毎晩ベランダからとある人がたばこを吸うのを感じながら、色々妄想していました

@Shiba_Ryunosuke

第1話

 大学生という身分はやけに中途半端である。学問には浅く、社会的なことも深く知らない。経済的な自立はないが、一人暮らしは出来る。出来ると思っていることはたくさんあるが、本質的なものを知るにしては、時間という不可逆に阻害されている。そんな身分だ。


 大学生、というか僕は暇というほど暇ではないのだが、忙しいとは到底言えない。遊ぼうと思えばいつでも遊べるが、常にレポート課題は溜まっている。ここら辺も中途半端である。


「明日遊べる?」


「ん~課題があるからなあ」


「いや、いけるでしょ」


「うん、まあ」


 といったところだ。気分次第では「いや、今回はやばい(笑)」とかいう嘘をついてただ単に遊びたくないことを誤魔化すこともある。身勝手な身分だ。ほんとに。

 いや、それは大学生じゃなくて、お前の話だろって?

 やめろ。泣いてしまうぞ。僕が。せめて大学生という身分を言い訳に色々しないと、もともとカビの生えていた自尊心が腐る。


 大学生は昼夜逆転が必修科目である。もちろん嘘であるが、誰もが昼夜逆転を体験するのがこの大学生だろう。


 日が変わろうとしている。僕は全く眠気を感じないまま、灯りの付いたベランダで漫画を読む。蚊取り線香の匂いと、肌にまとわりつく汗。夜だって夏は感じられる。なんだか少年漫画を読んでいると活気が沸いてきて、今からランニングでもしようか迷っている。なんならこの4階から飛び出して「待たせたな」と言わんばかりにどこかで襲われている人に螺旋丸をぶっ放したりして。


 今はランニングマンをしている。本来ならばグリーンバックに伊勢神宮を合成してランニングしたいところである。あそこの空気は本当に素晴らしい。体感、酸素が2割増しで死ぬ気がしない。日本神話はさほど知らないが、なんかつよい神様が味方してくれている気がする。それだけで満足する。しかし僕はアマテラスを敵に回すほどの肝は据わってない。風遁螺旋手裏剣が出来ればまだ太刀打ちできるかもしれない。


 ちなみに一人暮らしだと全裸ランニングマンをすることもあるのだが、鏡の前で自分の姿を見たことがある。警察を呼んだ方がいいと思った。そして、こんな僕が夕方の、オレンジとも赤とも言わせない、唯一無二の綺麗な夕焼けを浴びながら平然と都会をブラブラしていると思うと滑稽だった。今は睾丸をブラブラさせているというのに。まあそれは発情期のあらゆる生物と同じか。奴らのように不純でないだけ僕の方がましだろう。


 ああ良い感じに疲れた。これも大学生の特権だと思う。高校生のときは疲れていても翌日提出の課題に追われていた。きっと社会人になったって同じだろう。スタミナを20%ほど残して達成感だけ味わうことができるのが大学生の特権なのだ。


 ベランダに戻る。今度は恋愛漫画でも読もう。しかし、恋愛漫画は大体昼が舞台だ。学園ものはそりゃあみんな普通制の高校なんだから昼が舞台だ。通信制の高校の恋愛ものがあったならそれはSNSの会話のシーンがほとんどで「小説でよくね?」と思わざるをえないかもしれない。遅刻しそうな女の子はパンではなくスマホを加えていそう。それならとんでもない顎をしていそう。城ノ内超えそう。ワニに顎一つで勝負できそう。話は戻るが、通信制の高校恋愛物語は率直に面白くなさそう。

 夜間学校だったらどうだろう。うーん。なんかけしからん展開になりそうだな。学校にいる間はパヤパヤした恋愛漫画特有の展開が描けそうだが、放課後になったとたん、パヤパヤというか、パンパンというか。それかコンプライアンスの波にのまれて、死ぬほどそっけない話で終わりだろう。


 漫画を開けば遅刻しそうな女の子がパンを咥えて走ってくるシーンを見る。これって、無駄すぎるマルチタスクだよね。というかマルチタスク自体、認知行動の分野では推奨されてないらしいよ。非合理的だよね。僕ならパンは1限目にひっそりと食べるよ。早弁の能力は将来の内職にきっと役に立つと思っている。馬鹿だよね。あとパンパンとかパンとかややこしくなってごめんね。

 というかこれ、男の子のバージョンはないのだろうか。僕は見たことがない。それならば女の子のステレオタイプの中に「遅刻時はパンを咥えがち」があるかもしれない。これはジェンダー問題ではないだろうか。違うと思う。ともかくも、いつか男の子バージョンが登場することを切に願う。焼きそばパンをくわえて猛疾走する50m走6秒台の少年。なんと美しいだろうか。それで曲がり角を曲がってきた女の子に背面跳び。そのジャンプ姿勢の曲線美に女の子は惚れてしまうんだ。「きゃっ!y=x^2だわっ!!」とかいって。


 話が逸れてしまったが、僕が伝えたいのはここからの時間だ。


 徐々に強くなっていくニコチンの匂い。複雑な思考が詰まったニコチンの匂い。きっとたばこを吸っている人は、色んな考え事を吹っ飛ばしているのだと思っている。僕は未成年だから吸えない。あまり吸いたいとも思わない。


 隣の伊吹さんは午前1時前になると決まってベランダにたばこを吸いに来る。伊吹さんは帰宅時のスーツ姿からOLだと思われる。今の時期はみんなマスクをしているものだから容姿はすべては分からないけど、顔の輪郭は丸っぽくて、目は垂れ目。いつもアイシャドウがいわゆる地雷系っぽくてどこかメランコリーである。大体20代の真ん中くらいだと思う。そんで、華奢というよりは女の子っぽい健全な体格だと思う。髪型はショートからロングになってまたショートになる。どんな人なのかは、午前1時前にベランダでたばこを吸うということしか分からない。あとは声。高い方だと思うが、どこかだるっぽい声だと思う。


 そんな伊吹さんは私にとって異世界人として映った。それは畏敬とも言えよう。触れられない、触れてはいけない、美しさがそこにあった。


 さて伊吹さんは今たばこを吸っている。きっと彼女は引きこもり族だと思う。僕と同じシンパシーを感じるのだ。引きこもり族は外に出ると不自然が際立つ。普通の人からすると目にもとめないことを気にしてしまう。僕と伊吹さんは部屋の前で声が出ているのか分からないくらいの挨拶しかしないが、それでも十分なほどシンパシーは伝わる。きっと向こうにも伝わっている。


 繰り返すが、伊吹さんは隣のベランダでたばこを吸っている。


 ニコチンの匂いは色に例えるなら黒。やっぱり忘れたいこと、面倒な考え事が詰まった匂いがする。


 仕事がうまくいかないのだろうか、人間関係だろうか。


「いやー、本当に最近寝れなくて」


 といいながらなぜかどや顔の上司。


「ああ、それは大変ですね」


 としか応えようがない。


「そうなんだよ、伊吹さんは最近どう?うまくいってる?」


「はい、大丈夫です」


 上司の目の色が変わる。


「ほんとお?困ったら言ってよ。あ、今度飲み会行かない?」


「え、あ、」


 __とか。

 最悪だろうな。勝手に向けられる色目って気持ち悪いんだよな。引きこもり族は特に人からの視線を嫌うからな。セクハラとも見て取れるけど、大抵の若者とオスは誰かをそういう目で見てるから、見えないセクハラは女にも男にも無限大に存在しているからなあ。あ、僕は違うと思う(トーン高)。でも僕は僕でそういう人々を蹴散らすように眺めているから悪いよね。


 またたばこの匂いがした。きっといま息を吐いたのだろう。なんとなくだけど、伊吹さんの呼吸のリズムが伝わるような感覚がする。


「えー、伊吹さん外とか出ないの?」


「はい・・・」


「出たらいいのに~、かわいいのに~」


「いえ・・・」


「ゲームするくらいなら、もっと男吊るとかさ、そっちのほうが向いてるって」


 他人に向き不向きを決められるのは辛い。友達なら分かるが、そこら辺の人間Aに気質を決められるのは辛い。というかなんで20代らへんの人間は勝手に恋愛が優先順位のトップだと思っているのだろう。こういう人達は人間に性別という概念が無かったら何をしているのだろう。僕の中では恋愛と性欲は繋がっていて、恋愛の話はもう合法な性欲の押しつけ合いにしか聞こえないんだよね(甘えるという名の傲慢さも目立つしね)。もちろんそうでない聡明なカップルもいるだろうけど、これは少数というか絶滅危惧種だろう。それに恋愛体質の気持ちが分からないのは引きこもり族の宿命だと思う。現段階の僕の語彙力ではパヤパヤとかいう貧弱な言葉くらいでしかこれを形容できないのが引きこもり族が恋愛に向かない一つの証拠だね。


 ちなみに勝手に「ゲームをするくらいなら」という台詞を妄想したが、伊吹さんがゲームをしているのかは知らない。でもしてると思う。以前に壁の向こうから大音量の音楽が漏れてきたことがある。滅多にないことだったからとてもびっくりして綿棒を結構耳の奥まで突っ込んじゃったけど、音楽をよく聴いてみたらドラクエ8のボス戦の曲だったんだ。いや~渋い、渋いよね。そこにしびれたよね。伊吹さんは多分、ドラクエを3作品以上はやってる。でないとあの曲を普段聴くことはないと思う。知らんけど。


 たばこの匂いに集中する。


「この書類やっといてほしいんだけど」


「はい!」 


 とか威勢よく言っているけど、私もう本来のタスク終わったよね?君、終わってないよね?「手伝って」とかなら分かるよ。やっといてだと?


いやでぇ~~す(渾身のブス顔)。


とはもちろん言えず、今日も私は残業、キーボードにタイマンを張るのだった。


 とかなら僕が駆けつけて手伝うのになあ。


 妄想空間では僕はもうこれ以上にないくらいいい人だからね。たまにクズになるけど、これはこれでカタルシスの代償、すぐにいい人に元通りなんだよ。あと、伊吹さんの渾身のブス顔も見てみたいね。ときめき係数が上振れ過ぎて不整脈で死んでしまうかもね。死因に不整脈じゃなくて伊吹さんって書いて欲しいな。なんかそっちのほうがロマンチックじゃない?違う?キモい?伊吹さんに殺されたみたいになっちゃうかな。まあ9割はあってるんだけど。というか勝手に伊吹さんの一人称を私にしたけど、本当はなんと言うのだろう。「わたくし」?「うち」?名前の可能性だってあるな。「ぼく」ならそれはそれで良いな。

「ワシ」…。ネット掲示板かニコニコ動画を見ていたことがほぼ確定するな…。とりあえず事実が判明するまでは「わたし」でいこうか。(朕の可能性も考えたけどさ、今って令和なんだよね。伊吹さんがタイムスリッパー、朝鮮の偉い人だということが判明するよね。すごい!)


 さて、ここまで僕の妄想に付き合って貰ったけど、これからも付き合ってほしいんだ。唐突で申し訳ないね。僕の話が不快でなければ、もっと聞いて欲しいな。最近は毎晩、隣のベランダから漂うたばこの匂いに想像してしまうんだ。そうでないと、この時短営業、友達とも遊べない引きこもりのシーズンを生き抜けない。僕は引きこもり族だけど、人恋しくなること、ふと外に出たくなることがある。人間として当然だろ?それすら出来なくなりつつあるんだ。


 たばこの匂いが止まった。伊吹さんは1本だけたばこを吸って、まもなく部屋の電気が落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

毎晩ベランダからとある人がたばこを吸うのを感じながら、色々妄想していました @Shiba_Ryunosuke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ