拾陸ノ妙 四つ足憑き

 いぬがみとは、四つ足憑きと呼ばれるモノの一種である。


 動物の強い怨念を引き出し怨霊と成るほどまで増大化した上で、その怨霊を神のごとくまつり上げることにより、強力な使役しえきしんとして操る呪術ことだ。


 それにはまず、使役しえきしんと化すべき動物を探すことになるのだが、怨霊となるほどの動物となると、どんな動物でも良いというわけにはいかない。

 強い怨念を引き出すためには、やや知能の高い動物を選ばなければならない。

 さらに、人に対して従順な上、人との間に心を通わせることが出来れば、なおのこと良い。


 そういう意味で、犬は、特に打って付けともいえる動物だ。

 この最悪の呪術は、その動物の心をも利用し怨霊へと転化させる。


 そして、犬の怨霊を使役しえきしんとしてもちいるのが、いぬがみである。


 いぬがみとする動物が決まったら、生まれたばかりの小さな頃から大切に育てる。

 十分な食べ物を与え、健康に気を配り、たくましく育てるのが理想だ。

 その月日の間に、強い絆や信頼を勝ち取ることも出来るだろう。

 絆や信頼が強ければ強いほど術の成功率は高くなる。


 ただ、術者の方は、絶対に動物に感情移入してはならない。

 忘れてならないのは、目の前の動物は、いぬがみを作り出すための、単なる道具に過ぎないということだ。


 十分に成長した頃合いを見定め、術の中核となる部分に進んでいく。


 ことを円滑に進めるために、まず、動物の尻が入るほどのくぼみを作る。

 このくぼみに入ったら、いつもより豪華な食べ物を与える。

 優しく抱きしめてでまわしてやると良い。


 上手うまく出来るようになったら、くぼみを腰の高さまで深くする。


 次は、胸の高さ。


 さらに次は、首の高さ。


 くぼみは、もはやくぼみではなく、深い穴となっているのだが、ご馳走ちそうもらうことができることを知っているので、半ば条件反射的に喜んで入ってくれるようになる。


 穴から頭だけが出ている深さになったら、食べ物を食べている間に、穴を埋めてしまう。

 丁度、頭だけが地面から出ている状態だ。


 そして、このときが最後の食事となる。


 次からの食べ物は、生き埋めになっているがゆえに、地面からえているかのようになった頭の、その鼻先に、届きそうで届かない位置を見計らって置くようにする。

 空腹が増すほどに、必死にらい付こうとするが届きそうで届かない。


 数日経つと、飢餓きが感の中で、信頼は絶望に代わり、きずなは怒りへと変貌へんぼうする。

 狂ったように、たけり、あばれ、たけくる。


 その狂気に満ち、おぞましくゆがんだ形相は、最早もはや、以前の生き物と同じものとは、到底、思えないほどだ。

 その生き物は、最後の力を振り絞って牙をき、ありったけの怒り、にくしみ、うらみ、悲しみ、くるしみを増幅し、のろいとす。


 呪いと怨念が頂点に達したとき、なたで、その首を叩き落とすのだ。


 その呪いと怨念のかたまりである生き物の頭蓋骨をまつり、怨霊をあたかも神のごとくあがたてまつるのである。

 いぬがみは、祭祀さいしおこたらなければ、術者の願いを叶えるために行動するとされているが、おこたれば、強い怨念は術者に返ってくることとなる。


 一度、生み出されたいぬがみは、その家系に代々憑き、その家筋はいぬがみ筋とも呼ばれる。


 しかし、犬飼さとみの家は、いぬがみ筋の家系ではない。


 さとみといぬがみとの出会いは、半年ほど前にさかのぼる。

 そして、その出会いは、必然的とも言えるものだったのかもしれない。


 犬飼さとみの心の内なる情念が怪異を引き寄せ、怪異もまたその情念に感応し現出げんしゅつする。

 そして、怪異は人の思いや願いを具現化し、望まれた姿形すがたかたちで人の前に現れるのだ。


 その日も授業後、いつも通り、さとみは美術室で作品制作に打ち込んでいた。


 ふと眼をやると、少し離れたところで絵を制作している白石美咲の姿。

 その周りには、多くの部員が集まっている。

 ただし、それは特別なことではなく、常日頃つねひごろからの日常風景である。


「さすが、美咲ねー」


「今年のコンクールも、やっぱり美咲だなー」


 美咲のキャンバスをのぞき込みながら、口々に称賛しょうさんの声を上げている。

 白石美咲は、さとみにとっても仲の良い友人であり、また、最大のライバルでもあった。


「ふぅー」


 さとみは、深く息を吐く。

 さとみは、道具などを、あらかた片付けると、スクールリュックを背負う。


 スクールリュックには、猫のチャーム。


 美咲たちを横目に見ながら、さとみは美術室を出た。


 さとみの父は、某大企業の社長であり、幼い頃から父のさとみに対しての対応は、大変厳しいものがあった。

 さとみは、勉学、スポーツ共に優れているのだが、父は、どんなことでも一番でなければ、認めてくれることはなかった。


 父は常に忙しく、さとみは、両親と一緒に遊んだ記憶がほとんどない。

 唯一の記憶が、幼い頃、絵のコンクールで金賞を受賞したとき、ご褒美ほうびとして遊園地に連れて行ってもらったことだった。


 父と母の優しい笑顔と楽しい一日。


 キラキラと光り輝き、金や赤に彩られた王冠や王家の意匠を模した紋章、上下に躍動する白馬が光の渦の中をまわり続ける。

 さとみは、この時のメリーゴーランドを今でも細部まで思い出すことができる。


 この一日が、ずっと終わらなければ良いと幼心に思ったものだった。

 幼い頃の一番幸せな両親との思い出。


 今も絵を描き続けているのは、この出来事があったからなのかもしれない。

 さとみは思う。


 ――最優秀賞を取れば、また、めてくれるかな……。


 しかし、白石美咲の絵は、さとみから見ても素晴らしい作品である。


 ――美咲は、いつも一番。

 私は、いつも二番。

 美咲がいる限り、いつも二番。

 美咲がいる限り……。

 美咲がいる限り……。

 美咲がいなければ……。


 さとみは、頭を左右に振り、考えを振り払う。


 ――何てことを考えているのだろう。


 自責じせきの念にられたさとみは、気分を変えるために、公園を散歩して帰ることにした。


 自宅とは方向が違うが、頭を冷やすには丁度いい。


 さとみが公園脇の道路に差しかかったとき、純白のもうに覆われた子猫が、公園の生垣に身を隠すかのようにして、うずくまっているのを見つけた。


 スクールリュックの猫のチャームが揺れる。


 子猫は、かなり衰弱すいじゃくしているように見えた。


「ねこさん。大丈夫?」


「ミィ~」


 さとみは、引き寄せられるように子猫に近づくと、かたわらにしゃがみ込み、子猫を抱きかかえた。


「そうだ」


 さとみは、少し考えると、スクールリュックのポケットからビスケットを取り出し、子猫に分け与える。


 かれ合うようかのように見つめ合う、子猫とさとみ。


 子猫の瞳に心を丸裸にされたような感覚に見舞みまわれると同時に、先ほどの嫌な考えが脳裏によみがえり、心をむしばんでゆく。


 ――美咲がいなければ……。

 美咲がいなければ……。

 美咲がいなければ……。

 美咲が、美咲が、美咲が、美咲が、美咲が……。


 さとみの容貌が、けわしいものへと変貌し、全身に抑えきれない震えが走る。


 さとみに抱きかかえられた子猫の姿も、妖気をまとい、もはや子猫のそれではない。

 先ほどまでの子猫の姿からは想像できないほど、おぞましい光を放つ眼とあざわらうかのように引き裂かれた口角。


 ミギャギャギャー。


 薄気味悪い妖異よういき声が、夕闇の中に響き渡った。

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