【田中麻美(1)】

 両親が離婚をしたのは、麻美が12歳の時だった。離婚原因は教えられていないが、夜中に言い争う声や物を投げつける音が麻美の部屋まで聞こえてくるようになり、そして1ヶ月もしないうちに両親は別れた。


 母親に引き取られ、母子家庭となった後は悲惨だった。

 転校先での陰湿ないじめ、生活苦の不安や苦しみから逃れようと酒に溺れた母親が身体を気づかう娘に手をあげる毎日。中学生になると、学校でのいじめがさらにエスカレートし、麻美は自殺すら考える日々が続く。


 そんなある日、学校で評判の良くない連中から誘われるがまま、麻美は万引きや破壊行為を繰り返すようになる。学校にも行かず、気かつけば地元で有名な暴走族レディースの特攻隊長になっていた。


 だが、そんな麻美にも転機が訪れる。

 母親が死んだのだ。


 母の依存症や麻美の素行の悪さから、母方の親類とは疎遠になっていたので、麻美は若くして自立せねばならなくなった。

 父親に頼りたくなかった麻美は、暴走族仲間のツテで小さな町工場で働くことにした。

 最初は職場の大人たちに反抗的だった麻美も、親子ほど年齢の離れた同僚たちの優しさにふれるにつれ、考え方が変わっていった。


 ある日の午後休み、携帯電話の着信履歴に父親が入院している病院の名前があった。少し迷ってからかけ直すと、父親が末期の癌であると担当医から告げられ、麻美は当惑する。

 町工場が休みの日曜に思いきって病院へ見舞いに行くと、久し振りに会う父は白髪頭になり、頬は痩せこけて別人になっていた。


「麻美……来てくれたのか」


 弱々しく、だが、しっかりと微笑むその顔は、よろこびに満ちあふれていた。

 それからは極力、ふたりでいられる時間を麻美はつくった。退院許可が下りた時、父は旅行へ誘ってくれた。行き先を訊ねると聞きなれない村の名前だったが、親子水入らずが良いとそこへ決めたと言う。


 旅行当日、旅館からの送迎車で村へ着くと、別行動で麻美は棚田を散策することにした。

 夏の青い空の下で、棚田は新緑の輝きを放っていた。目を細めれば、そこに山間やまあいから吹き抜ける微風そよかぜが加わり、都会育ちの麻美に自然の生命力を強く感じさせてくれた。

 あてもなく脇道を下りれば、風にそよぐ草の上で名前を知らない綺麗な青い蝶が、揺れを気にせずにひっそりと止まっている。

 しゃがみ込んで間近で見ようとしたその時、どこに隠れていたのか、1匹の蟷螂カマキリがその青い蝶を左右の鎌で一瞬にして捕らえて食べ始めた。

 小首をかしげながら獲物をむさぼるその目はまるで、『次はおまえだぞ』と言っているように麻美を見つめていた。



     *



 そんなことをふと思い出しながら、麻美はバットを縦横無尽に振りまわして戦い続ける。


 真綾を両開きの鉄扉から無事に逃がすと、すぐに紺色の作業着姿の男たちが追いつき、麻美と交戦状態になっていた。

 次々と男たちをぎ倒すが、あまりの数に麻美も何度か尻に攻撃を受けてしまい、両腕も疲労で痺れてきて、肩で息をする頻度も増えていた。

 それでもくじけることなく、男たちの奇声や笑い声のなかで、麻美は孤独に戦い続けた。


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