り返している。事情を知らないものが見れば彼女がこの戦いの指揮官のようにしか思えないだろう。


---


ふいに緊急アラームが鳴りマイク越しにアンナの声が響いた。

「GB方面より艦隊接近、距離1500程度、1万隻程度と思われます」


おお、と低い声が上がった。その報告内容の重要さもさることながら索敵距離への驚きと称賛であった。さすが第一班が誇るVido Ver5.0だ。という声も聞こえた。


「正確に報告しろ!」普段の過剰な修飾語を忘れてアダが声を張り上げた。アダとしては班や周りの気を引き締めるつもりで敢えて憎まれ役を買って出たつもりだったが、本人が思うほどに人望に恵まれないアダが言うと別の勘繰りが生まれる。


Less273:あと201秒だしな

Less274:班長の名誉と出世にかかわることだぞ


これほどの激戦の最中でも、あるいはだからこそ、チャットボードは非常に重要だった。もちろん一瞬の事柄をいちいち書いてはいられないが、機密連絡や中長期的な懸念事項などはこれがなくては成り立たない。しかし確かにこれで不必要なトピックが立ち上がりそこで雑談が開始されることもあるのだった。


---


(1826.795!)

この時アンナは最高潮だった。その人工物めいた表情は全く変わらなかったが、その目には確かに生命を感じさせる熱い気持ちが宿っていた。しかしもちろん、彼女の興奮は失われたかと危惧していた自分の能力が十全以上に発揮されたことに対してであって、攻勢や敵艦隊に向けられたものではなかった。


---


ナイトハルト・ミュラー率いる艦隊は身を挺してローエングラム本隊を護ろうとした。想定よりも大分少なく、帝国軍の状況も極めて深刻だったので挟撃などの作戦をしている余裕なく、文字通りローエングラム本隊の盾として割って入ったのである。敵ながら見事な覚悟だった。


TopicNo384:ナイトハルト・ミュラーがかっこいいと思った女兵士はレスしろ


---


「今度はあっちだ!」

マゼットは思わず声を上げてしまった。しかしそれはヒューベリオンのみならず同盟艦隊に乗務する全索敵官の心情を代弁したものだったので特に咎められることはなかった。


これほどの激戦で、眼前に敵艦隊がいる最中で、乗艦からシャトルで脱出するだけではなく、避難先を臨時旗艦として指揮を執り続けるというナイトハルト・ミュラーの粘り強さには驚きを禁じ得なかった。聞いたことも見たこともない。


すげえ野郎がいるもんだなあ。


旗艦とは単に指揮官が乗務しているだけではない。例えば通信技術だけでも艦隊の超光速通信の管理権限を有し、いかなる場合でも機密性を保持することができる。それでなくては戦闘指揮などできようはずがない。もちろん臨時旗艦にそんなことができるはずもない。


ではどうしているかというと、傍受されることをものともせずに平文で自身の無事と指揮艦の移動を宣言し、あまつさえそのまま作戦指揮をしているのであった。戦闘はもはや足を止めての殴り合いと言った様相になっているが、それでも大変な勇気と覚悟であった。


TopicNo403:ナイトハルト・ミュラーがかっこいいと思った女兵士はレスしろPartII

Less980:え、ちょっとうざい

Less981:>>980 次トピよろ


---


ナイトハルト・ミュラーは大変な勇気と覚悟と責任感で主君の御盾となっていた。その高潔さは何人たりとも否定はできない。それによって帝国軍の瓦解を防いでいることも確かである。しかしそれはあくまで一時しのぎでしかなかった。


ミュラーはこの戦闘で都合4度乗艦を変え、のちに鉄壁と称されることになるが、現実問題としてシャトルで次の乗艦に移動するまでの間ミュラー艦隊の指揮能力はゼロであり、元々少数で駆けつけたミュラー艦隊はこの空白時間毎に甚大な被害が出ていたのである。


後世、この場面に於けるラインハルト・フォン・ローエングラムの無策を指摘する軍人は少なからずいる。この状況では可及的速やかに撤退するしかなく、それを怠り、かつ戦術的にも戦略的にも何ら状況打破をできなかった。


そしてその無策は償いを受けることになる。


---


穴が空いた。


ミュラー艦隊はついにその力が尽きようとしていた。一箇所、また一箇所とミュラー艦隊という盾が崩れ、それに護られていた真の敵、ローエングラム本隊の艦影が見え始めたのである。


「ローエングラム公を探せ!」アダが声を張り上げた。


うっせえ黙ってろやってるよ!


マゼットだけではない。今こそ全索敵技官の正念場である。もはや名誉だの出世だの言ってる場合じゃない。あのローエングラム公を探し出して討つ。これしかない!


緊急アラームが鳴り響いた。

そしてほぼ同時にチャットボードに新たにひとつのトピックが立ち上がった。


チャットボードのトピックは新設時に[new]というタグが付与されるだけで音は鳴らない。しかし全同盟軍人はそのトピックタイトルに釘付けになった。


TopicNo492:DC-L1923 戦艦ブリュンヒルト捕捉


---


(もういい)

アンナはついに最後のリミットを外した。文字通り全能力を索敵につぎ込んだのである。その目に、その心に、もはや感情も迷いもない。全宇宙を俯瞰する神の目を以てたった1艦を探し、そしてそれは正に神業として顕現したのだ。


---


TopicNo499:銀河帝国終了のお知らせ

TopicNo500:200秒差loollllolllllol0lllllooooolll

TopicNo501:ラインハルト・フォン・ローエングラム氏助命嘆願トピ

TopicNo502:お前らは知らないだろうけど昔ランズベルトっていう人がいてな

TopicNo503:パウルです。命だけは助けてください

TopicNo504:じゃあ終わったから帰るよ

TopicNo505:ラインハルト・フォン・ローエングラム氏助命嘆願トピPartII

TopicNo506:貴様ら遊ぶな!


上記のトピックタイトル群はこの場面における同盟軍の歓喜を表したものとして後に教科書にも掲載されることになる。ちなみにトピックNo504の起票者はこの当時には起票権のないユリアン・ミンツの識別IDになっていたが、後の混乱によりこの起票者の正体は不明のままであった。


---


銀河帝国軍総旗艦ブリュンヒルト艦長ジークベルト・ザイドリッツは後退を決意した。総指揮官たるラインハルトの了承を得ずに、である。


総旗艦ブリュンヒルト艦内は、大本営としての指揮系統と、一戦艦としての指揮系統がある。艦長として独自判断での後退は権限のうちなのだが、実際問題それは決断しづらかった。しかし事ここに至ってもはや四の五の言っていられない。


後ろでは最高指揮デスクのまわりで何か悶着があったがその内容は聞くまでもない。あのローエングラム公が後退や撤退など同意するわけがなかった。


「艦長!」副長から悲鳴が上がった。


なんだ!という声は上げられなかった。

ディスプレイを一目見るなり声が枯れてしまった。


---


厳密にはレールキャノン艦とはそれを搭載した艦を指す言葉であり、搭載したからといって艦としての分類が変わるわけではない。しかし事実としてレールキャノンを搭載した艦は従前の機能をほぼ失い、結果それ専用の艦として運用される。


強力な長距離攻撃力の代償として航行性能・旋回性能に大幅な制限が付き、その内蔵エネルギーのせいで狙われたら周囲を巻き込む爆弾となるレールキャノン艦は、いわば自走式の砲台であって、基本的に最前線に投入されるものではない。


そのレールキャノン艦が視認可能位置に布陣しているのだ。しかも六艦連結である。単純計算でそれはイゼルローン要塞主砲「雷神の鎚」の12%に相当する超火力でる。



ザイドリッツの喉から空気が漏れた。


その火力以上にその布陣に完全敗北を認めざるを得ない。鈍重なレールキャノン艦が六艦連結し、あまつさえ視認できるほどの前線に配置されたということは、30分以上前にこちらを捕捉していなければあり得ない。同盟にはそれほどのスーパーテクノロジーがあったのであろうか。


勝敗は決した。仮にこの瞬間にローエングラム公がシャトルで脱出しても艦隊ごとまとめて焼き払う絶対必殺の布陣である。


---


「…砲撃準備…」


ヤン・ウェンリーの指示により六連結レールキャノン艦隊の砲塔が一斉に白い光を帯びた。ヒューベリオンに乗務するものは皆固唾を飲んで見守っている。今、この瞬間、ヤン・ウェンリーが手を振り下ろせば宇宙の歴史が変わるのだ。数百年前、国父アーレ・ハイネセンにより始まった長征1万光年が今まさに完結しようとしていた。


マゼットがその緊急入電に気がついたのは全くの偶然、あるいは霊感だった。着任以来初めて見るそれに思わず声を上げてしまった。


「政府より緊急入電です!」


---


宇宙暦799年5月5日。バーミリオン星域会戦は終わった。双方共に将兵の7割を失うという壮絶な激戦は長く戦史に記録されることになる。


ぐしゃ

どふ


暴力を振るう側からもそれを受ける側からももはや声すら上がらない。どちらも、誰も悪くはない。しかし誰かがそれを受けるしかなく、それを止める秩序は一時的に失われていた。


マゼットは集団リンチに遭っていた。暴力を振るう者の中には先日声を交わした薔薇の騎士連隊の知人も居た。彼すらが涙を流しながらマゼットに暴行を加えていた。「…てめえ、この…」たまに吐かれる言葉は後が続かない。なぜならばマゼットは何も悪くないからだ。


「やめろ!」

秩序の声が響いた。そこにはパトリチェフ副参謀長が、そして我らが最高指揮官の姿があった。


暴行は収まった。高級士官に恐れ入ったのではない。誰もがどうしようもなかった。誰かに止めてもらうしかなかった。


---


…けっ…


マゼットはふと懐かしい気持ちになった。ハイスクールの頃にこんなことはしょっちゅうだった。やる側にもなったしやられる側にもなった。そうだよ何が良識人だよ俺はこういう世界で生きてきたんだよ。


「大丈夫か?」

巨漢のパトリチェフ副参謀長が介抱してくれた。その肩ごしにこんな世界とは無縁そうな指揮官の顔が見えた。


「すまない。そしてありがとう、リーブ曹長」

何だよ俺のこと知ってたのかよ魔術師さまよ。


「君がいつも第一班の仲裁役を買って出てくれていたことはよく知っている。そして今回の事こそ民主主義国家の軍人として立派な態度だと思うよ。何もしてあげられなくてすまない。しかし本当に感謝している。ありがとう」


何だよそれ。


マゼットは実に彼らしく心の中で毒づき、そしてすこしいい気分になった。なんだよ分かってんじゃん。そう思った時、彼の口からは慟哭が、彼の目からは滂沱の涙が溢れ出した。


お、おおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!


「あとは頼む」そう言って魔術師は去っていった。

彼にはまだ彼にしかできない仕事があった。


---


混乱の中、アンナは独りで中央司令室の壁に寄りかかっていた。時間の経過と共に次々と帝国艦隊が押し寄せ武装解除を指示してきたので索敵卓にいるわけにはいかなかったのだ。ぼんやりと眺める宇宙空間には帝国艦隊がひしめいている。


あの中にも私と同じような索敵技官がいるんだろうな。


アンナがそんなことを考えたのは生まれて初めての事だった。そう、今まで考えたこともなかったが、アンナの仕事はその同じ索敵技官を、ひいてはその周りの兵士や指揮官を、殺す対象を、探し当てることだったのだ。


申し訳ないとは思わない。こちらが一方的に殺しているわけではないからだ。しかし不思議だった。ほとんどの人には愛する家族がいて、信頼できる友達がいて、笑って泣いて怖がって怒ってたりするのだ。私と違って。


よく軍人なんかやれるなあ。


怖いくせに。怒るくせに。泣くくせに。心配してくれる人や愛しい人がいるくせに。コンピュータのことなんか何もわかってないくせに。


---


ふと目をやると顔を腫らしたマゼットが近づいてきた。ひどい顔だったが何かどこかいつもと違っている。


「大丈夫?」

「なんともねえよ」


実にさりげなく、しかし二人は初めて虚飾なく私語を交わしたのである。アンナから声をかけたのもの初めてのことだった。マゼットはそのまますこし間を空けて同じように壁によりかかった。


「…魔術師さまがさ、俺のこと知ってやがった」

「…へえ…」

「ありがとうってよ」

「…なんで?」

「知らねえ」

「なにそれ」


アンナが少し笑った。驚いたがマゼットも釣られるように笑った。ふいにアンナが顔をしかめた。


「…痛た…」

「どうした?」

「爪、割れてた」


見ればアンナの右薬指の爪が割れて少し血が滲んでいた。医務室いけよ。そう言おうとした時ふいにアンナがしゃがみこんだ。しゃがみながら、アンナは低くうめき声を上げた。


うう、うう、う、うううううう


アンナは泣いた。どれくらいぶりなのかは自分でも分からなった。しかしアンナ自身は漠然とその意味を察していた。


別に何かに誓ったわけではない。代償だったわけでもない。しかし最後のあの瞬間、彼女はカウントを放棄したのだ。それまで業務中、常に彼女に常駐していたあのタスクを止め、全てのリソースを索敵に投入したのだ。


あのカウントは悪魔の契約だったのか、神の戒律だったのかは分からない。しかしそれを放棄したことであの瞬間、無謬とも言える全能感を得て、それによる奇跡を顕現せしめたのである。


そして何かが変わった。失われたのか、軛を抜けだしたのかは分からない。しかし二度とあれは起こらないだろう。あのカウントも、あの奇跡も、二度と。


---


「大丈夫かよ」

マゼットが肩の近くに手を差し出した。触りはしてこない。もっとももし触られていたら驚いて声を上げていたかも知れないが。


「だいじょうぶ」

泣きながらアンナは答えた。ちっとも大丈夫そうじゃないけどな。Ver5.1は安定性に欠けるなこりゃ。


マゼットもしゃがみこみ、アンナは小さく泣きながら、マゼットは宇宙空間を眺めながらしばらく無言の邂逅が続いた。


ふいにアンナが立ち上がった。

「医務室いってくる」

「おう」


アンドロイドよりは有機的な歩調で医務室に向かうアンナを見送るとマゼットも立ち上がり自室に向かった。寝よ。


目を向けなかった彼の索敵卓にはまた新たなトピックが立ち上がっていた。


TopicNo630:自由惑星同盟の思い出


---


アンナ・サモリによって打ち立てられた索敵距離1923光秒という記録は、しかし公式記録としては残らず、いわば都市伝説として索敵技官の中で語り継がれていくことになる。理由としては余りにも非常識過ぎるその数値と、この後の宇宙的な混乱により検証が困難であったことが挙げられる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

1923 @samayouyoroi @samayouyoroi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ