【浅尾真綾(7)】

 遠ざかる背中がすっかりと消えた頃、真綾は前を見つめたまま、掴んでいたシーツを惜しげも無く手放した。

 まるで白い華が咲くかのように、純白のひだが廊下へと静かにすべり落ちて広がる。

 下着姿の真綾は、手渡されたTシャツに袖をとおしながら考えていた。

 このまま孝之を1人では行かせられない。

 一緒に生きて村を出るためにも、自分も過去と向き合わなければ──紗綾と決着をつけねばならない。真綾に迷いなど無かった。


「わたしは……絶対に逃げちゃダメなんだ……!」


 Tシャツの裾を伸ばして決意を言葉にする。

 着丈の長さは、下着ショーツをギリギリ隠すことができた。それと、わずかに体温が残ってもいたので、孝之のぬくもりに包まれる心強さもあった。

 真綾は自身の両肩を抱きしめると、瞼を閉じてそっとつぶやく。


「孝之……」


 よみがえってきたのは、数々のふたりだけの記憶。

 そして、確かな想いがひとつ芽生える。

 それは愛だった。真綾は孝之を愛していた。

 極限状態の今、その想いは確信に変わった。


「おねえちゃん」


 不意に呼ばれて振り返れば、木製のバットを引きずって持つ飛鳥がそばに立っていた。


「えっ……飛鳥ちゃん!?」


 真綾は立ち尽くす飛鳥へと近づく。

 顔に痛々しい大怪我をした飛鳥の瞳の奥には、無言でも十二分に伝わってくる哀愁があった。

 この幼子にも、悲しみに暮れた負の記憶があるのだろうか。

 真綾は前屈みになって視線を合わせると、血が生乾きの小さな頬に指先で触れた。

 それは、決して哀れみからの行為ではなく、彼女が持つ母性がそうさせたのだ。


「ねえ、飛鳥ちゃん……ここは危ないから、どこか遠くへ逃げて」

「逃げるぅ? なんでぇ? おねえちゃんは、どうするの?」

「わたし? わたしはまだ、やらなきゃいけない事があるんだ」


 聖母のような慈愛に満ちた眼差しで、真綾は濡羽色の髪を優しく撫でた。

 できることなら、飛鳥も連れて逃げたいが、飛鳥にも家族が、親がいるだろう。たとえ狂人の親だとしても、引き離すのは忍びなかった。


「何をやるの?」

「うーん……仲直り、かな」


 背筋を戻した真綾が、今度は周囲を見まわす。

 やがて、襖廊下の端にある花台を見つけると、青磁色の花瓶を手に取って中から鳥兜トリカブトを抜いてそれを床に捨てた。


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