ここがケツバット村

【黒鉄孝之、藤木和馬(1)】

 麻美が旅館内へ入ってから5分と経ってはいないが、孝之も藤木も気が気ではなかった。

 このままおとなしく待っていれば男がすたる。いや、人として間違っているのではないか。孝之は意を決する。


「藤木さん」

「孝之君、行ってください。わたしを置いて、さあ、早く」

「いいえ、藤木さんを置いて行けば麻美さんに怒られます。このまま一緒に行きましょう!」


 孝之は返事を待たずに、藤木を背負ったまま旅館の中へと急いで向かう──



 開け放たれた正面玄関を抜けてロビーに入ると、絨毯の床の上には頭の割られた小太りの男が死んでいて、近くには孝之たちの部屋を担当する仲居がくの字に折れ曲がった格好で倒れていた。


「おおっ……なんと……いうことだ……」


 凄惨な光景に藤木は言葉を失う。


「マジかよ…………真綾! 麻美さーん!」


 孝之はありったけの大声でふたりの名前を呼ぶが、館内は静まりかえったままだ。


「真綾! 麻美さーん!」


 何度呼んでも、やはり返事は無かった。

 広い1階ロビーを見渡してみても、そこにひとけはどこにも無い。倒れている大きな植木鉢の周囲は水がこぼれたのか濡れていて、なぜか少しだけアンモニア臭がした。


「孝之君、申し訳ないが降ろしてください。わたしは自分たちの部屋を見てきます」


 藤木は「大丈夫だから」と言って強引に背中から降り、よろめきながらも大階段の手摺をつたって3階へと上っていった。

 残された孝之は、土産物コーナーの一角が崩れ落ちているのに気づき、ゆっくりと近づいてゆく。潰れたケツバット饅頭の箱からは甘いにおいが立ち込めていて、そこから少し離れた床の上には、半分に折れたアクリル製の部屋番号のプレートが落ちていた。

 導かれるようにそのプレートを手に取ってみる。

 半分に折れてはいるが、それは紛れもなく、自分たちが泊まっている部屋の鍵に付いていたものだった。


「真綾……真綾ッ!」


 拾い上げたプレートを手に、孝之は大声で叫びながら大階段を駆け上る。

 2階の部屋へと辿たどり着き、すぐにドアを開けようとしたが閉まっていて動かない。中で隠れているかも知れないと思い、何度も叩いて真綾の名前を呼ぶが、やはり返事は無かった。


「こちらにも、誰もいませんでしたよ」


 静かな声に振り返れば、神妙な面持ちの藤木がそばに立っていた。


「藤木さん……オレ……わからないです。なんなんですか、これ? なんなんですか、この村は!?」


 不可解なケツバット村にも、無力な自分にも憤りを感じた孝之は、つい藤木に対して声を荒げてしまった。そのまま怒りの感情をこぶしに変えて、閉ざされた部屋のドアをもう一度だけ強く叩く。


「麻美のことだ、きっと真綾さんとうまく逃げのびているよ。さあ、孝之君……早くふたりを見つけましょう」


 藤木も辛いはずなのだが、自分を慰めようとしてくれている。

 孝之は「すみません」としか言葉が出てこなかった。



 その後、藤木の提案で土産物売り場から食料と飲み物を調達することにした。

 土産物として売られているキャンバス地のトートバッグに菓子類や缶詰、水のペットボトルをできるだけ詰め込む。トートバッグにはでかでかと〝Ι LOVE ケツバット村〟の文字がプリントされていて使うには抵抗があったが、この状況下では背に腹は代えられなかった。

 ふたりが数寄門を抜けると、まだ車は激しく燃え続けていた。

 免許取りたての頃、レンタカーをこすって10万円も請求されたのを急に思い出す。例え数センチの傷でも塗装の塗り替えは車体全体に施すため、その金額になったのだ。

 この車種で大破だと、どれだけの弁償金額になるのか──

 無事にケツバット村を脱出しても、孝之には悪夢がまだ続くことだろう。


「さて、これからなんですが」


 先頭を歩いていた藤木が立ち止まり、大通りを指差す。


「かなり危険ですけど、村の中心部へ向かってみようかと考えています」

「えっ? でも、さっきの連中は大通りへ向かっているようでしたけど」

「おそらくは、村の出入り口を封鎖するのでしょう。そして、ローラー作戦で我々を追い詰める」


 封鎖にローラー作戦……ケツバット村の人口がそう多くはないとしても、数では明らかにこちらが不利である。先ほどの行列も、ざっと見て百人以上は優に超えていた。


「麻美や真綾さんの行方がわからない以上、村から脱出するという選択肢は伏せて、まずは敵を知るため、脱出径路などの何かしらの情報を得るためにも、ケツバット村の中心部へ行きましょう」


 確かに、真綾や麻美を置いて逃げることなどできるはずもない。危険を覚悟で、孝之と藤木は村の中心部・大通りをめざすことにした。


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