72.最悪の予想は外れた

 用意してきた合意書を差し出すジョゼフは、護衛の騎士が送った合図に気づいた。


「閣下、御前を失礼いたします」


 頷いたクロードと国王アシルへ一礼し、彼は退室した。広げた合意書を隅まで読み込み、国王アシルは控えを隣の若者に渡す。彼もしっかり目を通した上で頷いた。


 同じ合意書が2枚、其々に署名を終えると血判を押して交換する。受け取った合意書にも署名して血判を押した。正本が2通、互いに1通ずつ所持する。作法に従い合意を終え、ほっとしたところにジョゼフが青い顔で戻ってきた。


「閣下、問題が……」


「申せ」


 一瞬迷うように視線をランジェサン国側に走らせたが、深呼吸したジョゼフは命令通りに報告した。


「次期様が襲撃されました。腹部への刺し傷は深く、ですが命に別状はありません。急ぎお戻りいただくように、と」


 目を見開いたクロードが立ち上がると、アシルは「早く帰ってやれ」と促した。この後の話し合いは後日に回し、先ほど馬で歩いた道を急ぎ駆け戻る。前回の記憶から襲撃の心当たりは二つ、片方はさしたる敵ではない。もう一つならば……愛娘ティナに危険が迫っていた。


 美しく聡明な妻の忘れ形見、顔立ちも振る舞いもよく似た娘コンスタンティナを、再び傷つけることは許さん。全力で馬を走らせ、領内に入ると駐留する騎士団の馬と交換して、さらに走った。半日ほどの距離を半分ほどで駆け戻る。


 屋敷の門は固く閉ざされていた。


「戻った、開門せよ」


 執事のクリスチャンの指示で、すぐに開門される。馬のまま乗り込み、泡を吹いて息を乱す馬を預けた。労い休ませるよう指示する時間も惜しく、屋敷の玄関ホールに飛び込んだところで、階段の上から声がかかる。


「おとう、さま?」


 見上げた先で、両手に赤く汚れた布を抱えた娘を見つけた。汚れることを想定したのか、綿のワンピースに着替えている。


「ティナ、無事か?」


「はい。お兄様は縫合手術を終えて休んでおられます。お顔をご覧になりますか」


「……っ、そうか。そうだな、顔を見ておこう」


 最悪の予想は外れたようだ。安堵に胸を撫で下ろす。留守のタイミングで襲撃されるとは、どこかから情報が漏れていたらしい。そちらの捜索はジョゼフに……振り返り、途中で置いてきたことを思い出す。


 奴は鍛え方が足らん。かつての騎士団長と同等に渡り合うクロードは自分の基準でそう判断し、文官で体力のないジョゼフを鍛え直すことを決意した。忍び足でシルヴェストルの部屋に入り、息子の顔色を確かめて肩に入った力を抜く。無事でよかった。


 微笑んで頷くコンスタンティナに促され、階下へ降りた。ようやく追いついたジョゼフを交え、居間で軽食を摘む。


「ティナ、よく頑張った。自慢の娘だ」


 執事クリスチャンは、コンスタンティナの活躍と立派な指揮を自慢げに語り、それを聞いたクロードも手放しで褒める。英雄譚や叙事詩のように語られ、コンスタンティナは頬を染めた。自由に過ごすようになって、表情が増えたことを喜びながら、ジョゼフと視線を交わす。互いに同じ懸念を抱きながら、間に合ったことを素直に喜んだ。

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