69.幸せを掴むために戦う覚悟

 侍女や侍従は必死に隠しても、噂はどこからともなく耳に入るもの。庭師同士の会話だったり、木陰に私がいることを知らずに話す人だったり。お兄様やお父様が外で戦う状況は、理解していた。王城が襲撃され、国王夫妻が殺害されたという。王都の治安はそこまで悪化したのかと溜め息を吐いた。


 だけど、まさかお兄様が襲撃されるなんて。


「お兄様! シルお兄様っ!」


 騒がしくなった玄関の様子に、てっきり兄が帰ってきたのだと思った。アリスと一緒に階段を降りて……途中で見えた赤に驚いて足が竦む。手摺りに縋って降りた先で、兄シルヴェストルの顔は青かった。真っ赤な血が腹から吹き出すたび、血の気を失う兄の顔色が恐ろしい。背中や胸に傷を負ったエミールが、両手で傷を押さえた。


「早く止血を! もうもたない!!」


 駆け込んだ老医師は、いつも私の貧血を診察していた。腕のいい医者で、きっと兄を助けてくれる。がくりと膝から力が抜けて、後ろのアリスが私を受け止めて座った。一緒に絨毯に座った私は、運ばれる兄を追おうとした。だが足が動かない。


 どうしよう、今日はお父様もジョゼフおじ様も留守なのに。混乱する私の前に膝を突いたのは、全身血塗れのエミールだった。マリュス侯爵であり、兄の親友だった方。護衛も務める彼も傷だらけだった。


「御当主が留守で、次期様もケガを負われた。今動けるのは、あなた様だけです」


 兄の親友や元婚約者の兄としての立場はなく、侯爵家当主の言葉でもない。これは兄の配下としての願いだった。私が指揮を? 震える手で拳を作る。ごくりと喉を鳴らして緊張を飲み込み、深呼吸した。


「ご安心ください。私も執事殿もおられます。あなた様は我らの提案に頷くか、首を横に振るだけでよいのです」


「お嬢様、若様の傷は致命傷ではございません。命は助かります」


 執事クリスチャンの言葉に、気持ちがすっと落ち着いた。準備された部屋で、簡単な手術を行うらしい。傷の縫合が必要だと医者は口にした。ならば私は、私に出来ることをしよう。


「クリスチャン、必要な包帯やシーツを用意して」


「かしこまりました」


 声は揺れ、握った拳は震えていようと、フォンテーヌ公爵であるお父様の代理は私。今は私しかいないの。自分に言い聞かせて指示を出す。クリスチャンはそこに加えて、薬や室温を上げるための暖炉の手配を行なった。まだこの季節は暖炉に火を入れない。しかし出血が酷いと寒さを感じると、エミールは教えてくれた。


 次に警備の見直しだ。兄の治療中に邪魔されるのは、絶対に阻止しなくてはならない。父が帰るまで、この屋敷を守る。震える私の拳に、斜め後ろからアリスが手を重ねた。人の温もりは安心できる。


「エミール、警備を強化して。後は何が必要?」


 私が考えるより、警備に詳しい人間がいるなら尋ねる。その指示を私が出せばいいの。王妃と同じよ。有能な人を手足にして、私は責任を負えばいい。指揮官がすべての能力を兼ね備える必要はないのだから。


「警備はすでに強化させました。可能であれば、ご当主様か宰相様に使者を送ることが最良かと」


「ではそのように」


 言い渡して、不安そうな使用人を見回す。すでに騎士達は簡単な手当を終えて、屋敷の警備に飛び出していった。


「さあ、皆も動いて! お兄様の部屋に必要なシーツやお湯の準備をして。私はお兄様のお部屋に参ります」


 本当は泣いて誰かに助けてもらいたい。でもそれじゃダメなの。今度こそお兄様もお父様も一緒に、幸せになるのよ。だから……私も戦うわ。

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