その二 沈める寺――イスの都の伝説
納骨堂、祭壇、暗黙の秩序を迫る石造りの聖人像。きちんと並び、老若男女の訪れを待っている、今にもおしゃべりが聞こえてきそうな椅子の列。金色の飾りは古び、これからもこのまま朽ちてゆきそうな祭壇。
シュペルヴィエル「海に住む少女」
マリーと私のあいだに何があったのか、または何もなかったことについては後で書く。もう少しイスの都の伝説、そして沈める寺の物語について語りたい。
もちろん、ここでいう寺はキリスト教の教会、聖堂のことだ。教会という言葉はもともとギリシャ語起源の「人々の集まり(エクレシア)」をさす。聖堂はもちろん生者たちの祈りの場所だ。地下納骨堂(カタコンブ)は死後のそれで、垂直に伸びた柱にも天使や聖人像が刻まれて、壁面に描かれる聖書やその他の物語にもひとが溢れかえっている。
遠くから眺める大聖堂は大海原を行く大きな船、またはひとの住む島に似ている。中世の旅人が狼や盗賊のいる森を抜け大聖堂の威容を目にし、ようやく人間世界に辿り着いたとほっとするのも当然のことだ。まして、その鐘の音は街にいる人間の時間という縦軸を区切り彩った。
鐘楼というのは高いものだ。鐘の音は上から、揺れながら降ってくる。それは黄金の切片を天から振り撒くようなもので、意識を奪い、耳を撫で、からだを突き抜け、その街の輪郭を取り巻いて、ちりぢりに流れて落ちていくのだ。だから街の印象は、大聖堂のある都市ならその鐘の音と重なる。
言い忘れたけれど、バス旅行中マリーも私もいっとう夢中になったのは鐘楼や尖塔にのぼることだった。そこで運よくからだを殴るような豪音に晒されると恍惚とした。
その鐘の音が海底にあり、波濤とともに揺らめいて耳に押し寄せると感じさせてくれるのが、イスの伝説に取材した「沈める寺」というドビュッシーのピアノ曲だ。
パリが滅びるときイスの都が海底から甦り、フランスの首都となるだろう
おそらく、この言葉こそがイスの都の伝説の魅力を伝える最大の理由だろう。もちろん、パリの語源はケルトの民パリシー族(Parisii)のそれで、「イスに匹敵するもの(Par Is)」の意味ではない。それでも、パリの街があんなふうに水に沈んだ姿を見ると、ついこの言葉を思い出してしまう。
いにしえのパリの名はルテティアといって、パリシー族の沼沢地(Lutetia Parisiorum)がもとになっている。セーヌ川の中州のシテ島こそが、パリの始まりなのだ。幾重もの城壁に取り囲まれた渦上の街並みからカタツムリに譬えられ、花の都と呼びならわされる街は水の流れのただなかにできあがった。
揺蕩(たゆた)えども沈まず――もとはと言えば、パリの水運業者のシンボルである帆に風を孕んだ船の絵とともにあった言葉だ。パリに行かれた方はその橋の多さ、それぞれに違う個性をもった佇まいも覚えているかもしれない。かつて、その橋のうえには市が立った。船で運ばれてきたものがそこで売り買いされたのだ。パリはその昔から商人、そして学生の街だった。
幾多の荒波をかぶりながらも沈むことのない不滅の街パリが、海に沈んだイスの都と対比されるのは当然のことだろう。それはまさに、ひとの好む物語そのものだ。
ちなみに、フランス語で物語と歴史はどちらもHistoir(イストワール)という。
この伝説を有名にしたのは『バルザス・ブレイズ』というブルターニュ地方の俗謡や逸話を集めた本の出版だった。これは十九世紀に起きたケルト文明の流行のなかにある。もう少し言うとフランス革命以降カトリックの権力が凋落し、各地の教会建築が破壊された事実ともつながっている。その他には十六世紀あたりから言われ始めたケルトの民がノアの子孫であったという怪しげな旧約聖書的世界観の物語にも行き着いたりする。言語と民族と宗教、文化の問題は複雑にすぎてここでこれ以上語らない。
『バルザス・ブレイズ』の全訳は今のところ出版されていない。でも、インターネットでは原文を読むことができる。当時の私には原書を読むほどの情熱もなく、もちろんインターネットなどという便利なものもなかった。
私には、ただひとつの物語を深く知ろうとして、どれだけの時間をかけたらいいのかわからない。それは本当に人類の歴史を知悉しなければならないかもしれず、言いようのない不安をおぼえて苦しくなる。
ともかくも、イスの都がどこにあったのか正確に伝える書物はない。しかし、それはフランス北西部、六角形(レグザゴーヌ)に譬えられる本土の左肩上にあたるブルターニュ地方、さらにその大西洋に突き出した半島を「地の果て(フィニステル)」と呼びならわす一帯であるという。かつてそこに、コルヌアイユと呼ばれた王国があった。
海の向こうはアーサー王伝説で有名な英国のコーンウォール州だ。コルヌアイユもコーンウォールもケルトのコルノヴィイ族に由来する。
さて、わが手には物語するにふさわしい竪琴もないが前振りだけしてみよう。
ときは五世紀、コルヌアイユを治める王の名はグラドロンといった。この時代、ようやくフランス全土にキリストの教えが広まって百年が経つ。むろん、その当時はフランスでなく、ローマ人たちからガリアと呼ばれていた。
グラドロンは王妃マルグヴェンを亡くしてから王としてのつとめを忘れ、酒を呷(あお)り海を見て泣き暮らす日々を送っていた。王を地上に繋ぎとめるのはただ、亡き妻に似た愛娘ダユーだけであった。
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