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解散してから体感で20分ほど経っただろうか。
3階の水道のところで頭を洗っていると、後ろから線の細い声が聞こえた。
「何をしているの?」
赤髪の女だ。
俺は脱いだ自分のTシャツで濡れた頭を拭きながら振り向いた。
「汗をかいて気持ちが悪いから流している。あんたこそ、こんなところで何を?」
彼女の持ち場は3階ではないはずだ。
「あなたを探していたのよ」
「俺を?」
赤髪の女がずいっと大股で近づいてきて、俺の腹直筋に人差し指を突き立てた。
「協力を頼みたいの」
俺は手に持っていたTシャツをぐしゃぐしゃに丸めて流し台の中に投げ入れた。
濡れて重くなった布は、ステンレス製の流し台にボンと音を立てて落ちた。
上半身は黒いインナー1枚になってしまったが、Tシャツと対して変わりはないだろう。
彼女は俺の腹の筋に指を沿わせながら、作ったような声色で「あなたにしか頼めない」と言った。
自分よりかなり低い位置から向けられる視線に湧き上がる感情は、劣情でないことは確かだ。
しかしこの女、背丈と声色から子供のように幼い印象を持っていたが、顔や仕草をよく観察すると年齢は当初の見込みよりもかなり高いように思える。俺より年上の可能性すらある。
「話を聞いてくれる?」
「なんだ」
俺が傾聴の意思を見せると、赤髪の女は俺からパッと離れて突然頭を深く下げ、「ごめんなさい」と言った。
「なぜ謝る?」
「あなた達をこの空間に呼び寄せてしまったのは、私のせいなの」
彼女は真相を語り始めた。
まず、彼女は現代日本に数少ない魔術の継承者であり、日夜その研究と修行に励んでいるらしい。その過程で、異界へ続く門を開く術式?の筆記の練習を行っていたところ、誤ってこの空間に転送されてしまった。術式を書いたのはあくまで練習で、これを発動させるつもりはなかったし、ましてや無関係の人間を巻き込むつもりなど毛頭なかったという。俺を含めた彼女意外の4人は、魔術の実験上の事故に巻き込まれたというわけだ。
ここまで語ったところで、赤髪の女はぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めた。
「全部…私ひとりの責任なの…。何をしてでも償う覚悟はあるわ……。でも、まずはここを出なくては」
「経緯はわかったが状況説明が足りない。この場所は何だ?」
「ここは、異界の悪魔がかつてデスゲームを開催するために創造した空間よ。今は悪魔の存在は感じないけど、空間にかけられた呪いはそのまま残っている。つまり、」
「最初の教室の黒板にあった『生きて出られるのは一人だけ』という言葉は真実というわけか」
「そう…。そういうことになるわね…」
話が読めて来た。
「要するに、あんたが俺に頼みたいことっていうのは、他のやつらをひ弱な自分の代わりに殺してほしいってことだな。全員殺したら俺も死んで、あんたをこの主催者不在のデスゲームから脱出させると。現実世界に戻ったあんたは、一番最初にあんたが話したように魔術を使って俺たちを甦らせる。全員で元の世界に帰るにはこの方法しかないというわけだ」
「ん…。概ねその通りね。ただ、一つ訂正しなくてはならないわ。私は死んだ人間を蘇生することはできない。私が出来るのは…、そうね、伝え方が難しいけれど、異界の浅いところを彷徨う魂を現世に呼び戻すってこと。実は、私たちは今魂だけの状態でここにいて、分離した体は現世に取り残されて抜け殻のようになっている。私がここから出たら、急いであなた達の体を回収し、すぐに魂召喚の魔術を施すことを約束するわ」
「最初に蘇生の魔術ができると言ったのは嘘だったということか」
「そうね…。そう説明した方が、異界の門がああだこうだ言うより手っ取り早くて良いかと思ったんだけど、失敗だったわ。あなた以外の3人には、まるで頭が狂っているように思われたようだったし、ね」
仮に真相を話したところで、その結果は変わらなかったと思うが。
「交渉相手に俺を選んだ理由は、最初の教室で俺が魔術について尋ねたから魔術に理解を示しそうだと思ったってことか」
「そう。それにあなたは強そうだし」
「なるほど、話はわかった」
言いたいことは理解した。
しかし、ここで客観的に考えて呈しておくべき疑問が一つ残っている。
「だが、あんたは異界の門を開くための術式を書く練習をしていただけで、無関係の俺たちを巻き込んでこの有様だろう。俺があんたの言う通りにすべて実行しあんたを生き残らせて現世に帰したところで、魔術師としてはおそらく未熟者のあんたが無事に魂召喚の魔術を成功させる可能性は、果たして俺が命を預けるリスクに見合うのか?」
俺がそう言うと彼女は目を伏せて唇を噛み、悲壮な表情を作った。
「正直、そこを突っ込まれると返す言葉がないわ。信用するかしないかは、あなたの心の問題だもの。でも、どうか信じてほしい。異界の門については研究中だけれど、魂召喚の魔術は私の得意分野だし、必ず成功させると自信を持って言うことができる。ヒトを使って成功させたこともあるという事実も付け加えておくわ」
そう言って、赤髪の女は再びまっすぐな視線を俺に向けた。
言葉や態度はともかく、彼女の言うところの魔術に関しては真実を言っているように思える。
俺が最初に彼女を見たとき、見た目の線の細さとは裏腹に存在感の大きさを感じた。
彼女が他のやつに罵倒されているときも、決して揺るがない一本の芯があった。
自らの行いを悔いて涙を流した後でさえ、秘めた誇りは白く光る明月のように、内側から彼女をはっきりと照らしていた。
俺は、彼女に向かって片手を差し出した。
「協力してくれるのね。ありがとう」
安堵の表情を浮かべて、赤髪の女はこれに縋ろうと細腕を伸ばす。
俺はそれをすり抜けて、女の喉を掴んだ。
「……っ! なぜ…」
ヒトがヒトであるために行うこと。生命維持活動ではない。欲望を満たして快楽を得ることとも、少し違う。
それは、自分を安定させる方法を持つことである。
自分が不安定であるのは怖い。
今日の自分と明日の自分が同じかどうか、俺自身にもいつかわからなくなる日が来ると思うと寝床の中で内臓が痒くなって落ち着かない。
正しい意味で「生きている」というのは、自分を安定させる術を知らなければならない。
この女にとって魔術とは、まさしくそれだ。
それがわかって満足だ。と、思った。
もう、取り繕う必要もない。
女は、必死の形相で俺の腕に爪を立てて逃れようとしている。
腕に痛みが走る。皮が剥がれ、赤い血が滲んでいる。
俺はあえて手を離した。
ゲホゲホと咳き込みながら、驚愕と恐怖が混じった目で俺を見ている。
一つ、戯れを思いついたので口にしてみる。
「何を…言っているの?」
言っていることはあんたと同じだが。
「魔術を使える人間は決まっているのよ!」
そうなのか?
しかし、ここに来る前から疑問に思っていたのだが、魔術と魔法は一体何が違うんだろうな。
「あんた…、イカれたやつだったのね……。それ以上近づかないでくれるかしら…?」
赤髪の女は、どこから取り出したのか、フルーツナイフを俺に向けて牽制する構えを取った。
俺はこの女の探索の持ち場に特別教室の周りが含まれていたことを思い出した。
最初から刃物を持っていたとは思えないから、おそらく家庭科調理室などで見つけて隠し持っていたのだろう。俺に協力を拒まれたときのための護身用だ。
赤髪の女は、フルーツナイフの先を俺に向けたまま、じりじりと後ろに下がって距離を開けようと試みる。
別に刺されてやっても良いのだが、彼女の中の誇りに敬意を払って10秒だけ逃げるのを待ってやることにしよう。
どうせあと2人だ。
俺がカウントダウンを始めると、彼女は身を翻して一直線に走り出した。
その背中を見ながら、血の滴る腕を舐める。
血の量の割には痛みが足りない。
血が出ているところをがぶりと噛んでみる。
それから、一番尖った歯を傷口にぐりぐりと捻り込む。
これだ。
と、俺は思った。
痛みは魂を安定に導いてくれる。
生きている実感を体に伝えてくれる。
あの女は俺に、自分自身の生の価値を教えてくれた。
だから、今度は俺が教えてやろう。
デスゲームに参加させられたが俺は蘇生魔法が使えるので安心して殺されてくれ すしすめし @sggk1016
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