#17:非→対称×ァリィジヴェイヨ×果断
<まずい、『感覚』の暴走……と括っていいか分からないが、まったく掴めない『色』になっている。中止だ、藤野クン、キミの身もあぶない>
左耳から聞こえる村居さんの声の後ろ側で、僕の左肩を共振させるように放たれてくる唸り声が、それを搔き消していくかのようで。だが。
「この状態で止めたら……どうなるか、分からない……ですよね? 最悪、『暴走』? 『崩壊』? 『喪失』? ……いずれにしてもただでは済まない気が……するんです……ッ、だから……こんなことに巻き込んでしまった僕が……責任を取らなければいけないわけで……っ」
上顎にくっついてくるような、粉っぽい「気配」。「黒い」……気配。ブチブチという音は、今のところは身に着けていた黒ボディスーツが喰い引きちぎられるものであるけど、いつそれが、僕の血管とか筋繊維とかのそれに変わってしまうかは分からない。この服、結構な強度があるはずだよね……? 未だ目隠しをしているため、自分の状況は視認できないが、途轍もない力だ。タガを外した人間の力? 橙谷が似たようなことを言っていたような、そうではないような、まずい、思考がまとまらなくなってきた。
「少年……っ、とにかく離れて!! このコはちょっと強めに絞め落としちゃるから……ッ!!」
獣の吠え声を続ける少女の、本当に「黒い光」としか表現できない不気味な輪郭の背後から重なるもうひとつの輪郭。右腕を少女の首にするりと回し、左腕で自分側に引き付けるように締め上げてくれているようなシルエットが確認できるけれど。けど。
「まっ……三ツ輪さん……絞めるのを待ってくれ……意識を保ったままじゃないと、感情が励起した状態じゃなければ、多分ダメだと思うから……だから協力してくれっ。どうしても……どうしても姫宮さんを助けたいんだッ!!」
噛みちぎられちゃうよッ、との、このヒトにしては切羽詰まった声で返されるけど。それでも。
「絶対に……抑え込む術は……あるッ……考えろ……考えなきゃ、姫宮さんが……っ」
ままならない脳内に到達したのは、ついに、刺さる感触。鎖骨に伝っていく液体の、流れ。ぐううう……ッ!! 意識を向けるなそっちに。痛さが何だ? 姫宮さんが感じていたのは、こんな程度のものじゃあなかったはずだ、ないはずだッ!! 考えろ。考えて、考えるんだ。
「六面」は完成している。それなのに、何故封じられない? 何故暴走みたいなことになってしまう? きっちりと、直方体を形成できる位置に配置しているはずだ……何故。必死に回すものの、思考は空しく空回る。その空転だけを俯瞰するかのように脳も身体も固まってしまった。駄目だ……やっぱり分からない。
やはり、無理なのか? 無理だったのか? 偉そうに救うみたいなこと言って、このザマか? でも……分からない。完全に、完全にやれた、はずだ……はずなのに……
絶望が少しづつ、爪先から滲むように這い上がってきた、
刹那、だった……
「も、もうこの『面』? 外しちゃおうとりあえず!! こいつが影響与えちゃってるわけだしっ」
三ツ輪さんの声が、その声が、内面で煮え吹くだけだった僕の思考に風穴を、
ずぼと開けた、わけで。「完全」? なにが「完全」?
「……!!」
全てが、開けた。そうだよ、そうだったんだ。
「そうだ、そうだよ三ツ輪さん、外すんじゃあ……ない。外すんじゃなくて……背中と右脇の『面』を……動かすッ」
鋭いのか鈍いのか分からない痛みが左肩から脳髄を貫くように伝わってくるが、そんなことは勿論気にかけている暇はない。戸惑っている様子の三ツ輪さんに再度頼むと、しぶしぶといったような所作だったけれど、「黒い光」に全身を包まれ始めたかのように視える少女の首元から腕を外し、代わりにその左手を姫宮さんの背中の「面」へ、右手を同じく右脇の「面」にあてがってくれたことを確認する。順調、だが激痛は止まらない。が、止まっている場合でもない。
「……」
どうしても深く吸えなくなった息を何とか、サイクルを速めて対応する。痺れが上ってきた左腕を伸ばし、僕は目の前の少女の胸の真ん中、「面」の向かって左辺に人差し指と中指だけを何とか引っかける。右手指は既にその左脇の「面」に添えている。よし。
「前後左右」四つの「面」に、僕と三ツ輪さんの手がそれぞれ接触した状態。金属の四角形はどちらも振動せず、がちりとそこに固定されているように感じる。そこに騙されていた。「そこ」でオーケーだと、そう錯覚させられてしまったんだ。
垂直位置はそこでいい。四面は水平線上にあって正解、残る「上下」二面がその対角線交点を通る線分で繋がれる。それもそのはずだ。
でもまだ間違っているんだろう。だから、「感情」が収まらない。真正面じゃないんだ。「前後左右四面」は互いの位置関係は正しいからそこで固定された。いや、固定されてしまったからこそ、それで正解と思わされた。違うんだ。
「回せ三ツ輪さんッ!! 反時計回りに少しづつ、僕に呼吸を合わせてッ!!」
言い放ちつつ、僕は「面」を保持した両手指をじりじりと「右方向」へと動かしていく。動く。わずかだけれど。やはり、だ。
姫宮さんの身体表面を沿うように。四面の位置を身体の軸周りに回転させるように、動かしていく。そうだよ、ずれていたんだ。六面が、本当に固定される位置とは。
「うっ、うっ、うっ……!!」
左肩に食い込んでいた姫宮さんの顎の力が少し緩んだ気がした。そして漏れる声は、何というか「正気」がほんの少しだけ感じられるものであったから。いける。近づいている。はずだ。
初期位置からはまだ十五度くらいか? 指先に強烈な反発を感じている。重い、ような硬い、ような……痺れと疲労で両腕の血管に砂鉄が詰まったような感覚……そんなこと考えている場合か。動かせ。しかし、
「うぉああああああああーッ!!」
姫宮さんの身体からの「黒い氣」の奔出が、激しさを増した。この、八畳間を満たし尽くさんばかりに。その何とも表現しがたいおぞましい感覚を肌で感じ鳥肌が立つと同時に、ブッ、という音がその背後から。
「……ッ!!」
その音が、少女の両手首を拘束していた革紐が力任せに引きちぎられる音だと認識できたのは、自分の首が尋常じゃない力で掴まれ、締め上げられていた感覚の少しあとだったわけで。
「がっ……ッ!!」
空気を求めて開けた口からは何も入ってこなかった。両手の指、爪の先が食い込む。握りしめられた首からはブチブチと嫌な音が、体内を通って伝わってくる。
そのまま押し倒され、畳に背中が着いた瞬間から、さらに体重を掛けられて締め付けがきつくなってくる。少年ッ、こらぁ離しなさいぃぃ……と三ツ輪さんが頑張ってくれているようだが、「感情」のタガが外れた人間の力は相当なものだ。それは知っていた。しかしいざここまで追い込まれると、どうともすることが出来ない……ッ!!
<藤野クン、もう限界だ。強制的に『昏睡』させる>
村居さん、
「まっ……て……」
<しかし!!>
伝わってくる。姫宮さんの「感情」。黒い……黒いのは、すべての感情が、無秩序に混ざり合っているからだろうか。怒りが、哀しみが、全部。
制御できなくなった「感情」に、自分が呑まれる。
今までもこんなことがあった。目の前で。そうだよ……
「余計なコト、すんじゃあねえよぉぉぉあああッ!! てめえがッ!! てめえらがあたしの感情をどうこうしようとしてんじゃねえええええぇぇえッ!!」
絶叫に近い、姫宮さんの声はしかし、
「……!!」
「素」の何かを、宿しているように思えた。
みつわさん……っ、と出したつもりの声は、大部分が掠れてしまったものの、震える両手を再び姫宮さんの身体に回した挙動の意図を汲んでくれたようだ。「四面」に、僕と三ツ輪さんの両手指がセットされた感覚を、薄れ始めてきた意識で何とか感じ取る。
「やめろッ!! やめろもうやめちまえッ!! こんなコトしたって何にもなりゃあしねえんだよぉッ!! 意味は、ねえんだッ!! 『感情』に乗っ取られたまま流されて生きていくほか、ねえんだよッ!! ねえんだってあたしはもう分かってるんだッ!!」
分かってる? 本当に?
だったら今、僕の顔に滴ってくる熱い水滴は、何だ?
僕の脳裏に、幼い頃、目の前で呼吸を止めてしまった親友の顔が浮かぶ。あんな思いは………
「……」
もうたくさんだ。
<藤野クンッ!? なんだこの『感情』の色は?>
自分の身体から、静かに流れだす、気体のような液体のような、
「な……にこれ……っ」
微小な「直方体」の群体の現出を、感じている。その色は、眼で見なくても、眩く感じるほどの、光る白色。
――相反するものをぶつけ、相殺する。
それが、出来るのならば。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます