【黒鉄孝之、藤木和馬(2)】

 昼間もそうであったが、夜の大通りも人の気配は全く感じられず閑散としていた。ただ、違いらしい違いといえば、蝉の鳴き声が弱まった代わりに、遠くの畑や棚田からカエルの大合唱が聞こえてくるくらいだった。

 大通りにいくつかある外灯は節電のためなのか、ところどころ消されていて視界は特に悪かった。夜空を見上げれば、大きく浮かぶ白い満月が地上の外灯たちの御手本とばかりに煌々こうこうと輝きをみせている。

 数件の家屋の窓や鎧戸の隙間からも明かりは見えるのだが、助けを求めても罠かも知れないので、孝之と藤木は警戒して近づかないでいた。


「えーっと……誰も歩いてないですね」


 額の汗を手の甲でぬぐいながら、孝之は来た道を振り返る。不規則な明滅を繰り返していた外灯のひとつが、闇に呑まれるようにしてちょうど消えた。


「ええ。最悪、これが罠でないと良いのですがねえ」


 藤木もスラックスの前ポケットからハンカチを取り出して汗をく。

 夜中とはいえ、狂ってしまった村人たちに見つからないよう物陰に隠れながらここまでやって来たのだが、不思議なことに村人を1人も見かけることはなかった。

 危険を冒してまで大通りへ来てはみたものの、村人たちの姿はどこにも見あたらず、真綾たちの手がかりは何もなさそうだった。どうやら、すべては振り出しに戻ったようだ。


「あれだけの人数、いったいどこへ消えちまったんだよ!」


 いらついた孝之は大通りのど真ん中に立ち、何か見えないか周囲に目を凝らす。しかし、遠くに見えるのは真っ暗な闇。聞こえるのはカエルの鳴き声だけ。ふたりはただ、どうすることもできずに立ち尽くしていた。


「そうですね……ここはもうあきらめて、村の入口の様子を一度見に行きましょうか」


 汗を拭きつつ藤木が先へ進もうとしたその時、大通りの脇道から車のヘッドライトが見えた。ふたりは慌てて、近くの小さな郵便局の角に身をひそめる。

 やがてすぐに、黒塗りの高級外車が1台現れた。

 車は音も静かに郵便局を通り過ぎると、大通りにある交差点を右折し、緩やかな坂道をそのまま進んでいく。そして車は、視界から完全に消えていった。


「真綾……真綾が…………あの車の中に……」


 車が目の前を通り過ぎた瞬間、孝之には後部座席に真綾の姿が見えたような気がした。だが、恋人を想うあまりの幻覚なのかもしれない。確信を持てない孝之は、遠くの交差点をただじっと見つめ続ける。


「なんだって? すぐに追いかけましょう!」


 そんな孝之に代わり、藤木は交差点をめざして走った。孝之も我にかえって後を追うと、信号機近くのチカチカとまたたく街灯の下に村の案内地図があった。

 先だって車の行き先を調べていた藤木は、トートバッグの中身を漁る。孝之も案内地図を見てみれば、坂道の先には地元名士の邸宅なのか、大きな枠線の中央に個人名が記されていた。


刀背打むねうち邸と書いてあります……うーん……確か、ケツバット村の村長が刀背打姓だったような……」


 藤木はそう言って、トートバッグの中からケツバット村の観光パンフレットを取り出す。

 折りたたみ式のパンフレットには、村の略歴や名産品、旅館や村の歩き方といった情報がカラー写真と共に掲載されており、そのなかに村長の顔写真と挨拶文が載っていた。


「村長の名前は……本当だ、刀背打真右衛門しんえもんって書いてありますね。なんだか、剣法の達人みたいな名前だなぁ。あっ、やっぱり剣道八段て書いてありますよ」

「孝之君、どうやら車は村長の屋敷へ向かったようですよ」


 藤木と孝之は顔を見合わせると、同時に坂道を見上げる。



 ケツバット村……


 この村では、いったい何が起きているのか……


 楽しい夏の思い出になるはずの恋人との初旅行が、急にどうしてこんな事になってしまったのだろうか。

 少なくとも、行方知れずになった真綾は、この坂の上にいるかもしれない。



「真綾……いま行くぞ!」


 決意を新たに、孝之が坂道へ歩み始めると、坂の上から松明と木製のバットを手にした百人以上の村人たちが、奇声を発しながら人間雪崩となって物凄い勢いで駆け下りて来る。


「えっ……ウソだろ、おい!?」

「た、孝之君、逃げましょう! 散って逃げましょう!」


 孝之と藤木は目を見開き、思わずその場から後退あとずさる。

 一刻の猶予もないふたりは、とりあえず待ち合わせ場所を旅館裏手のブナ林に決め、大通りを二手に分かれて脱兎の如く逃げ出した。


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