31.どうせ一度きりの人生のはず

 前回の騒ぎは個人の記憶ではなく、人々の口の端に乗っている。王家に与したことがここまで悪く働くと思わなかった。あの当時は家を存続させ、他国へ逃げる資金が必要だった。王家に胡麻を擂り、滅びる彼らには不要な蓄財を放出させる。その金が血税だと知りながら、自分達のために使った。


 逃げる先の近隣国からことごとく、受け入れを拒否された。そのため逃げる選択肢を捨てたのは、いつだったか。手元に残ったのは王家から巻き上げた金と、愚かな主君のみ。貧乏男爵家の三男がエナン男爵家へ養子に入り、当主となった。今では王家を支える重鎮扱いなのだ。


 どうせ一度きりの人生。高位貴族が高みの見物をしている隙に、贅沢をして遊び尽くしてやろう。滅びることが確定すれば、未来を悲観する気持ちは消えた。死ぬまでに手元の金を使い切れば、それで人生終了で構わない。家族が希望する物を何でも買い与え、贅沢な食事を振る舞った。


 足元で飢えている民を気の毒に思うより、うまく立ち回れない平民に生まれた連中の不運を笑った。次に生まれ変わるとしても、また貴族に生まれたいものだ。仲間と空けたワインが最後の晩餐だった。翌朝、我々は家に踏み込んだ公爵派の貴族により粛清され……。


 記憶を持ったまま過去へ戻ったことに、青ざめた。一度きりの人生だから好きに出来た。過去へ戻ると知っていたら、慈善家のように振る舞っただろう。民は我らを恨んでいる、誰がこの屋敷を襲撃してもおかしくない。そう考えたら恐ろしくなった。


 貴族として生まれたいと願ったが、これなら記憶のない平民の方が良かった。家の中で震えていたのは3日ほど、部屋の扉をノックしたのは武器を持つ騎士や平民ではなく娘だ。そっと隙間から確認して、入室を許可する。


「お父様、前回の失敗を悔いておられるなら……今回はすべてを投げ打つ覚悟を決めてください。お気づきでしたか? 私もお母様も、前回のお父様の振る舞いに眉を顰めておりました。私は考えたのです。何でも買ってもらえるなら、と店を強請りました。あの店で炊き出しを行い、無料で民に振る舞う。血税は民のために使われるべきでした」


 切り出された話に目を見開く。たしかに店が欲しいと強請られた。その時は洋服やジュエリーの店であろうと思い、深く考えずに金を払ったが。そんなことが?


「使用人達に前回の記憶はありません。ですが、彼らも前回は店の運営に手を貸してくれました。休みの日に無料奉仕に出てくれたり、多めに仕入れた食材を余らせて回してくれたり……ご自分のために使われたのは、お父様だけです。今回は心を入れ替え、償ってください」


 そう締めくくった娘の眼差しは真っすぐで、彼女の前に立っている自分が恥ずかしくなった。こんな男の娘として生まれ、贅沢もさせてやれず……最後だと思って買い与えた物さえ、自分のために使わない。立派に育ててくれた妻への感謝と詫びの気持ちが胸を締め付けた。


「フォンテーヌ公爵閣下に、お詫びと恭順の意を示した手紙を送ろう。仲間にも声を掛ける。まずはそこからだ」


 認められないとしても、全財産をこの国のために提供する。爵位も捨てて平民でいいじゃないか。こんなに素敵な娘と妻が手元に残るのだから。

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