41.幸せの種はここにある
用意されたのは、淡い空色のワンピースだった。滑らかな絹の光沢はなく、さらりとした綿の心地よさに口元が緩む。
「お嬢様のために、毎年ご用意しておりました」
急遽用意して欲しいと言ったのに? そんな疑問を浮かべた私に、侍女のアリスは穏やかに微笑んだ。ワンピースより色の薄い水色のレースが裾や襟に少しだけ飾られたシンプルなデザインは、お出かけ用ではない。
「お忘れですか? お嬢様はお転婆で、亡き奥様とご一緒に庭で花を植えたりなさっていました。あの頃のお嬢様は笑顔が素敵で……その笑顔をまた見たいと、私や執事のクリスチャンさんが用意していたんです」
「毎年?」
「ええ。毎年ですわ」
着付ける侍女が居なくても、前ボタンを3つ外して被るだけ。前ボタンは大きな包みボタンで、私も簡単に留められる。公爵令嬢に相応しくない、まるで町娘のような服だった。なのに着心地が良くて、深呼吸出来る。
「ありがとう。アリス」
「いいえ。お嬢様が幸せなら……それでっ、私」
言葉を詰まらせて涙ぐむ彼女は、私が幼い頃から一緒にいてくれた。ずっと姉のように見守って、優しく気遣う。前回も今回も……変わらず。
執事のクリスチャンもそう。王太子妃教育で叱られて帰った日、温かなミルクティを用意してくれた。私が遅く帰っても室内の温度を整え、快適に過ごせるように指示を出す。仕事として当たり前なのだろう。それでもベッドサイドに生けた花瓶の花ひとつで、気持ちは安らいだ。あれは執事の仕事ではないでしょう?
私は愛されていた。前回も今回と同じように、大切にされてきたのに気づかず、己の殻に閉じこもった。母を失った痛みは、父や兄も同じだったのに。私だけが痛いかのように振る舞った。
だから……13歳の誕生日だったのね。記憶を持ったまま戻った日付の意味に思い至る。女神様のお言葉も声も知らない。でも母が生きている11歳ではなく、今に戻された理由を噛み締めた。
私も反省すべき点はある。他の人が罪を犯して償うのと同じ、私は周囲の人の愛情に応えてこなかった。これからは愛情を受けた分を返そう。
女神様が「やり直し」と仰ったのなら、受けた愛情を返すことが私のやり直しになる。死なないために足掻くことより、重要だった。
「何ひとつ罪のない人はいない」
ぽつりと呟いた言葉は、アリスに届かない。凍らせた表情を溶かすように動かし、まだぎこちない笑みを浮かべた。少しずつ努力しよう。生きてやり直すなら、遅すぎることはない。
だから……
「アリスにお願いがあるの」
「はい」
脱いだ絹のワンピースを片付ける手を止めて振り返ったアリスは、自然と微笑みを浮かべる。その眼差しは柔らかく、蔑む色はなかった。前回の私はただ気づけば良かったのよ。幸せの種はここにあるのだから。
「私のお友達になって欲しいわ」
目を見開いたアリスの手から絹がするりと滑り落ち、慌てて拾い上げた彼女の目には涙が浮かんでいた。薄茶の髪と瞳、頬には少しのそばかす。いつも気が利いて、私を優先する優しい子。恋の悩みもすべて相談できる姉のような、友人になって欲しい。
「わ、たし……侍女、で」
「お友達に肩書きが必要かしら」
まだぎこちない笑みのせい? 拒まれたら凄く落ち込むし残念だけど。答えを探す彼女は私の微かな笑みを捉え、柔らかく眉尻を下げる。ぽろりと溢れた涙が綺麗だった。
望んだ答えがもらえるまで――あと少しね。
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