40.お前は侯爵家の汚点だ

 前回のあの日以降、アドリーヌの元にシルヴェストルが顔を見せたのは1回きりだった。それも婚約の解消に関する書類を手に、両親へ挨拶に来ただけ。同席したアドリーヌに視線を向けることはなかった。社交界で、あの夜会でのアドリーヌの振る舞いはすぐ噂になる。


 コンスタンティナを陥れるために利用した噂が、己に牙を剥いたのだ。人形姫と呼ばれる原因を作った人物として、爪弾きにされた。お茶会の誘いはぴたりと止まり、一部の貴族家は絶縁を宣言する。両親の付き合いや仕事にまで影響が波及し、兄エミールの婚約も解消された。


 すべて噂のせい。自分が広めた噂で貶めた筈の公爵令嬢の評判は急上昇し、アドリーヌの価値は下落した。一緒に人形姫を嘲笑あざわらった人々は「義姉になる侯爵令嬢の言葉だから信じたのだ」と手のひらを返し、夜会でシルヴェストルの邪魔をした振る舞いは「王家の策略へ積極的に参加した裏切者」と認識された。


 違う、ひどいと泣くたびに、兄エミールは突き放す。


「お前がコンスタンティナ様にしたことと同じではないか」


 この頃の兄エミールは、アドリーヌの名前すら口にしなかった。仲が良かったシルヴェストルの元に駆け付けて協力したくとも、妹がいる限り叶わない。それだけでなく、マリュス侯爵家の存続すら危うかった。王家派にくみする気はない。宰相派の主張にも賛同できない。


 他家から付き合いを断られ、蔑まれ、家名は堕ちていく一方だった。兄エミールが当主であったなら、とっくに妹を切り捨てて修道院へ放り込んだだろう。だが両親にとってアドリーヌは娘、我が子に対する決断が遅れたのは……皮肉にも王家と同じだった。


 マリュス侯爵家は――エミールを当主とすることなく、没落して歴史の波に呑まれた。その結末を思い出した両親は、アドリーヌを冷たく睨む息子に家督を譲る決意を固める。時間を引き延ばせば、前回の二の舞だろう。どんなに娘が可愛くとも、家名を途絶えさせることは出来なかった。


「エミール、本日を以てお前をマリュス侯爵家の当主とする。手続きに必要な書類を揃えるから、宰相アルベール侯爵に届けるように。……前回はすまなかった」


 父の言葉に頷くエミールは、すぐに決断を下す。


「アドリーヌ、お前は領地で謹慎しろ。数日中に修道院を探す」


「私はっ! シルヴェストル様の婚約者ですわ」


 家のお役に立つ令嬢です。まだ事件は起きていない。噂を流さず大人しくしていれば……そう呟く彼女は理解していなかった。朝食の場で戻った記憶、兄も両親も知っているのに……侍女達は何も知らない。家族の中で冷たくあしらわれても、私はフォンテーヌ公爵家に嫁ぐ身だもの。数年我慢すれば問題ないはず。


 記憶が戻る女神の温情を、アドリーヌは勘違いした。家族に記憶が戻るのではなく、あの夜会に参加した貴族すべてが記憶を保有しているのだ。アドリーヌの傲慢な計画の破綻は、目の前に迫っていた。


「何を都合のいいことを考えている。シル……いや、シルヴェストル様はすでにご存じだ。他の貴族と同様にあの方にも前回の記憶はある。お前は二度と社交界になど出せぬ。マリュス侯爵家のだ」


 吐き捨てるように言い放ったエミールを呆然と見つめるアドリーヌは、その日のうちに自室に監禁され、翌早朝に領地の屋敷へ送られた。婚約を結んだ旧当主と新たな当主エミールの署名が並んだ、婚約の解消申し入れはフォンテーヌ公爵家で即日受け入れられる。


 それでも、かつて「シル」と愛称で呼んだ友人をエミールは「シルヴェストル様」と敬称を付けて呼び続けた。二度と驕った考えでフォンテーヌ公爵家に接しないよう、自らへの戒めとして――。

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