1-21 水を汲む日々 (1)

「セイナ、どうする? ほぼ丸二日暇になったわけだが」

 宇宙船に於いて、船員の仕事の大半は方針を決めることと、通信への対応、不測の事態が発生した場合の対処である。

 ほとんどの実務作業は、AIに任せておけば全てやってもらえるため、基本やることがない。

 つまりは、タンクが満タンになるまでは、完全にフリーなのだ。

「そうね……フィーは休日、何してた?」

「俺? 基本的にはバイトと勉強だな。宇宙船員の訓練校、結構大変なんだよ……。途中でついていけなくなって退学する奴も結構いるんだぜ?」

「ま、狭き門よね。でも、おかげで今こうして何もしていなくてもお金が稼げる」

「その通り。頑張った結果だな。セイナは?」

「私? 私もあんまり自慢できる休日じゃなかったなぁ……。疲れているから、寝て過ごすことも多かったし……」

 まだ若いのに、なんだか疲れた目をして遠くを見るセイナ。

 つまりはフィリッツとセイナ、二人して大した休日を過ごしてこなかったということである。

 もっとも、どちらも勉強と仕事が原因なので、十分に同情の余地はあるのだが。

「ま、セイナ、もう軍は辞めたんだ。これからは余裕を持って休日を過ごせるぜ? むしろ、勤務中も休日みたいなもんだぜ? ――船からは出られないが」

「そうよね! でも、いざ暇になると何をすれば良いのか……」

 セイナは首を捻って、ワーカホリックみたいなことを言う。

 だが実際のところ、フィリッツもそれは同じで、訓練校時代の六年間、遊んだ記憶はあまりなかったりする。

「――中等教育のころ、俺たち何してた?」

「……ゲーム? ショッピングするような余裕はなかったし」

「そんな感じだったか」

 セイナが口にしたとおり、フィリッツたちは中等教育のころ、友人同士で集まってコンピュータゲーム以外にも、カードゲームやボードゲームなどで遊んでいた。

「……あれら、まだ実家にあるのか? 捨てた覚えはないが」

「トランプ程度ならどっかにあったと思うけど、二人でやってもね」

「なぁ、セイナの同僚はどんなことをしてた? 社会人先輩として、ここは一つアドバイスを!」

「え? 休日はだらけていたと言った私にそれ訊く?」

 『マジで?』みたいな顔でそう言いながらも、首を捻って考えるセイナ。

「アクティブな子はサイクリングやトレッキング、スキューバとか……旅行好きな子も結構いたわね。このへんは軍人じゃない子たちだけど」

 軍人の場合、休暇自体はそれなりにあっても、長期の休みは取りにくく、行動に関する制限も多少ある。

 それ故、頻繁に旅行に出かけることも難しい。

「あとはショッピングやテーマパーク、映画鑑賞。スポーツは軍人にも人気だったわよ。軍の施設が自由に使えたから。軍人は読書とか、勉強、ゲームなんかの趣味を持っている人も多いかな。有事に即応できるように」

 色々な趣味を上げるセイナだが、宇宙船内でできる趣味となればある程度は限られる。

 読書や勉強なら、PNAで本や講義動画が買えるが、旅行やショッピングは難しい。

 スポーツやテーマパークは、不可能ではないが……。

「……これはアレだな。客室エリアの娯楽施設、本気で稼働させるか?」

「えー、映画館はともかく、他の施設を二人で使うのはどうなの? お金の無駄じゃない? それに大半の施設は、店員とか、アクターがいてこそだし」

「うっ……そうか。利用者、二人だもんなぁ」

 セイナの呆れたような言葉に、フィリッツは見取り図を呼び出して眺める。

 現状では何もないが、見取り図上の娯楽施設は劇場やショッピングモール、バーやカジノなどがある。

 だが、ショッピングモールに商品を並べても、自分で買った物を並べて更に買う、みたいに訳の判らない話になるし、劇場を稼働させるには劇団を雇う必要があり、これまた非常に無駄である。

 バーやカジノはサポートロイドを使うことでなんとかなるだろうが、やる意味があるかと言えばこれまた微妙だろう。

 フィリッツは航行中に酒を飲むつもりはなく、自分で運営している以上、勝っても負けても何の意味もないカジノでは面白さも半減以下だ。

「遊園地には少し憧れるけど……さすがにそれは無駄遣いが過ぎるでしょ」

「二人だからなぁ。フィットネスルームやスポーツ施設……は船員エリアにもあるな。こっちは設備揃っているのか? サクラ、そのあたりどうだ?」

『船員エリアの施設に関しては、少人数であれば対応可能です。五名を超える場合は道具の買い増しが必要になります』

「そうか、ありがとう。ってことだ、セイナ。運動で時間を潰すのが良いんじゃないか?」

 金もかからないし、と言ったフィリッツにセイナは頷きながらも、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。

「そうね、それも悪くないけど、私としては勉強をしたいかな? フィー、会社をやって行くには色々と足りないものがある、って思ったんじゃない?」

「うっ……否定できない」

 セイナに指摘され、フィリッツは言葉に詰まる。

 中等教育から宇宙船員訓練校へ進んだフィリッツと、高等教育へ進んだセイナ。

 専門分野である宇宙船に関しては十分な知識があるフィリッツだが、ゼネラリストとしてみれば、確実にセイナに劣っている。

 そして経営者としてどちらが向いているのかといえば、スペシャリストよりもゼネラリストであるのは間違いない。

「どうせ一週間近くすることないんだから、勉強の息抜きにスポーツをするぐらいで良いでしょ。高等教育の時のデータもPNAに入ったままだし、ある程度は私が教えてあげるわよ」

 セイナにそこまで言われてしまっては、フィリッツとしても否やはない。

「……お願いします」

 フィリッツはそう言って、素直に頭を下げた。


    ◇    ◇    ◇


 フィリッツにとって、『セイナに勉強を教わる』と言って思い出すのは、中等教育の最後の年。

 宇宙船員訓練校へ入りたいと言ったフィリッツに、セイナが課した地獄の補習授業。

 ぶっちゃけ教師にまで『お前に宇宙船員訓練校は無理だから諦めろ』と言われたフィリッツの成績を、合格圏内にまで押し上げたセイナの手腕は高く評価されるべきものだが、その代わりにフィリッツが得たのは、思い出すだけで目眩がするような、ステキな思い出。

 入学して一年近く、幾度となく悪夢を見て目を覚ましたのは伊達ではない。

 もちろん、フィリッツとしても感謝はしている。

 セイナがいなければ絶対合格できなかったことは理解している上、フィリッツが楽な方へ流れようとする度に甘やかすことなく叱咤激励してくれたおかげで、訓練校に入って以降も怠けずに卒業まで辿り着けたのだから。

 更にセイナは、勉強を教えるだけではなく、夜食を差し入れたり、フィリッツが折れそうになったら励ましたりと、かなりの時間を彼のために使ったのだが、それでもしれっと志望校に合格しているのだから、彼女の優秀さが解ろうものである。

 彼女自身は『フィーに教えることで私も勉強になる』と言っていたのだが、それでも普通はなかなかできることではないだろう。

 そんな過去もあり、フィリッツはセイナの授業にやや戦々恐々としていたのだが、ソルパーダへ降下して二日、待っていたのはのんびりとした授業だった。

「なぁ、セイナ。以前教えてもらってた時と随分違うんだが……いいのか?」

「ん? そりゃ違うわよ。あの時は時間も限られてたし、それでいて教えることは膨大。余裕がなかったから」

「うっ……まぁ、なぁ」

 フィリッツが合格を目指していたから心を鬼にしたのであって、セイナとしては嫌われかねないほどのスパルタなど、本心ではやりたくはなかったのだ。

「経営者としては概要をつかめれば良いだけだから。資格を取りたいなら考えるけど?」

 フィリッツの脳裏にあの日々がフラッシュバック、即座に首を振った。

「ノーサンキューです!」

「そう? ま、どうせ資格を取るなら、私と被ってないのを取る方が良いよわね。私がいる以上、あまり必要ないわけだし」

「資格、かぁ……。『宇宙エンジン上級技師』でも取ろうか?」

 宇宙エンジン技師は、宇宙船で使われる各種エンジンの基礎知識を網羅した資格である。

 初級で整備技術、中級で簡単な修理技術を習得でき、宇宙船員訓練校を卒業した学生であれば、そのいずれかを持っている。

 フィリッツの場合は、『真面目くん』などと呼ばれていたのは伊達では無く、中級技師の資格をしっかりと取っていた。

「ちなみに、宇宙エンジン技師の資格なら、私も持ってるわよ? 初級だけど」

「なんで!?」

 セイナにあっさりと言われ、フィリッツは思わず声を上げた。

 それなりに難しい資格、それも自分の専門分野の資格である。

 『これなら負けない!』と思っていたにもかかわらず、そんなことを言われてしまえばフィリッツの動揺も致し方ないだろう。

 もちろん、初級と中級なので、フィリッツの方が勝っていることは間違いないのだが。

「私、一応宇宙軍所属だったのよ? 簡単な整備ぐらいはできないと、万が一のとき、困るでしょ?」

「それはそうだが……ちなみに、宇宙軍の軍人なら普通は持っているのか?」

 もしそうならちょっとショック、と思いながらそう訊ねたフィリッツに、少し考えてセイナは首を振った。

「五人に一人……ううん、もうちょっと少ないかな? 持っていたら手当が出るから、それなりに取得している人はいるけど」

「そうか……」

 フィリッツはそれを聞いて少し安心して、胸をなで下ろす。

 彼も宇宙軍に入るのが難しいことは理解しているが、宇宙船員訓練校も難関校ではあるのだ。

 そこで得られるアドバンテージの一つが宇宙軍ではありふれている、とか言われてしまったら訓練校出身者としてはかなり複雑である。

「ま、そっち方面は私は教えられないから、自分で勉強してね?」

「ああ。セイナに頼ってばかりじゃ情けないからな」

「といっても、急ぐ必要はないと思うけどね」

 勉強は半ば暇潰しで、急ぐ必要があるものではない。

 そのため二人は、午後は自由に時間を過ごしていた。

 セイナより体力がなかったことが地味にショックだったフィリッツは、プールに水を張り、体力作りを兼ねてそこで泳ぎ、セイナもそれに付き合って泳いだりプールサイドで昼寝をしたり。

 通常であれば水の確保にコストがかかるプールでも、地表まで降りてきている今であれば、注水にかかるコストは非常に低い。使用を躊躇う理由はなかった。

 ちなみに、泳ぐだけであればすぐ外には海があるわけだが、外洋で泳ぐ危険性は非常に高く、何の対策もなしに普通の人が泳げるはずもない。

 その点、屋内プールであれば、日光を浴びることこそできないが、天井、壁面は全面ディスプレイになっているため、擬似的な開放感は味わえる。

 フィリッツとしても、苦労して海で泳ぐほどの意味は見いだせなかった。

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