9.私、愛されているのよ

「顔色が悪いな、休んだ方がいい」


 兄シルヴェストルの促しで、私は立ち上がる。ふらついた体を支えるように、歩み寄ったお父様が肩を抱き寄せた。こんなに近くで触れたのは、本当に久しぶりで緊張する。


「明日また話をしよう、そのドレスはもう脱ぎなさい。処分しておく」


 二度と着なくていい。父クロードの声に、なぜかほっとした。贈り物をした王家に見せずに処分すると言い切る響きは冷たいのに、私は愛されていると感じる。


「ティナには淡く優しい色が似合う。明日にでも仕立て屋を呼ぼうか」


「それはいい」


 話が決まったところで、兄と腕を組んで部屋に戻る。本当に王太子に顔見せしなくていいのか、不安になった。それでも表情は動かないけれど。


「安心しろ、文句は言わせない」


 シルお兄様が仰るなら平気なはず。自分に言い聞かせて頷いた。部屋に戻った私は窮屈な赤いドレスを脱がせてもらい、侍女の手でコルセットを外す。解放された体が、怠さと疲れを訴えた。


 屋敷で普段から身に纏う裾の長いワンピースではなく、寝る時の部屋着を用意される。結い上げた髪が解かれ、身につけた宝飾品も全て片付けられた。侍女アリスがベッドへと誘う。素直に横になったところで、兄が顔を見せた。鋭く切長の緑の瞳が、とろんと優しく私を映す。


「まだ貧血が酷い時期だったな。無理をさせて悪かった。明日には甘い薬も手配するから、ゆっくり寝なさい」


 頷いた私は、ベッドサイドの椅子に腰掛けた兄の手を握る。貧血が酷かった13歳の私の手は冷たい。温めるように、シルお兄様の手が包んだ。


 気持ちいい。人の手の温もりって、こんなに安心できるのね。


「眠るまで、いて?」


 こんな我が侭を口にしたら、怒られるだろうか。公爵令嬢として18歳まで育てられた私の記憶が、これはダメだと告げる。口にした言葉を後悔しながら手を引こうとした。しかしシルお兄様は離さない。逆に顔を近づけて、手を頬に当てられた。


「もっと我が侭を言いなさい。怖がらなくていいよ。父上も俺もティナの味方だ」


「いいの?」


 記憶があるのに、子どもの振る舞いが許されるの? 濁して問うた私に、シルお兄様は柔らかく言い聞かせる。


なんだ、甘えるのが仕事だよ」


 驚いた表情のアリスを見ながら、私は目を閉じた。目の奥が熱くて、涙が出そうだったから。こんな風に感情が動くのは久しぶり……お母様が生きていたら、こんな風に手を握ってくれたかしら。


 懐かしい、幸せだった頃の夢が見られそう。ゆっくり深呼吸して、指先に感じる温もりに意識を集めた。ゴツゴツとした指のタコが触れて、兄の努力に思いを馳せる。前回の私は、いつも後ろ姿を見つめていた。


 どうせなら、お母様が生きている時まで遡れるならよかったのに。あの日の事故をなかったことに出来たら、私は今も笑顔で家族に甘えていたでしょう。お母様はもういないけれど、お父様とお兄様は私を嫌っていない。愛されたいと願い続けた前回の私に、教えてあげたいわ。


 私、愛されているのよ。

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