拾漆ノ妙 呪縛の符

 さてこれはどうしたものか、と棗は考える。


 全く目のやり場に困る。


 顔を前――というよりはやや上になるのだが、に向けると、目の前にはすらりとした巫音の生足。


 巫音は、四つん這いになって棗の前を進んでいるのだが、同じように四つん這いになって後に続く棗から見れば、巫音のお尻が丁度目の前に来る格好だ。


 その上、護童学園高校の制服のスカートが元々短いのか、短くなるように履いているのか分からないが、足を進める度にスカートがヒラヒラと揺れ、で立ての卵のような白い太股ふとももが見え隠れする。


 巫音の白い肌は、月の光と相性がいいのか、夜の薄明りの中にえ、かすかに光をはなっているようにさえ見える。


 犬飼さとみに異常を感じた棗と巫音は、犬飼さとみの自宅の屋根を、半ば、軍隊でいう匍匐ほふく前進のような格好で、部屋に隣接するバルコニーから、さとみの部屋へ侵入をこころみようとしていたのだった。


 ――これは、間違いなく犯罪だ。不法侵入だ。


 棗は思うが、巫音の短絡的な行動の数々にあきらめやらあきれやらで、苦笑いするほかない。


 巫音のことだから、いつものごとく隠形おんぎょうを使って、玄関から堂々と進入するものだと思っていたのだが、呪力の消耗を防ぐために、今回は隠形おんぎょうを封印することにしたらしい。


 棗は、なるべく巫音のお尻から視線を外すように苦慮しながら後に続く。


 誰かに見られているわけでもないのに、何故か罪悪感を抱いてしまう棗だったが、この状況で眼に入ってしまうのは不可抗力だとも思う。

 たとえ、実際に見ていないとしても信じてくれる人がどれくらいいるだろうか。


 ――ある意味、いじめだ。


「まったく」


 棗はため息をく。

 ガン見を決め込むようなやからだったら丸見えではないか、と巫音の無防備さにあきれる棗。


 ――そういえば、織紙さんはピンクだったっけ……。


 と如何どうでもいいようなことを考えていると、ふと後ろを振り返った巫音と目線が合った。


「……」


「……」


 色白の巫音の顔が、見る見る真っ赤に染まっていく。


 棗は、両手のひらを前に出し、頭を大きく左右に振る。


「あ、いや、み、見」


 意味不明な言葉を口ずさむ棗。


 なおも巫音は、首の根元までも真っ赤にし、頭から湯気が上がるのが見えるのではと思うほどに上気すると、眼を強く閉じて闇雲に折り鶴を投げまくった。


 最早、目標もなく飛び散らかるだけの折り鶴の群れ。

 しかし、その中の一羽がかろうじて棗を捉えた。


 その折り鶴は、棗の額に刺さったかと思うと、バサッと折り目を解いて、一枚の呪符となると、棗の顔を覆うように張り付いた。

 その瞬間、棗の躰が何かに縛られたように動かなくなる。


 棗からは、呪符の文字を読み取ることはできないのだが、たぶん、「しゅせつ」と墨で書かれているはずだ。

 巫音が、狗神を封じるために作った呪符の折り鶴だ。


 棗は、夢枕に立った葛乃葉のお告げ――そんな良いものでもないかもしれないが、を信じて、人の思いにより形作かたちづくられた姿形すがたかたちに惑わされず、その怪異の本質を捉えて考えた場合、一見、猫の怪異と見える変事が、実のところは、狗神が引き起こしている事象と見ることが出来るのではないかという考えを、巫音に話したのだった。


「ネコなのにイヌ?」


 巫音は、どうにも納得がいかない様子だったが、他に打つ手を見つけることが出来なかったのか、取り敢えず、狗神であると仮定して事を進めて行くと決めたようだった。


 巫音は、机に向かい、狗神の動きを封じるための呪符を書写し始めた。

 再度、身を清め新しい装束に着替えた巫音は、汲んできた滝の水――聖水に日本酒と荒塩を一摘み加える。


「トホエミエミタメ 祓い清め給え」


 唱えることによって清明水を謹製きんせいすると、墨をとく。

 今一度、居住まいを正し、呼吸を整える巫音。


「オンサルバタタ ギヤタバンナヤノキヤロニ」


 何らかの儀式なのか、巫音は歯をカチカチと鳴らすと、眼をつむり、呼吸を止め、呪力を筆に吹き入れるかのように強く念じると、しっかと眼を見開き赤い和紙に呪的紋様を流れるように書き入れる。

 そして、最後に呪縛の文言――しゅせつ――と書き込んだ。


 同じように数枚の呪符を書写すると、巫音は書写した呪符で折り鶴を折り始めた。


「ネコなのにイヌ、ネコなのに……」


 ブツブツと小声で呟きながら折り鶴を折る巫音。

 如何やら、まだ、納得してはいない様子。


 巫音は試しに、出来上がった折り鶴を飛ばしてみたのだが、柱に刺さりはしたものの、今までのものと特段変わったことは起きなかった。

 巫音は少し落胆したようだったが、今まで作った呪符をグシャグシャに丸めて机から払い落とすと、気を取り直し、もう一度、最初からやり直し始めた。


 実は、棗は棗で、古文書から出てきた人形ひとがたの呪符をどうにかして動かせないものかと、人形ひとがたをジッと正視しながら意識を集中していた。


 ――動け!動け!動け!!


 棗は、人形ひとがたが立ち上がり動き出す姿を事細かにイメージする。

 集中すること数十分、全くと言っていいほどに、動く気配を見せない人形ひとがた

 棗は、一度、集中を解いて、小さく溜息を吐いた。


 巫音の方に眼をやると、巫音は意識を集中し、あらん限りの呪力を筆先に込めるように、懸命に筆を走らせている。

 巫音の周りには、和紙を丸めた呪符の失敗作が、さらに数を増して転がっていた。


 棗が我知らず、真剣に筆を走らせる巫音に見入っていると、目線の隅にクルッと回転する何かの気配。

 少し驚いて気配の先に眼を向けると、そこには人形ひとがたの呪符。


 ――今、動いてなかったっけ……!


 しばらくの間、棗は、まじまじと人形ひとがたを見つめるが、やはり人形ひとがたは微塵も動く気配はなく、思い過ごしと考えるほかなかった。


 棗がそうこうしていると、より集中するため拝殿にこもって呪符を書写しようと考えたのだろうか、巫音は、突如立ち上がると拝殿の方へ歩き去ってしまったのだった。


 今、棗が身動き出来ない状態になっているということは、呪縛の呪符は完成したということなのだろう。


 巫音は、棗の顔に貼り付いた呪符を、強力なガムテープを剥がす罰ゲームさながらの勢いで、手加減なしに思い切り引きがした。


「ぎゃっ」


 顔面に激痛が走る。

 棗が痛みをこらえ、顔をしかめながら何とか眼を開くと、巫音が頬を膨らませながら、棗をにらみ返していた。

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