54.添えられた気遣いへ報いる時ぞ

 オードラン辺境伯ダヴィドは、滅びゆく王家を前に傍観を決め込んでいた。一番の理由は、フォンテーヌ公爵家から届いた書簡だ。封蝋入りの正式な書面に目を通し、驚きとともに学友クロードの判断を支持した。前回の夜会の記憶は、ダヴィドの忠誠心を黒く塗りつぶした。


 過去の王家の振る舞い、公爵令嬢の穢された名誉と失われた命、冤罪が晴れたからと喜ぶ気になれなかった。噂は衝撃の強い最初の物が一番遠くまで伝わる。噂の訂正された話は小さく、謝罪が行われようと名誉の回復は難しかった。


 辺境伯は地位と金はあれど野蛮な貴族だ。そう噂を流したのも、王家派の連中だった。幸いにして嫡男はバシュレ子爵家の令嬢を娶ったが、噂ひとつで彼の婚期は遅れただろう。常に他国の侵攻や災害に対し目を光らせ命懸けで国を守る辺境伯家に、跡取りが途絶える事態になれば……彼らはどうするつもりだったのか。


 バシュレ家とも連絡を取り、現時点で彼ら親子はオードランの砦に身を寄せる。これから英雄となるエルネスト・バシュレは、現時点で優秀な兵士の一人に過ぎなかった。


 あの日の惨劇を我らは忘れない。我が息子と婚約したバシュレ子爵令嬢は、あの惨劇に立ち会った。エルネストは公爵の無念と慟哭に共感する。それは我がオードラン辺境伯家も同じこと。王家への忠義は死に絶えた。


 まだ子爵の地位を得ていない彼に、フォンテーヌ公爵クロードが分家である子爵の地位を与える。辺境でこれから起きる騒動を収めて欲しいと願う手紙に従い、王家への手出しを控えた。これからの計画は聞かない方がいいだろう。


 宰相ジョゼフを手玉に取った公爵クロードの策略を、まずは楽しませてもらおう。戦力が必要となった時点で、すぐ駆け付けられるように準備をして。高みの見物と洒落込むのも悪くない。


 二度目の書簡が届いた時が合図だった。


 王家を離反する人々の大半は、前回の記憶を持つ。己の保身を図り、泥舟から逃げ出した。当然の判断だ。一緒に沈みたい者などいないだろう。かつて騎士の栄誉を授かり、忠誠を誓った主君があれほど愚かで……辺境伯の地位の意味を理解せず、貶める輩だったとは。


「やり直しを命じられた女神様へ感謝と尊敬、信仰を捧げる」


 記憶が戻ってすぐ、領地内の神殿に寄付を行った。金ではなく、資材や食料といった形で届ける。小さな女神像をいくつも領地内に祀らせ、自らも毎日手を合わせた。女神に金銀を捧げるより、信仰を示す方が大切だと考えたのだ。


「フォンテーヌ公爵家より、書簡が届きました」


 見間違いようのない赤い封蝋のマークを確認し、ひとつ深呼吸する。手を付けていた領内の管理に関する書類を避け、ナイフで開封した。品のある透かし模様の手紙に記されていたのは、たった一行だけ。


 ――我が復讐に異議なくば参じられんことを願う。ダヴィド、待たせたな。


 添えられた後半の小さな文字に、学友として過ごした頃の懐かしさがこみ上げた。


「我らオードラン辺境伯軍は、本日よりフォンテーヌ公爵家の手足となる。準備を急げ!」


 発した命令で騒がしくなる居城を抜け、一番近い砦に飛び込む。驚いた顔をする盟友エルネストの前に手紙を置いた。


「フォンテーヌ公国の日の出だ」

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