#02:不→案内×コンパーニォ×予兆
西蒲田は全体的にこじんまりとした町だ。JRの蒲田駅までは徒歩でも五分くらい、出てしまえば開けて雑多な雰囲気になるものの、半径五百メートルくらいのその地区は車同士が行き交うのも困難な路地がみっしりとひしめく小さく薄い建物たちの間を縫っていて、碁盤をいくつか寄り合わせたかのように整然とながら無秩序に組み合わされたかのような、そんな佇まいをしている。
僕に奇妙な落ち着きを与えてくれる、とても大事な場所だ。
「学校は楽しいかい」
言わでものことを聞いてくるのは、何か話の取っ掛かりを求めている時だということは知っている。近場の定食屋「なみや」は界隈の人がまるでそれぞれ時間を少しづつずらして訪れているのかと思えるほどに常に流動的な満席であって、一組が会計を済ませている間に次の一組が頃合いよく入口の引き戸を開ける、というようなところを何度も目撃している。不思議な賑わいと、何らかの規則でもあるんじゃないかと気になってしまうどことなく静謐な空気も纏わせた、ここもまた落ち着く居場所だ。
どっしりとした木製のテーブルを挟んでさらに大仰ながっちりとした木製の椅子に腰かけて二人、本日の夕食は双方サバの味噌煮定食。日替わりの中でも特にこれは美味い、毎日でもいいね、とは村居さんが来るたびに言うことだが、その味付けが絶妙であるということは僕にも分かる。
「そこそこ、って言っていいのか分かりませんが、まあそこそこです」
そしてこういう場合は無難に中庸な言葉を返しておくのがいちばんだ。相手も特にそれ以上の反応を求めているわけではないし、その先に本題が待ち構えているだろうことはここ何か月かでだいぶ悟れるようにはなっている。淡く柔らかな暖色の灯りの下、相対した二人はあまり目を合わせることもなくそれぞれの定食に手を付けているけれど、その距離感がひどく心地よく感じる。
いいねそういう「そこそこ」は、と、村居さんはまた何が可笑しいのか茶色のレンズの奥の目を細めてそう楽し気な言葉を咀嚼しながら放つのだが。概ねやり取りは間違ってはいなかったようで少し安堵する。
「『仕事』も無難にこなせてくれていて何よりだ。物足りなく感じたのは、キミが成長しているということさぁ。ま、ありきたりな言葉かも知れないけどね。僕はそうちゃんと思っているよ」
いつも通りのそんな気の抜けた感じだが、僕がはっきり手ごたえを感じてなかったことは見通されていたようで、表情には出さなかったけれど流石、とは思った。よれよれのシャツに黄土色のくたくたのジャケットをいつも羽織っているが、どことなく小綺麗な印象を与えてくるのはその人柄によるものなのだろうか。柔和な顔つきはいつもどことなく涼し気だ。
――あの時も、そんな気負いも何も無い言葉で誘われたから、僕は今ここにいるのかも知れない。
「……こなれてくれるのは本当、ありがたいというか、今後にも関わってくるんで割と必須、ってな側面もある」
食後に出された温かいほうじ茶で手を温めながら、村居さんはさっきの話の続き、みたいな感じでまたそう切り出すのだが。あ、まだ続いていたのか、と僕ですらそう思うのだから、他のヒトらはだいぶ面食らうんじゃないだろうか。それでも身に纏ったかのような「自然感」に、すぐさま引き込まれるのだけれど。言葉の端に何というかの真剣みを感じ、僕も湯呑をテーブルに置いて居住まいを正す。「僕の成長が必須」、ということはつまり。
「さっき冗談交じりで言った『人に取り憑き案件』ってのが、都内で何件か確認されているんだよね」
冗談でないことは先ほどの「戦闘」の時も思っていた。そうなるだろうことは常々言及されていたことだから。逆に今まで起こっていなかったことの方が不思議なくらいだ。
「感情体」が、ヒトに乗り移り、支配する。
それこそ、幽霊・物の怪・
「何で今になってなんだろうねえ……まあ今までもただ見過ごされていただけかも知れないけれどねえ……」
その伏せた切れ長の瞳は、どこを見ているのだろうか。
「……その、ええとヒトに憑いている? と言えばいいのかですが、そのような状態だと、いつも通りにはいかないとか、そういうことなんでしょうか……」
気になるところだ。「匣」への封じ込め、それが僕の唯一の手段であるわけだが、それが効かないとなると……僕は必然、能無し用無しとなってしまうわけで。
「普通の人に憑いてる分には、今まで通りのやり方で充分と思う。厄介なのは、依り代となった人間に意識があって、さらにこちらのやってくることを知っている場合くらいじゃないかな」
会話の途中の気もしたが、村居さんがガタガタと椅子を鳴らしながら立ち上がったので僕もそれに倣う。背後を見ると新規の客が二人、引き戸を開けて入ってくるところだった。
それにしても、こちらの手段を見透かされている場合……確かに厄介だ。僕の手段は不意打ちも不意打ちであって、なおかつ相手がそれを何か知らない前提でないと成り立たないものだから。
「そんなケースに当たったら……どう、すればいいんでしょうか? 打つ手が無いような……」
残暑は十月まで引きずる近頃の気候であるものの、流石に陽が落ちると肌寒さが足元から立ちのぼってくる。僕の発した質問は、変にすがるようなニュアンスを帯びていないだろうか。ただの質問の体になっていることを願うばかりだが。
「無きゃあ無いで、方法は色々あるさ。凝り固まることは無い。可能性はどんな時もどんな所にも、しれっとした顔で佇んでいるものさ」
教訓めいた、何かの受け売りのような言葉は、あえて放っているのだろうか。しかし軽やかなその歌のような音の流れに、ふと安らぐのは何故だろう。
「……視えるキミは、真っ先に逃げることだって出来るわけだから」
……確かに。それで解決がなるというわけでもないけど、脳の中で凝り固まった自分の立ち位置みたいなスペースが、それを聞いて思い浮かべただけで後方側に、ずいと広がったような気がした。心なしか、吸い込む空気も澄んできたかのようで。いや、僕は自分で思うよりも単純に形作られているのかも知れない。大股で歩く細い黄土色の背中を追う。
どういう判断基準で設置したのか分からない、微妙にそこここに暗がりを生じさせている不安定な街灯の光の下、左右から戸建てがにじり寄って来そうな小径を二人並んで歩いていく。この静謐な時間もまた、僕には必要に思えている。と、
ボクも、キミくらい「視えてた」時期もあるんだ、とぽつり呟かれた言葉、それにはどう反応していいのか分からなかった。
「……今はもう『彼ら』の『色』はまったく分からない。輪郭も、あやしいものさ。『最前線』ではもう使い物にはならないね」
自嘲、という奴だろうか。それに対してはかけることの出来る言葉が、僕にはあるはずだった。
「村居さんのサポートあっての僕です。圧倒的な経験不足、それを補ってくれるのはあなたしかいない」
何となくの予感はあったが、僕としては至って真面目に放った言葉に、殊更に大袈裟に噴き出す仕草を見せる背中。でも何もおかしくは無い、間違ってもいないはず。
「……何度も言うが、大した奴だよキミは。そうさボクら二人、力を合わせれば何だって成し遂げられるはずさぁっ」
完全にはぐらかされた体だが、まったく悪い気はしない。おどけた感じのガニ股で、うっすらと向こうに事務所兼住居が見えてきたところで走り出すその背中を、僕も大きく息を吸ってから追いかけ始める。
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