不完全×シン→メ↓ト←リ↑カ→ルの匣
gaction9969
#01:非→公認×イニツィオ×発端
目の前のモノは、まるで重さのある煙をその身に纏っているようだった。それも人為的に色づけたような明るめの黄色という、この取り壊し寸前の廃ビルの雰囲気にそぐわないようなそんな色彩を放っていて。南側の窓から差し込む光もあいにくの曇天のために心細く、殺風景な室内をよりモノクロ寄りに彩っていることもあって、そこで蠢く黄色は何よりの違和感を遠慮なくこちらの網膜に放射してきているように思えた。
――それが視えるということは、つまりはその時点である程度は『選ばれた』ってことになるって、思ってもらえたら幸いなんだがなぁ。
半年くらい前の、間延びしつつ投げかけられた言葉が鮮明に脳内で再生される。突然の勧誘、あれは偶然だったのか? いや今考えることじゃあない。集中。相手の大きさは、この何らかの事務所だったろうフロアの、割と高めの天井につくかつかないかほどの体躯だ。四メートル……五メートル? そのシルエットは二足歩行ではあるものの一目で人間とは思えないフォルムと違和感のある立ち方をしている。がに股の上に極限まで落とした腰、床のカーペットにつきそうな長太い両腕は力無くただ垂れ下がっている。そもそも「煙」にその身を隈なく包まれているわけで、その一事でまっとうな生き物ではないことは承知の上だが、
「……!!」
彼我距離五メートルくらいを保ったままでそんな観察を続けていたが、こちらをようやく認識したのか、煙たなびく「顔」のあたりの角度が変わり、目が合った、気がした。刹那、無造作に内から外へと振り薙がれてくる「黄色」の右腕。僕を狙ってきた。その動きは結構素早かったので一瞬ザリとした違和感がよぎるものの、「四十ミリ秒」には遠く及ばないわけで、すなわち余裕を持って後方に下がることでそれを交わす。
<うん、そうだ、紛れもない『エモズィオ』と確認できた。存分にやってくれたまえよ、
今度のは脳内再生ではなく、左耳に付けたデバイスからの音声だ。間延び感は変わらないが信頼に足る言葉であることは理解し始めている……この何か月かで。そして曖昧な指示だがやることは決まっているし把握もしている。が、
「『五面』でいいと判断しましたけど、大事を取って『四面』の方がいいでしょうか?」
それでも一応判断を仰ぐ。対象の「姿」ははっきりと視える僕だが、その見た目で判断することが危険に繋がるということも理解している。
<【黄の
打てば響く返しに、選択肢がひとつに絞られたことによる安堵感のようなものも手伝って、僕の身体はなめらかに動き始める。左掌に軽く握っていた「それ」の、
薄い金属で形作られた直方体の、
ひとつの面に親指を当ててスライドさせる。何とかという合金で出来ているというそれは、だいぶ長く握っていたはずなのに未だひやり冷たい感触を与えてきていて。スムースに滑るように外れて掌に転げ落ちた「天面」を右の小指薬指で摘まみ上げると、瞬間体勢を低くして左手方向へと突っ込むようにして走る。
「……」
それでも身体を捻ってようやく躱すと見せかける。紙一重で。っていうのも演出しつつ。それを放った相手が必要以上に拳撃の挙動/成否を追ってしまうように。そして、
その瞬間にはもう後ろ手に背中に回した僕の左手は蓋の外れた直方体を頭上高くに放り上げていて。その次の一秒くらいには「黄色」の胸辺りにもう、さくと力無く接触している。その事象に何らかの意図は察したのだろうが、付着するだけでうんともすんともしないそれに、警戒は一瞬で散ったようだ。再びこちら向けて今度は両腕を振り回すように叩きつけてこようとしてくるが。
もちろんそこに僕は留まってなどなく。こちらへの注意が一瞬切られた瞬間に僕はその巨体の後ろに回り込んでいて。
小指と薬指に挟んでいた「一面」を手首のスナップを効かせて投げ放ち終えている。その最後の一面が「黄色」の身体、丸まった背中辺りに触れた瞬間、その表面を煙が流れていたような体躯は、明確なかたちを失った本物の煙のように、一辺三センチくらいしかない直方体の内部へと吸い込まれるようにして収まっている。
静寂。
今の立ち回りで埃がまだらになったカーペットの上に無造作に転がる直方体を屈んで拾い上げる。質感・見た目は何も変わらない。金属製のサイコロのようなそれを
<ごくろうさん。正面玄関にクルマを回しておくからそこで>
村居さんの声はいつも通りのフラットであるものの、僕に対するねぎらいのようなニュアンスを感じ取れたので、どうもおつかれさまです、との言葉を返しておく。コミュニケーションというのは言葉や行動に示さないとまったくもって伝わらないと考えなければならない……ここ数か月で学んだ大切なことだ。決して無反応でいてはいけない。与えられた言葉や行動に対しては即座にそして最大限に考え、相手に納得や満足を与える反応をしなければならない。それはもう僕はマスターしかけている。大丈夫だ。元通りの殺風景さを取り戻したフロアを後にする。
「……だいぶ慣れたのかねぇ? 今日はまったく危なげも無く」
村居さんの運転は精密で繊細だ。ゆえに助手席の僕はいつも気を抜くと眠ってしまったり、そこまでいかなくともぼんやりと何も考え無しでただ座っているだけになってしまうので注意が必要だ。こうして話しかけられていた方がかえって楽であることに気づく。「楽」と言い切るのもどうかと思うが。フロントガラスを通して見る陽が落ちかけてきた十月終わりの空、雲間を押しのけるように射し込む光は澄み切って紅い。いや、見ている場合じゃあない。言葉を、反応を返すんだ。
「だいぶ、『どう動けば』っていうのは分かってきたつもりです。村居さんのサポートありきの話ですが」
僕の言葉の何が面白かったのかは分からないが、運転席の御仁は後ろで結わえた長い黒髪と一緒に首を前後に幾度も揺らす。横から見ると、面と向かってはいつも濃い茶色のレンズに隔てられている目が見えて、そのゆがめられ方で笑っているのだろうと判断できる。
「いやはや、『感情』と戦いながら、自身の『感情』も折り合いつけてやっていくとか、ほんとにキミは大した奴だよ」
「感情と戦う」というのは比喩では無く、先ほどの戦闘のことであるとは認識している。むしろ「折り合い」云々の方が意味が取りづらかったが、黙ってここはやり過ごすことにした。話の方向を唐突にならない程度に変えていこう。
「今回の『エモズィオ』は『過敏』と言ってましたけど……その影響は大きかったのでしょうか。これが何か凄くヒトの役に立って、結構な報酬に結びついたりするものなのでしょうか」
だろうとは思っているが、改めての確認の意味でその問いは発しているだろうことは、相手にも伝わっているはずだ。それにあまり手ごたえの無かった「仕事」ということもあり、半分は疑問の体もある。自分の行ったことを正当に評価してほしい、そんな欲求も多分、この場合には自然と思われる。よくは分からないが。
「まあいわゆる『呪い』の類いの怪奇現象彷彿ってな感じだったそうだ。解体現場で続けざまに起きる細かな人的事故……めまい、判断ミス、ワケのわからない焦燥感、とか。それでも下手すると命にも関わる案件だしね。影響は当然大きいと見ていいよ。『お祓い』がうまくいったと判断されれば、ま、そこで解決報酬はがっぽりと支払われるさ」
両親の顔も知らず、施設で何とは無しに生活していた僕を、見出してくれたのは、引き上げてくれたのは村居さんだ。自分にもやれることがある事を知ったその日から、僕の人生は変わっていった。他者に必要とされること、それが僕を動かしている。今はその存在意義が少しでも薄れないように、精進する他は無いと自分に言い聞かせている。
自分に出来ること、それは「感情体」を感知し、それを封じ込めること。
ヒトの「感情」が外界に漏れ出し、吹き溜まったところに生まれる擬生命体、それが「
「霊障」とか「呪い」とか「祟り」とか。そういった言葉の方がしっくりくるらしいのでそう外部には説明している。それでも大半のヒトは半信半疑以上の疑いの目で見てくるものの、確かに効果あったと分かってもらえれば、多少のうさん臭さは差し引いてカネを払ってくれるものであることをこの「仕事」を始めて初めて分かった。意味は少し違うかも知れないが「浄財」……そんな感じなのかも知れない。
封じ込めた「感情体」はどうするか。僕は村居さんに勧められた中でいちばん自分にしっくりいった「直方体」の「
そんなこんなで、高校生でありながらちょっと変わった「仕事」にも従事している僕は、それでも割と平穏に日々を過ごしていた自覚はあったものの。
とある「依頼」から自分の根源が揺さぶられることになろうとは、今この時点では想像もしていなかったわけであり。
「感情」、それは一体何なのか。
ヒトが生存のために獲得していった高度に洗練された技なのか、それとも歪な進化の果ての業なのか。
運命の歯車は、静かに廻り始める。
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