後編

 ディスティニーは選ばれた人間である。転生者として生まれ、選ばれし人間として育った。……そしてまた今回の件も、ディスティニーは「選ばれた」側だと言える。


「おはよう、ディスティニーちゃん」

「おはよー」


 鬼気迫る表情で、まるで狩りにでも出かけるような顔で、ディスティニーの部屋を開けたルナリィの面影はどこにもない。大人っぽく落ち着いた印象のある美女は、今や恋する乙女の顔をしてディスティニーにとろけるような熱視線を送る。


 当然のように隣に立つ儚い系美少年の顔をしたシルバーは、内心で面白がっていることは明らかだった。究極ののんびり屋で気まぐれな彼は、また愉快犯的側面をも持ち合わせているからだ。その側面がディスティニーを今の状況へと追いやる一因を作った。


「ハア……今日も素敵な匂いね……♡」


 ディスティニーがシルバーにちょっかいをかけ、それを面白がったシルバーはディスティニーを構うようになり、それが原因でルナリィはディスティニーの寮室へと殴りこみに行った。そして彼女は出会ったのだ。己の運命ディスティニーと……。


 ディスティニーの部屋に充満していた、彼女特有の体臭。それはルナリィの好みド真ん中を撃ち抜いて、彼女に即堕ち二コマをキメさせた。


 まさか、彼氏に秋波を送っていた女の体臭が、己の好みド真ん中であったとは、ルナリィは予想だにしなかったので、それは完全な不意打ちだった。


 ディスティニーにとってもそうだ。かの乙女ゲームではシルバーの個別ルートに入ると、彼のセフレなんだかそうじゃないんだかよくわからないモブ女に敵視されるシーンがある。それはもちろん、ディスティニーもよく知っていた。だから、そのうちそういう展開になって、シルバーがそこから己を選んでくれるんじゃないかと夢想していた。


 けれども現実にはルナリィはシルバーの正式な恋人で、将来を誓い合った仲だった。ディスティニーは完全な横恋慕のお邪魔虫だったのだ。


 これにはさしものディスティニーもびっくりした。乙女ゲームの設定と違うやんけ、と思った。同時に少しだけシルバーには失望した。ディスティニーにとって逆ハーレムはアリだが、浮気や不倫や略奪はナシであったからだ。


 ディスティニーは少しだけ冷静になった。


 けれどもまるでそれに呼応するかのように、ルナリィは冷静さを失った。


 意識を取り戻したルナリィは、発情しきったメスの顔をしてディスティニーに迫ったので、レテが再び眠らせた。ディスティニーはこのレテという先輩にだけは逆らうのはやめておこう……と心に決めた。


 そして……ディスティニーの悪夢の日々が始まりを告げる。


 かつてディスティニーが攻略対象にそうしていたように、彼女はルナリィに追いかけ回されるようになったのだ。


 しかも相手はオオカミの獣人。脚力で普通の人間が勝てる相手ではない。よってディスティニーは細心の注意を払って行動するようになったのだが、ルナリィは己の人脈と勘と脚力を駆使して彼女を追い詰めて行った。


「そろそろ排卵が近いのね……今はそういう匂いがするわ」


 ルナリィはシルバーに聞こえないようにディスティニーに囁く。そんな気遣いをするくらいだったら、まずその変態的なセリフを言い放つ前に見直してくれと、ディスティニーは鳥肌を立てながら心の中で悲鳴を上げる。


 ルナリィはディスティニーに会うたびに、その小さな鼻の穴いっぱいにディスティニーの体臭を取り込もうとする。ルナリィにとってディスティニーの体臭はネコに対するマタタビのようなものらしい。しかしディスティニーの体臭を嗅いで、その婀娜あだっぽい美貌をとろけさせる様は完全に変質者だった。


 ルナリィ曰く、ディスティニーの体臭はどんな今までに嗅いだ香りよりも素晴らしいとのことだ。もちろん、獣人ではないディスティニーにはその素晴らしさはさっぱりわからなかった。シルバーもルナリィと同じオオカミの獣人だったが、ディスティニーの体臭を特別好んでいるわけではないことは明らかだった。


 そう、これは運命なのだ。ルナリィの遺伝子が、ディスティニーの遺伝子を求めているのだ。ルナリィの本能がディスティニーを選んだのだ。ディスティニーはまたしても「選ばれた人間」となったわけである。……今回ばかりは当の本人はまったく喜んでいないどころか、迷惑千万といった心境であるという違いはあったが。


「シルバー先輩! ルナリィ先輩を止めてくださいっ!」

「え? ムリ」


 ルナリィはディスティニーを追いかけ回すようになったが、別段シルバーと恋人関係を解消したわけではない。そしてシルバーもルナリィがディスティニーに対して日夜――ルナリィ自身が意図としていないところではあるが――ハラスメント行為に励んでいるのを止めもせずに傍観している。否、面白がっている。


 自分の彼女が他の女にうつつを抜かしている状況は、普通の男であれば面白くはないだろう。それどころか不愉快に思い、喧嘩をしたっておかしくないはずだ。ディスティニーのゼロに等しい恋愛経験値からでもそれくらいのことは想像できる。


 しかしシルバーは究極ののんびり屋。そして愉快犯の側面を持つ。そんな彼からすればルナリィに翻弄されるディスティニーの姿など、サーカスの出し物のようなものであった。


 むしろ恋愛感情ナシに好ましいと思っている相手と、珍しいオモチャが絡んでいる姿を楽しめるとあっては、見逃さない理由はなかった。それはさながら、お子様ランチのプレートのごとし。好きなものと好きなものが掛けあわされれば、それは「最強」で「最高」ってやつなのだ。


 それにシルバーは本質的には怠惰であるので、ディスティニーに会えば興奮状態となるルナリィを止めるのは面倒くさいことこの上なかった。あとあと、ルナリィに苦情を申し立てられたり、それによって関係がこじれるのは面倒くさい。


 だから、シルバーはディスティニーに泣きつかれても笑って流しているのだ。ルナリィと同じくらい、シルバーもまた厄介な性質の獣人なのであった。


 ルナリィを止められそうなシルバーにバッサリと切って捨てられたディスティニーは閉口する。


 他にルナリィを止められそうな人間は、彼女の同級生でディスティニーの同寮の先輩であるレテくらいだ。しかしレテもまたシルバーと似たような人間であることをディスティニーは直感的に悟っていた。レテの前に札束を積み上げても、きっと彼女は「面倒くさい」と言って肩をすくめるに違いなかった。


 そしてシルバーとレテ以外に、ルナリィを止めてくれそうな人間にディスティニーは心当たりがなかった。


 ディスティニーには友達がいない。攻略対象へのあからさまなストーカー行為のせいで、教師の心証も悪い。


 対するルナリィはオオカミらしく群れを作るのは上手いし、かなり顔も広い。教師の覚えもめでたい優等生。あらゆる意味でディスティニーが太刀打ちできるような相手ではなかった。


 おまけにルナリィがディスティニーを追いかけ回すので、教師たちの懸案事項であったディスティニーによる男子生徒へのストーカー行為は鳴りを潜めている。ルナリィを相手にするので精一杯で、攻略対象にコナをかける暇がないのだ。


 シルバー以外の攻略対象たちは平穏を得て、教師たちも仕事がひとつふたつ減る。


 完全な孤立無援、四面楚歌。ディスティニーの味方は存在しないのであった。


 ルナリィが変質者化して困るのはディスティニーだけ。自分本位に振舞って、散々周囲を困らせたディスティニーが文句を言っても、周囲は特に文句がない。天網恢恢疎にして漏らさず。因果が巡っただけの話である。


「あーん! なんでこんなことに~~~???!!!」


 ディスティニーの悲鳴が、朝の爽やかな青空にこだまする。


 そのことによって微妙にディスティニーの体温が上昇し、体臭が強くなったことを喜びながらハスハスと匂いを嗅ぐルナリィ。


 そんなルナリィとディスティニーを面白げに見ているだけのシルバー。


 この悪夢のような光景は、これから何度も繰り返されることになるのであった……。

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オオカミ獣人の私が、彼氏が最近気に入っているらしい異世界転生ヒロインのもとへ殴り込みに行った結果 やなぎ怜 @8nagi_0

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