【浅尾真綾、黒鉄孝之(2)】

 白いシーツをポンチョのようにまとう真綾の手を引きながら孝之が隠し階段を下りると、客間から廊下へと出る動線上に金属バットを持つ勇が立ち塞がっていた。

 勇は目深に被る作業帽を脱ぎ捨て、手にしていた金属バットを両手に握り直す。無言で孝之を睨みつけるさまも相まって、それはまるで、刀を構える侍のような姿だった。

 孝之も真綾をかばう盾となり、前へ一歩出る。

 深呼吸をひとつしてから、釘バットを両手に握り直して相手と同じように身構えた。

 勝てる気は全くしない。

 身長も体格も、勇のほうが目に見えて上回っているし、さらに言えば、彼が手にしている金属バットのへこみや傷が歴戦を物語っていたからだ。


(このままじゃ、孝之が危ない!)


 作業帽を脱いであらわになった勇の両目は、やはり赤黒くはなかった。ほかの村人たちとは違って正気のようなので、話せばわかってくれるのではないかと真綾は考えた。


「米蔵さん、お願い……わたしたちを見逃して!」


 そう懇願するも、勇は無言のまま金属バットを構えてにじり寄る。


「なあ、頼むよ! こんな事をしてれば、いつかは警察がやって来て村人全員が捕まるぞ!」

「警察も自衛隊も、外国の軍隊だろうが誰も助けには来ない。このケツバット村に介入することは不可能だ」


 勇は、瞬きもせずに答えた。


「えっ、それはどういう……」言いながら孝之は、思い出した。


 そういえば、村の案内図を調べた時に警察署や交番の類いはどこにも記されていなかった。いくらケツバット村が過疎化していたとしても、都市部までそう遠くはない村ではありえない話だ。


「ケツバット村は……もはや実験場だ。ここに自由は無い。俺たち全員が、鉄柵の中のモルモットなんだよ」


 勇はどこか悲しそうな目をしてそうつぶやく。構えた金属バットの先が、ほんの少しだけ下げられた。

 実験場にモルモット。

 あまりにも現実離れした話ではあるが、村人たちの赤黒い目玉や狂暴性を考えれば信憑性はある。しかし、もしそうなら、いったい誰がなんのために──


「勇、もう言うな」


 自分の名前を呼ばれ、金属バットの先が元の位置にまで上がる。そして、勇は両目を静かに瞑った。

 孝之と真綾が隠し階段に視線をやると、燃えさかる有刺鉄線バットを片手に紗綾がゆっくりと下りてきて姿を現す。

 その顔は、左側半分の大怪我と赤黒く染まった右目によって、もはや真綾とは似ても似つかない不気味な様相になっていた。


「紗綾……」


 妹の激しい変わりように、真綾は思わず口元を手で押さえる。孝之も困惑して何も言葉が出なかった。


「どうしたのよ、ふたりとも? そんな化物バケモノを見るような顔をしちゃってさ」


 紗綾は笑っているつもりなのかもしれないが、大怪我をしている左側とそうでない右側の顔の筋肉が互いに奇妙にゆがんで動き、それこそ化物のような表情をつくり出していた。


「さあ、続きを……始めましょうか!」


 燃えさかる有刺鉄線バットを両手に握り、紗綾がふたりに襲いかかる!


「クソッ!」


 孝之は真綾の手を強く引っ張り、すぐさま別室へと繋がる襖を蹴破って中へと逃げ込む。

 そこから板張りの廊下に出て走り去るふたり。挟み撃ちだけは一旦免れたが、逃げた先が出口とは逆方向になってしまった。それでも、中庭へ抜ければ助かるはずだ。


「真綾、これを!」


 孝之は急に立ち止まり、自分の着ているTシャツを脱いで真綾に手渡す。


「とにかく逃げるんだ! オレは必ず追いつく!」

「そんな!? 孝之も一緒に逃げようよ!」


 不安の表情を見せる真綾の両肩を突然掴んだ孝之は素早く引き寄せると、無防備な唇にそっとキスをした。


「続きは……また後で、な」


 孝之は別れの言葉と共に優しく笑いかけ、ゆっくりと真綾に背中を向ける。

 そして、覚悟を決めると大きく鼻から息を吸い込み、紗綾たちがいるほうへと走っていった。


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