60.贈ることの本当の価値を知る
庭の手入れが終わり、外部から入る庭師は明日から来ないという。もうリッドには会えない。不思議と胸が苦しい。沈んだ顔の私に気づき、アリスは刺繍の道具を整えた。ハンカチに刺繍を入れて渡せばいいと。そのハンカチを見れば、彼は私を覚えてくれるかも知れない。
過去の淑女教育で身に付けた刺繍の技術は、時間を戻った小さな手に宿らない。あれは指先を針で傷つけながら覚えたこと。ダンスも同じでステップは覚えているが、足や体の動きは追いつかなかった。
指を刺さないよう注意しながら慎重に刺す。一針一針気持ちを込めて作り終えたハンカチは、13歳にしては良く出来たと思う。アリスがアイロンをかけたハンカチを手に、そのまま庭の奥へ向かった。空色のワンピースではなく、新しく作った淡緑のワンピースだ。
ミントに似た柔らかな色を翻し、葉を揺らす緑の中へ踏み入った。いつもと同じ場所で寝転ぶリッドに近づき、彼の顔を覗き込む。ぱちっと開いた目にびっくりして、後ろに尻餅をついた。
「ごめん、驚かせちゃった?」
「いえ、こちらこそ」
謝るリッドに首を横に振り、無作法だったかと目を伏せる。手に握ったハンカチを思い出し、彼へ差し出した。真っ白な絹に黄色い小花と緑の蔦。
「これを受け取って欲しいの」
「僕に?」
驚いたリッドの表情が嬉しそうに綻ぶ。満面の笑みで受け取って広げ、まだ拙い部分も目立つ刺繍を見つめた。膝の上に広げると、自分のズボンで手をよく拭いて、刺繍の上を指でなぞった。ざわざわする胸を押さえる私に、アリスが声をかける。
「良かったね、ティナ」
絹の高価なドレスを纏わない私を、約束通り友人として扱うアリスに頷く。嬉しいわ。前回はこんな経験なかった。誰かにプレゼントして喜ばれたことも、友人と一緒に過ごすことも。こんなに幸せな気分になれるのね。前回は本当に損をしたわ。
「ティナはお嬢様だろう?」
不思議そうなリッドに、私は笑った。そうよね、公爵家の娘を呼び捨てにする侍女なんて、普通はいない。
「絹を脱いだら、私はティナよ。アリスと同じ、ただの女の子なの。だからお嬢様じゃないわ」
お嬢様だったら、芝の上に座ったり寝転んだり出来ないもの。付け加えた部分に共感する様子で、リッドも寝転がった。ハンカチを日差しに翳す。
「やめてよ、下手なのがバレるわ」
「僕には完璧に見えるけど」
心底不思議そうな呟きに、目を瞬く。女性は謙遜し、能力をひけらかさないのが美徳と教えられた。でも違うのかしら。人形姫を止めるんだもの。大人しくしてる必要はないのかも?
「また会えたら、今度は僕が何かプレゼントするね」
リッドの言葉を大切に胸にしまい、いつもより長い時間を庭で過ごした。家に戻り風呂に入りながら、金髪に絡まった小さな花に気付く。記念に押し花にして、栞を作ろう。
穏やかな気持ちで家族の待つ部屋へ向かう。食事の前に大切なお話があると聞いた。前回のように怖がることなく、ノックして入ると……お父様の眉間に皺が。お兄様も険しい顔だった。
「何かありました、の?」
「ティナ、今日刺繍したというハンカチは?」
「男にプレゼントしたって、嘘だよな? 俺も父上ももらっていない」
あら。誰に渡したか、どうして自分達にはないのか。お父様の膝の上に座り、目の前にお兄様が膝を突いた状態で尋ねられた。明日から数日、複数枚のハンカチを作ってプレゼントすることで、納得してもらう。強請られるのは、面映いものですね。
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