【浅尾真綾(9)】

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」


 無傷な右半分の顔も邪悪にゆがませながら、紗綾は絶叫する。

 有刺鉄線バットが唸りをあげて、火の粉を撒き散らしながら、真綾の身体に襲いかかる。


「──うぐッ!」


 それを避けることなく肩口で受け止めた真綾は、眠るようにして背中から崩れ落ちた。


「アッハッハッハッハ! やっと観念したみたいね、真綾! 聖者ヅラしたおまえの顔を、グシャグシャに叩き潰して豚のエサにしてやる!」


 勝ち誇るかのような笑顔をみせる紗綾が、仰向けになって倒れる真綾の上に時間をかけてゆっくりと跨がり、とどめを刺すべく、両手に力と憎しみを込めて足元の寝顔に狙いをさだめる。

 燃えさかる怨念の象徴が、1ミリの狂いもなく縦一直線に高く掲げられた。



 だが、その次の瞬間──



 真綾は薄目を開き、紗綾に優しく微笑ほほえみかけた。

 勝利を確信していた紗綾の顔つきが徐々に苦痛の表情へと変わっていき、頬を震わせひきつり始める。


「…………は? なによ……なんなのよ!? おまえ……おまえは……それで勝ったつもりなのかよ……!?」


 苛立つ紗綾が、わざと狙いを外して燃えさかる有刺鉄線バットを畳へ叩きつける。それでもなお、真綾は笑いかけていた。


「……いいのよ、紗綾……あなたがやりたいようにして。わたしを殺してくれて構わない。あなたの気が晴れるなら……あなたが救われるなら、わたしをどうか殺して……」


 思いもよらないそんな言葉に、残された右目がまばたきを忘れて真綾を見下ろす。

 気でも狂ったのかと、はじめは疑ったが、そうではないことが自分に向けられたを見ればハッキリとわかった。

 真綾は本心で、自らの意思で、その生命いのちを手放そうとしている。

 自分を殺そうとしている妹に、このわたしに、すべてを委ねるというのか──紗綾の心は激しく動揺し、混乱していた。

 こんなはずではない。

 計画とは違う。

 真綾をなぶり殺しにして、それで終わるはずだった。

 泣き喚いても赦さない。

 助けを請うても赦さない。

 なのに、どうしてこうなったのか?

 紗綾には到底理解ができなかった。


「こんな……こんなはずじゃ…………なんで笑ってられるのよ……泣き叫んで命乞いをしろ……〝助けてください〟って、命乞いをしろよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!」


 紗綾は絶叫し、狂ったように部屋中を叩きまくる。

 家具や壁を破壊しても止まらず、襖も叩き破って隣の部屋へと移り、そこでもまた、破壊の限りを尽くす。


 叩いて、叩いて、叩いて、叩いて、叩いて、叩いて、叩いて、叩いて──


「うああぁぁああああああぁぁぁああッッッ!! なんでよぉおおおおおおおおおおおッッッツ!!」


 力任せに叩きつけられるバットから燃え移った火の勢いは、さらに増していき、みるみるうちに紗綾は炎の渦に呑み込まれていった。


「紗綾……ごめんね……ごめんなさい……」


 閉じられたままの瞼から、涙が滲んでつたい落ちる。

 紗綾の苦しみの言葉の数々を耳にして、真綾は泣いていた。涙していた。

 こうなってしまうまえに、もっと早くにケツバット村へ来れていたのなら、何かまだ救いがあったのではないかと後悔をしていた。

 だが、いったい誰がこの呪われた一族の運命を変えることが出来たのであろうか?

 もしかすると、この邪悪な鎖を断ち切れる物はこの世に存在しないのかもしれない。神の御業でもないかぎり、それはとても困難で不可能な事なのだろう……


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