第1話 【彼と言葉を交わしたのはそれが初めてだった】

 休み時間、トイレから教室へ帰る途中、D組の前でうな垂れている女子がいた。


 誰かがD組に出入りするたび声をかけようとしては気づかれず素通りされている。声かけのタイミングがワンテンポ遅れており、それはいかにも引っ込み思案の性質に思えた。


 俺の身体は自然と彼女に歩み寄っていた。


「誰かに用事?」


 彼女はびっくりしたように顔を上げた。長い前髪で隠れて片目しか見えないが、その目が大きく見開かれている。


「あ、はい」


 教室や廊下のざわめきで容易にかき消えてしまうような声。


「古山さんに……」


 俺は教室に顔を突っこんで声を張った。


「古山さん、いる?」


 窓際で談笑していた女子グループのひとりが怪訝な顔をしてこちらにやってきた。


「潮野くんじゃん。なに?」

「なんか用事だって」


 隣でうつむく彼女を目顔で示す。


「ああ、委員会の。ええと……」


 名前は思いだせないらしい。


 これ以上、部外者の俺がここに突っ立っている理由はない。


「じゃ」


 俺は自分のクラスのほうへ足を向ける。


 なんとなく気になって振り向く。ちょうど彼女が深々とお辞儀をしてE組のほうへ歩いていくところだった。


 初めて見た子、ではないと思う。教室は離れているようだが何回か見かけてはいるはずだ。印象に残っていないだけだろう。


 ――クラスでうまくやれてるのかな……?


 ああいうタイプを見ると、どうしても気になってしまう。


 小学生のころ、あの子みたいに引っ込み思案で口下手な奴がいた。クラスでいじられ、本人も文句は言わずいつもニコニコとしていた。しかし、その笑顔が俺にはなんだかすごく歪なものに見えてしかたがなかった。


 数ヶ月後、そいつは学校に来なくなった。いじりが原因だった。


 ときにいじめよりも、一応は仲間として扱われ、空気を読むことを求められるいじりのほうが心への傷が深いこともある。


 俺はそのいじりには参加こそしていなかったが、ひどく罪悪感を覚えた。内心つらい思いをしている、そのヒントに気づいていたのに俺はなにもしなかった。


 もしも俺が行動していたら、あいつは登校拒否などせずに済んだのではないか、と。見ているだけでなにもしなかった俺も、決して潔白などではない、と。


 だから俺は誓ったのだ。次は絶対に見過ごしたりしない。きっと力になろうと。


 さっきの子がそこまで追いこまれているかは分からないが、もしまた手遅れになったらと考えると、どうしても心配になってしまう。


 俺はもう一度振りかえったが、すでに彼女の姿はなかった。





 俺はスーツを着てパイプイスに座っている。正面には会議テーブルをはさんで三名の面接官。そのうちのひとりが俺の履歴書を見ながら言う。


「大学ではボランティアに打ちこんだとありますが、具体的には?」


 想定していた質問。答えは当然用意してきている。


 にもかかわらず。


「……」


 言葉が出なかった。解答が飛んでしまった。頭が真っ白になる。どっと汗が噴きだす。


 面接官たちは顔を見合わせ首を横に振ると、俺の履歴書に赤ペンで大きなバツをつけた。


「あ、も、もう一回――」


 ピピ、ピピ、と電子音が聞こえる。時間切れだ。


 面接官はぞろぞろと部屋を出ていく。


「ま、待っ――!」



 ピピ、ピピ、ピピ。



 気がつくと、俺は仰向けに倒れていた。


 いや、違う。見慣れた天井。ここは俺の部屋だ。


 ピピ、ピピ、とスマホのアラームが鳴っている。


 ――またこの夢か……。


 俺はのそりと起きあがってアラームを止めた。頭がふらふらする。


 ――ねむ……。


 身体をうんと伸ばし、大きなあくびをして、俺は学校へ行く準備を始めた。





 昼食が終わったあと、俺を含む男子五人、廊下でたむろしてだらだらと駄弁る。


「野戦行動さー、まじで勝てないんだけど。課金したらいいのか?」

「課金しても強くはなれないぞ」


 俺は即座に返答した。


「そうなの?」

「コスチュームとかカスタマイズできたりするだけ」

「え、じゃあなんで勝てないの?」

「足りないんだろ」

「努力が?」

「センスが」

「どうしようもねえじゃん」


 笑いが起きる。


 ――よし、いい感じ。


「そういやレッズがさ、やべえんだよ」

「フォワードが移籍するんだって?」


 今度はサッカーの話題。またもや俺はすぐに返答した。


「そう! 得点王だぞ、得点王。あいつがいなくなったら誰が点をとるんだよ……」

「フロントも補強は考えてるんじゃない?」

「でもうちの戦術は複雑だからさ、すぐフィットしないだろ」

「怪我人も復帰してきてるし、若手も成長してるし、チーム一丸になったら行けるって」

「まあそうだけどさ……」

「補強するとしたら誰がいいんだろうな」

「そうだなあ。まあフォワードは必要として、センターバックが――」


 ネガティブな話題からポジティブに移る。


 ――よしよし、いいぞ。


「お、井崎いさき


 と言った彼の視線の先にいたのはA組の井崎摩乃まのだった。長く艶めく髪、すらりとしたスタイル、整った容姿、大人っぽい泣きぼくろ。俺たち一年生のみならず、学校中でも知らない人間はほとんどいない強烈な美人。


 彼女がこちらのほうに歩いてくる。俺は肘でつつかれた。


「潮野、なんか声かけろよ。知りあいだろ」

「一言か二言話したことがあるだけだよ」

「なら知りあいだろ。ほら」


 井崎さんが俺たちの横を通りすぎる。


「こんにちは、井崎さん」


 俺が挨拶すると、彼女はつんとした表情のままこちらを見て小さく頷き、A組のほうへ歩いていった。


「お~」


 歓声があがる。


「リアクションがあったぞ」

「そりゃあるだろ」

「でもなんか無視しそうじゃね? 井崎って」

「まあ」


 取り澄ました態度とミステリアスな雰囲気。それもまた彼女を有名人たらしめている要因だった。


 予鈴が鳴った。昼休みが終わる。


 今回も間を空けることなくうまくコミュニケーションがとれた。俺はほっと息をつき、教室へ戻った。



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