8. 星をしずめて。

 私は平日の放課後ほぼ毎日、炭酸水を買う。同じ駅の同じ自販機の、同じボタンを押して。

 内容量480ml 消費税込み120円

 いつもは1本しか買わないそれを、何の気まぐれか今日は2本購入した。

 1本を横に流し、アズちゃんがいつもの通りありがとうと笑顔で受け取る。

「チナちゃん炭酸水飲んだことある?」

「ない」

 アズちゃんはびっくりした顔で、一度も?と問う。私は一度も、と返した。

 じゃあ何で急に炭酸水を飲もうと思ったのか。

 それは私にもわからない。ただ気が向いたから、としか言いようがない。

 アズちゃんのものになるという誓いを立ててから、半年以上が経った。いつかの暑さも随分と前からすっかり身を潜めてしまって、今では冷たい風がそこここでお散歩している。

 これから暖かくなってやってくるのは、高校生活最後の1年間。

 その最後の1年間を経て、それぞれがそれぞれのせいかいに行く。

 アズちゃんは就職だろうか、それとも進学かだろうか。どちらでもないという可能性もある。

 自分自身の進路さえ、まだぼんやりとも決まっていない。

 どんな道を進むとしても、私たちは決して。

 決してひとつになることはできない。

 お互いがお互いをどれだけ望んでも、それだけは叶わない。

 私たちは、はあくまで私と私の集まり。

 それぞれが他の私であることを忘れてはならない。

 揺蕩たゆたうように、曖昧に。だけれど優しく、強く。

 私たちは私たちである。

 私はアズちゃんのものである。

 せかいが崩れても、明日がなくなっても。

 例え、ひとつにはなれなくても。

 私は。

 高取知夏は、アズちゃんのものだ。


 グきゃ。

 軽くて高くて、壊れた音。

 一口。

 苦い。

 こんなにも苦いものだったのか。知らなかった。

 アズちゃんに感想を求められたので、苦いと呻く。

 アズちゃんは笑って、リュックの外ポケットからいくつかの飴を取り出した。

 ひとつずつ封を切って、星形のそれらを炭酸水に沈めていく。少しは甘くなるといいね、と笑って。

 とぽんとぽんとぽん…。しゅわしゅわ…。

 炭酸水の海に、5つのカラフルな星が墜落した。

 ペットボトルを高く掲げて、私はそのせかいを下から覗き込んだ。泳いでみたい、と思った。

 甘くなるといいね。

 ひとしきり眺めた後、星入りのペットボトルをリュックにしまって、アズちゃんに右手を預ける。

 慣れた景色を眺めながら、ゆっくりと。ふとアズちゃんの方を窺ってみたり。そうやって、いつものように。

 私たちは歩く。

 別れ道。

 手を振って。

 それぞれの道を。


 私たちから私になって、帰路を辿って30分。

 家。私の家。

 私たちのものではない、家。

 黒い糸が安置された自室で、ペットボトルを取り出した。

 ゆっくりと上下を反転させると、小さくなった星たちは泳ぐように移動して、壁に当たってからからと音を立てた。

 星たちは歪に溶け出して、炭酸水はうすぅく、不思議な色味を帯びていた。

 固形のままで残っているは、それぞれの星のほんの一部。

 ペットボトルのキャップを緩めると、甘い空気が飛び出してきた。星の恵みの香料の香りだろうか。

 期待しながら一口飲んでみたけれど、存外甘くなってはいなかった。後味がほんのすこぅしだけ砂糖っぽくなったくらい。

 あとどれくらい置いておいたら、この星はすべて溶けきるだろうか。

 小さくなった星たちを、私はまた泳がせた。

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炭酸水、480ml。 識織しの木 @cala

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