拾捌ノ妙 魍魎の巣窟
犬飼さとみの家は、社長令嬢ということもあって、かなりの豪邸だ。
そこかしこにあるものが、いちいち大きく豪華に造られている。
今、棗と巫音のいるバルコニーも御多分に漏れず、実際に行われているかは別として、大人数でのバーベキューパーティーが出来るほどに広い。
棗と巫音は、何とか屋根を伝い、さとみの部屋に続くバルコニーへと辿り着いたのだった。
草木も眠る丑三つ時とはよく言ったもので、大きな庭園を持つ豪邸の木々は、小さな葉先すら揺らさず静まり返り、先ほどまで辺りを明るく照らしていた月明かりも、邪気を含んだ闇に
棗は、基本、怪異とはかかわりたくないのだが、葛乃葉との約束、というよりはヤモリの
――もう、こうなったら、鬼でも
突如、音のない世界に、髪飾りの鈴の
リーン、チリーン。
「ひっ」
思わず声が漏れる棗。
「聞こえてるんだ」
意外そうな表情で
棗と巫音は、一旦、壁の陰に身を隠し、部屋の中を覗き見る。
部屋の中は、漆黒の
その闇の中に沈み込むように、さとみが横たわる
ただ、その光景は、まさに白石美咲の描いた黒の絵そのものだった。
さとみは、ひどい寝汗を
「お願い、お願い、もうやめて、もう付き
ベッドで苦しみ
真っ白な猫を彷彿とさせる
ギョロリと真っ赤な猫の眼を
かまってほしいと、遊んでほしいと、言わんばかりに、執拗に、執拗に……。
氷の雷にでも打たれたかのように、棗の背筋に
――や、やっぱ、無理、無理、無理。
棗は、もう一度、壁を背に身を隠すと、荒い呼吸を鎮めながら、何か良い手立てがないものかと混乱する頭を働かせる。
――こっ、こういうときこそ、れっ、冷静に、解決策を……。
そっ、そうだ、狗神を祀るための頭蓋骨がどこかにあるはず。
ずっ、頭蓋骨を封じれば……。
棗が思案に暮れている隙に、巫音は、折り鶴の一羽をサッシの隙間から室内に挿し入れ、印を結び
「オン ボージシッタ ボダハダヤミ」
「オン サンマサヤ トヴァン」
隙間を通るように折りたたまれていた折り鶴が、バサッと翼を広げると、ふわっと舞い上がり、
程なくして、サッシの鍵がクルッと回り開錠される。
すかざず、ドアサッシの前に立ち、サッシに手を掛ける巫音。
「ち、ちょっと、まっ、待てって……!」
その言葉は、巫音に届いたのか届かなかったのか、巫音は全く意に介さず、サッシを開くと室内に侵入していった。
――もう、どうなっても知らないぞ。
棗は、巫音の余りにも衝動的な行動に
その壁の向こうでは、巫音が深い闇に包まれた部屋の中で狗神と対峙していた。
とはいえ、今まで跳び回っていた狗神は鳴りを潜め、全く気配を感じさせない。
闇の中を、ジリジリと警戒して進む巫音。
リーン、チリーン。
髪飾りの鈴の
と同時に空を切り裂く風切り音。
半歩ほど後方に身を
スカートの裾が千切れ飛び、巫音の真っ白な太股に血の筋が伝う。
「いっ」
顔を
リーン、チリーン。
さらに、半歩ほど右に身を逸らす巫音。
風切り音と共に、巫音の右頬に赤い筋が引かれる。
巫音は、闇の中の微かな変化を捉えようと、突き刺すような瞳で闇を見据える。
リーン、チリーン。
闇の中に微かな挙動。
「妙!!」
巫音は、
闇の中の何かとぶつかり合い、結界が青白く光を放つ。
光の方向に向け、素早く折り鶴を放つ巫音。
ミギャー。
闇の中から悲鳴のような鳴き声が響き渡る。
奇声の余韻を吸収し、再び、闇の中に沈黙が戻る。
巫音を取り巻く、闇の深淵。
――止縛の呪符が効いた?
闇の中に眼を凝らす巫音。
引きずり込まれそうな無限の闇と静寂。
漆黒の闇から薄っすらと浮かび上がる純白の妖異猫――狗神。
右耳を中ほどから失い、黒い灰と化した耳の先端部分の破片が、より黒く
狗神は、猫の眼をギョロリと見開き、牙を
ミギャー。
狗神が、巫音に向かって跳ねる。
「妙!!」
巫音の結界。
同時に三連の折り鶴を放つ。
狗神は、結界に
放った折り鶴が二匹に分裂した狗神の眉間に突き刺さる。
眉間に折り鶴を受けた狗神は、無数の黒い灰の粒となって闇の中に溶けるように消えていく。
と同時に、さらに分裂して二つの狗神を生み出す。
四匹の狗神が、同時に巫音に襲いかかる。
「えっ」
巫音は、必死の形相で、さらに三連の折り鶴を放つと、横っ飛びに跳ねて一回転し、素早く構えを整える。
「妙」
次々と分裂していく狗神。
いかに怪異を寄せ付けない結界といえども、無数に分裂した狗神の多さには対応できない。
巫音の制服が千切れ飛び、肩に狗神の爪が食い込む。
「ぐっ」
狗神の猫眼が獲物を捕らえたように、ぬらりと怪しく光る。
巫音の脇腹に、背中に、狗神の爪が赤い筋を引く。
赤い筋から流れ出したものが、引き千切られた制服をも赤く染めていく。
巫音は、
何かを伝えたいのか、叫ぶようにして、棗が何かを口にしているようだが、声は巫音に届かない。
意識が薄れてゆく中、最早、巫音に、成す術はないように思えた。
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