【黒鉄孝之(9)】
立ち込める煙が次なる獲物を求め、襖廊下やそこに面する各部屋の天井隅々まで覆い始めていた。
屋敷の奥から火の手が迫り、柱や調度品を次々と呑み込んでは燃やしていく。その先に居るはずの恋人の危機は、考えるまでもなく最悪の状況だった。
「真綾ッッッ!」
大声を出して叫びながら立ち上がった孝之は、舞い散る火の粉に臆することなく煙の中へ飛び込む。
傷だらけの身体が炎に熱く照らされても、構わず前へと突き進んでゆく。
その活力の源は、恋人への愛だった。
孝之は自分の
(真綾を……真綾を早く助けないと……!)
露出した上半身に灼熱の痛みが襲いかかる。すでに腕や背中は何ヵ所も火傷を負ってしまっていたが、その程度ではなんの抑止力にもならなかった。むしろ促進させていた。
愛する人を助けたい。
共に生きて、過ごしたい。
そんな強い想いが奇跡を呼んだのか、不思議と全身の痛みが消えていき、孝之はここぞとばかりに力を振り絞って炎の中を走り抜けた。
すると突然、真綾との思い出が記憶の扉を押し開けてあふれ、幻影となって目の前をよぎっていく。
落下事故直後の出会いから始まった思い出は楽しいものだけでなく、ちょっとしたことがきっかけの些細なケンカも含まれていた。けれどもそれらは間違いなく大切な、ふたりだけのかけがえのない思い出だった。
それは物凄い情報量で、あまりの多さに
「足りねぇよ! これっぽっちの思い出だけじゃ、全然足りねぇよ!」
ここでは終わらない。
こんな
これからふたりは人生を共に歩み、ひとつの大きな家族となる。まだ見ぬ子供たちと一緒に、幸せになって暮らすんだ!
自分たちの輝く未来を心に描きながら、孝之は炎の中をひとり突き進んでいった。
やがて、煙の中から小さな人影が現れる。
煤まみれの飛鳥が、小走りのまま孝行の両足に抱きついて止まった。
「飛鳥ちゃん!」
孝之はすぐに飛鳥を抱き上げると、辺りを見まわして安全そうな場所を探す。この小さな
迷わず移動する孝之。飛鳥を抱きかかえたまま、火の手とは逆方向へ駆けた。
偶然にも中庭へと続く部屋に出れたので、飛鳥を縁側に下ろす。孝之はしゃがみ込み、飛鳥の両肩を掴んだ。
「飛鳥ちゃん、ここからは1人で逃げるんだ。この火事で村の人たちが集まってくるだろうから、その人たちに助けてもらうんだよ」
「おにいちゃんは、どうするのぉ?」
「オレは真綾を……お姉ちゃんを助けに行かなきゃならないんだ」
孝之は飛鳥のおかっぱ頭を優しく撫でてから頬笑み、ふたたび炎の中へと消えていった。
そんな勇姿を見届けながら、飛鳥は小さな唇を尖らせる。
飛鳥は、村人たちのことがあまり好きではなかった。いや、そもそも大人たちが苦手だった。けれども、孝之は別だ。新しい友達としてだけではなく、それは異性としての好意なのだが、まだ幼い飛鳥にはその感情を理解することは難しかった。
炎のゆらめきを見飽きた頃、飛鳥は何かの童謡を口遊みながら中庭の奥へと向かってとぼとぼと歩き出した。
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