42.あの子の望みはささやかだ
王太子が捕獲された話は、あっという間に広まった。様々な貴族や使用人の口を経由して、国王の元へも届く。跡取り息子が、ワトー男爵家を荒らしまくって捕まった……通常の親なら醜聞と思うところを、国王ウジェーヌは違う方向へ受け取った。
「前回のみならず今回までも邪魔をするか! ワトー男爵の爵位を剥奪せよ」
命じる声に応じる者はいない。現在の王宮は宰相が出仕しておらず、大臣達も休暇や持病の悪化を理由に領地へ逃げた。上級使用人が不在の侍従達にそんな権限があるはずもなく、国王の命令はただ執務室に響いただけ。書類を受け取りに来た文官も、いそいそと部屋を出た。
怒りは人の感情を高ぶらせ、理性を鈍らせる。国の頂点に立ち、圧倒的な権力を笠に好き勝手してきた国王が、この状態に我慢できる筈もない。
「くそっ、宰相はどうした! アルベール侯爵を呼べ」
この命令には侍従が動くものの、城内にいない人物だ。使者を立てて迎えに行ったが、屋敷はもぬけの殻だった。家財を処分した屋敷はがらんとしており、静まり返った不気味さだけが残る。この状態を見た使者は、すぐに他国への逃亡準備を始めた。この国は終わりだ、そんな言葉が自然と口を衝く。
民の間に広がった不安を煽る王家の振る舞い、各公爵家による難民の受け入れ、様々な要因が重なり……王都は徐々に廃墟が増え始めた。前回の記憶が戻った貴族や王宮の使用人がこぞって逃げたことも手伝い、コンスタンティナの誕生日から1ヵ月後の王都の人口は半分まで激減する。
当然、税収は減る一方だった。住人が放棄した屋敷で税の取り立ては出来ない。家屋敷を差し押さえても現金化できず、処分できない家屋敷ばかりが積みあがった。
昨年徴収した税を食いつぶしながら、王家はまだ気づけない。すでに権力などなく、王都は国の中心ではなかった。国内で反乱を起こして王家を追放する必要はない。有名無実化すればいいだけだった。
「愚かな男だ。学生時代から詰めが甘く決断が遅い奴だったが……補佐がいないとここまで落ちるとは」
呆れたと呟くクロードとともにお茶を飲みながら、手元の書類に目を通すジョゼフが顔を上げた。彼の肩書きは元宰相となり、国王によりクビを宣告されて今は身軽だ。仕事用の眼鏡のテンプル部分を弄りながら、ジョゼフは苦笑いを浮かべた。
「前回から何も学ばず、反省も謝罪も出来ない男です。この程度でしょう」
吹っ切れたジョゼフにとって、過去の主君は現在の汚点だった。話しながら椅子から立ち上がったクロードが目を細め、口元が緩む。手招きする友人に誘われ、ジョゼフは眼鏡を外して隣に立った。
二階の執務室からテラスへ続く大きなガラス戸の向こうは、公爵家の広大な庭が広がる。視界一杯に整えられた芝の上を、空色のワンピースを着た少女が走っていた。追いかけるのはシンプルなシャツと乗馬ズボンという軽装の青年だ。
お茶を用意した侍女が待つ東屋へ、少女は花を片手に駆けていく。何かに躓いた少女が転び……クロードは慌ててガラス扉を開いた。声を掛ける前に、金髪の青年が抱き起す。膝やワンピースに付いた芝を払い、ケガがないか確かめて頷いた。
しっかりした足取りで、兄シルヴェストルと手を繋ぎ東屋へ入っていくコンスタンティナを見送る。
「あの子の望みはささやかだ……だからこそ守り抜く意味がある」
無言で頷いたジョゼフの視線が、室内の釣り書きを捉えた。すっと細められた目から好意的な感情は窺えない。彼女を一生守るだけなら父や兄で足りるが……。ふぅと大きく息を吐き出したクロードは扉を閉め、風に吹かれて落ちた数枚の書類を拾った。
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