中編

 ディスティニーは選ばれた人間である。


 ディスティニーは異世界からの転生者である。元の世界ではどこにでもいる冴えない女の子だったが、生まれ変わったこの世界では違う。


 この世界では、ディスティニーのような転生者は少ないが、ものすごく珍しいというわけでもない。常に一定数存在する転生者たちは、神からの預言と不思議な力を携えて生まれてくる特別な人間という認識を抱かれている。


 だから、ディスティニーは神によって選ばれた、特別な人間なのだ。


 ディスティニーが生まれた小さな山村でもそのように扱われた。転生者というだけで崇められ、敬われた。


 両親もそうだった。最初はメアリーというありふれた名前を与えられたが、転生者とわかるとディスティニーという名前に改められた。


 そういった環境がディスティニーを傲慢にし、増長させた。同年代の子供たちはディスティニーを疎み、恐れたので彼女は孤独だったが、「選ばれた人間」という甘美な言葉に酔い痴れる彼女にはそんな仕打ちもへっちゃらであった。


 更にディスティニーの傲慢さをエスカレートさせたのは、転生前の記憶にある。転生者であることを思い出してから数年後、ディスティニーは新たな記憶を思い出したのだ。


 ――この世界は、前世親しんだ乙女ゲームに似ている……!


 だれもこの世界が乙女ゲームに酷似しているなどとは言った記録はないらしい、ということもディスティニーは知った。同じ転生者と会話をする機会があったときも、そんな話題は微塵も出なかった。


 ――つまり、己は選ばれた人間なのだ。


 ディスティニーは強くそう思い込み、己は選ばれた人間――すなわち世界の主役、ヒロインであると考えるようになった。


 きっと、これは転生特典ってやつなのだろうとディスティニーは思った。きっと、冴えない人生を送ってきたわたしへのプレゼントなんだろうとディスティニーは思った。……それらを訂正するものはなにも存在しなかった。


 生まれ持った珍しい光属性を開花させると、王都の学園へ入学が決まった。これはディスティニーの知る、その乙女ゲームの導入と非常に酷似していた。ディスティニーはますます増長し、浮ついた気持ちで、なにもないさびれた田舎の生まれ故郷に別れを告げた。


 学園には生まれ故郷にいたような野暮ったい男子は少なく、ディスティニーは目移りする気持ちで男子生徒たちを見た。まるで、初めて宝石を目にした女の子のようだった。


 かの乙女ゲームの攻略対象と呼ばれるキャラクターと似た男子生徒はすぐ見つかった。やはり、乙女ゲームで攻略対象に設定されているくらいなのだ。容姿は周囲より図抜けていたから、この巨大学園でも見つけるのは容易だった。


 そして今のディスティニーは己をヒロインだと思い込むくらいであったから、容姿は可憐だった。黄金の小麦畑を思わせるウェービーロングに、アクアマリンのような青の瞳。肌は陶磁器のようにすべらかでシミひとつない白。桜色の小さな唇はどこからどう見てもキュートだ。


 冴えなかった平凡な前世とは違う。まったく違う。容姿だけでも勝ち組人生は確実だ――。ディスティニーは鼻息荒く攻略対象に近づいた。


 ――こんな美少女なんだもの、微笑むだけでみんな惚れちゃうよね?


 それを他人ひとは「思い上がり」という。満面の笑みを浮かべしなを作り、ちょっと褒めそやせばコロリ……というのがディスティニーの想定……もとい、妄想はなはだしい展開であった。


 ディスティニーは前世は冴えない女だった。男とは縁がなかった。友人も多かったわけではない。恋愛の「れ」の字にも恵まれなかった。だから、彼女は美少女の人生はそれだけでイージーモードなのだという大いなる思い違いをしていた。


 加えてうかつなディスティニーは、相手がどうやって得たのか想定できないようなパーソナルな情報を口にしてしまうことも多々起こす。そうなれば彼女が攻略対象と呼んだ男子生徒たちは、当然の帰結としてディスティニーを気味悪がった。


 それでもディスティニーはめげなかった。気味悪がられているのには気づかなかったわけではないが、巻き返せないほどではないという考えに至り、ストーカーのごとく付きまとうようになったのだ。


 ――だって、こーんな美少女に言い寄られてうれしくない男はいないでしょう?


 ……ディスティニーは前世は冴えない女だった。男とは縁がなかった。友人も多かったわけではない。恋愛の「れ」の字にも恵まれなかった。だから、このように激しい勘違いをしたまま突っ走っている状態だった。


 ディスティニーは今世では美貌を手に入れたが、中身は冴えない女のまま。「選ばれた人間」だという傲慢な態度を取っていたので、友人もいない。ディスティニーも特に必要だとは感じていなかった。


 だから、彼女の勘違いぶりを指摘してくれるような優しい人間や、親切な人間はどこにもいなかった。


「勘違い残念美少女・ディスティニー」。それが学園での己の呼び名だということを教えてくれる人間も、ひとりとしていなかったわけである。


 しかし世の中を構成するのは常識人ばかりではなく、奇人変人と呼ばれる人間がいるもので。


「ディスティニーちゃんって面白いねー」


 ……などと、他人――特に学園の男子生徒――からすれば血迷った言葉をディスティニーにかけたのは、「究極ののんびり屋」などと呼ばれるオオカミ獣人の男子生徒・シルバーだった。


 ディスティニーは喜んだ。「おもしれー女」フラグが立ったと思ったのだ。


 かの乙女ゲームで攻略対象であるシルバーは気まぐれなのんびり屋で、セフレと言えなくもない女子生徒が複数いるという、だらしない性格のキャラクター。


 それだけを抜き出せばお近づきにはなりたくない御仁であるが、シルバーは見た目は儚い系美少年である。加えて、好感度を上げて行けば意外と一途でこまめに熱烈に愛をささやいてくれるようになる。そんなギャップにやられたプレイヤーは多く、複数いる攻略対象の中でも人気はトップクラスであった。


 ディスティニーの最推しはシルバーではなかったが、「成果」が得られない状況に陥っていた彼女は、そんな彼の言葉に飛びついた。


 ――シルバー先輩ならオトせる……?!


 そんな悪魔の囁きに屈したディスティニーは、最推しをひとまず放置してシルバーに秋波を送ることにした。


 シルバーはまんざらではない……というような態度は、意外にも取らなかった。どちらかと言えばディスティニーのことは女としては見ておらず、物珍しいオモチャとしか認識していないようだった。


 それでもディスティニーは構わなかった。シルバーは軽率にディスティニーのことを「面白い」とか「可愛い」とか言ってくれたので、彼女はそれだけで舞い上がった。なにせ、前世は男に縁のない冴えない見た目の女だったのだ。他人からすれば見事なチョロインであった。


 が、そんなことはディスティニーにとってはどうでもいいことである。重要なのは攻略対象であるシルバーが自分に興味を示してくれている今の状況。ここから、恋仲に持って行けたならば、甘々いちゃいちゃ生活が待っている――。そんな邪念の元にディスティニーはシルバーとじゃれあった。


 だから、気づかなかったのだ。ここはあくまで乙女ゲームに酷似した世界であって、そのものではないということ。


 シルバーはだらしのない性格で、仮に恋人がいても他の女と遊べるということ。


 シルバーにはゲームの中とは違って、既に恋人と呼べるような相手がいるということ。


 そのことをわざわざ耳打ちしてくれるような相手がいないということ――。


 ディスティニーはそれらに気づかなかった。だから自他ともに認めるシルバーの恋人であるルナリィが殴りこんでくる、という結果になったのだ。


 しかし。


 しかし、これはだれも予想しなかっただろう――。


「――え、だ、だれ?!」


 勢い良く部屋の扉を開けた少々婀娜あだっぽい、アダルティな雰囲気を纏った美女ことルナリィ。


 ルナリィは振り返ったディスティニーを見て目を見開いた。そしてハッとした顔のまま口元に手を当てる。


 半分隠されたその顔は、みるみる赤みを増して、ついには首まで朱色に染まった。


「やだ、この匂い……! タ、タイプ……!」


 甘くかすれ、とろけた声でそう言うや否や、ルナリィはその場で卒倒した。


 残されたディスティニーはわけがわからず、異変に気づいた先輩のレテがやってくるまで、しばし呆然とルナリィを見下ろすしかなかった。

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