第2話 【どうしてうまく話せないのだろう】
「これ図書室に持っていってくれるか?」
職員室に学級日誌を届けに行ったら、担任の
ファ○タのアップル味。
「差し入れですか?」
「中は本。OBの寄付」
「ああ、なんだ。お駄賃に一本あげるみたいなのを期待しました」
「蔵書とダブってるやつもあるから一冊持っていってもいい」
「それはいいです。本読まないんで」
「嘆かわしい……。若者の読書離れが深刻だ……」
「知りたいことはネットで調べればいいかなって」
本を丸々一冊読破するよりそちらのほうが合理的だ。
和泉先生はちょっと考える素振りをしたあと言った。
「島」
「潮野です」
「そうじゃない。島だ。水面に顔を出した狭い陸地」
「そっちですか」
「あれは水に浮かんでいるのか?」
「浮かんでるのもあります」
「……そのとおりだ。でもそれだと話が終わってしまうから、ひとまず浮かんでいないほうの一般的な島で頼む」
「了解しました」
「島だけ見ても、水面より下の地層にも目を向けなければ、島のすべては理解できない」
「優雅に泳いでいるように見える白鳥も水面下では激しく足を動かしている、みたいな?」
「そんな感じだ」
「あれ実はそんなに激しくは動かしてないそうですよ」
「……そうなのか?」
「ネットで調べました」
「……うん。固定観念を疑うその姿勢を大事にな」
「そういう話でしたっけ?」
「そういう話だが? ――まったく、よく回る口だ」
「いやあ」
「皮肉だが」
「俺、褒められて伸びるタイプなんですが」
「疲れないか?」
「……とくには」
深い意味はない問いだったのかもしれないが、図星を突かれて返事が遅れた。和泉先生は呆れたように鼻で息を吐くと、
「本、頼んだぞ。図書委員には言ってある」
と、ノートパソコンに向き直り作業に戻った。
「了解しました」
「ちょっとコミュニケーションがとりづらい奴かもしれないが、まあお前なら大丈夫だろう」
「はあ」
ダンボール箱を持ち、俺は職員室をあとにした。
図書室は校舎の極北にある。図書室に行こうと決意しなければわざわざ足を向けないような場所だ。くわえて学校からほど近いところに市立の図書館があるため、利用する生徒の数は推して知るべしである。俺は一度も行ったことがない。
特別教室の前を何度か通りすぎ、ようやく図書室へとたどり着いた。引き戸をがらっと開ける。
そのとたん古い本の匂いが図書室から溢れだしてきた。本なんか読まないのに、なぜか懐かしい匂いだと感じる。
「すいませーん……」
首を伸ばしてカウンターのほうを見る。
本を読んでいた女子がこちらを見て大きな目をぱちぱちと瞬かせた。
「あ」
俺は短い声をあげた。
――あのときの。
教室の前でもじもじしていた子だ。図書委員だったのか。なんだかとても納得感がある。
「和泉先生に本を持っていけって言われたんだけど」
彼女はこくこくと頷く。それだけだった。
「……え、ええと、どこに置けばいいかな。カウンターの中?」
こくこく。
「……じゃ、じゃあ、お邪魔します」
カウンターの中に入り、空いたスペースにダンボール箱を置く。
「ここでいい?」
こくん。
沈黙。間に我慢できなくなり、俺は早口でしゃべる。
「ジュースの箱だったからさ、最初なんで図書室にジュースを持ってくんだろうって思ってさ。ははっ」
「……」
「というかファ○タのアップルって珍しいよな。売ってるの見たことないわ」
「……」
「ははは……」
「……」
彼女はずっとうつむいている。
――ノーリアクショーン……。
「……じゃあ、お邪魔しました」
コミュニケーション失敗。敗北感を噛みしめながら図書室を出ようと出入り口に向かう。
と。
「あ、あの……!」
すっとんきょうな声があがった。びくりとして振りかえる。彼女は真っ赤な顔でこちらを見ていた。
「あ、ありがとう、ございました」
「あ、ああ、うん、どういたしまして」
「い、いえ、こ、こっちではなく……。……こ、こっちもですけど」
「うん?」
「前に、助けていただいて……」
「ああ、あれのこと」
「その節は……」
「節って」
俺は吹きだした。彼女はうつむく。
「お、お礼が、遅れてしまって、申し訳ありません」
「いや、べつになんとも思ってないよ」
「すいません……」
声も身体も縮まっていく。
「そこまで恐縮しなくても」
「く、口下手で……、すいません……、治したいんですけど……」
「べつに病気じゃあるまいし、治すとかそういう類のものじゃないでしょ」
彼女はきょとんとした。
「身体がでかい奴もいれば小さい奴もいる。それと同じだろ。よくしゃべる奴とそうでない奴。そういう性質ってだけ」
「でも……」
「明るくてはきはきしてる奴のほうが得をしやすい世の中だとは思うけど。そういう圧力は弱くなってきたと思うし、オンラインのインフラも充実してきて直接会わなくても仕事やコミュニケーションはできるし」
「……」
「無理に他人に合わせようとしたら、きっとつらいからさ」
登校拒否になり、その後二度と会うことのなかったあいつのことを思いだしていた。
「高いところのものは背の高い奴にとってもらえばいい。話はコミュニケーションの得意な奴に任せればいい」
「……」
「まあ、なんかあったら俺に言ってくれれば――、って、親しくもないのにこんなこと言われても困るよな」
俺は自嘲気味に笑った。彼女の小さく首を横に振る。
「というか、名前も知らないし。俺、潮野」
「潮野……くん」
「君は?」
「あ、か、貝守、です……」
「貝守さんね。よろしく」
「は、はい。よろしく、お願いします」
「それにしても」
俺はぐるりと図書室を見回した。
「ひと、いないな」
こくり。
「いつもこんな感じ?」
こくん。
「だよなあ。ふつう市立図書館行くよな。――あ、ごめん」
ふるふる。
「落ち着くから……」
「なるほど、たしかに」
少々日当たりが悪いことを除けば静かでよい場所だ。意外と穴場かもしれない。
「貝守さんはやっぱり本が好きだから図書委員になったの?」
彼女はちょっと考えたあとかぶりを振った。
「本は、好き。でも、図書委員は、推薦されたから……」
「推薦?」
「誰も、やりたがらなくて……。わたし、よく本を読んでたから、やればって……」
「押しつけられた?」
ふるふる。
「やりたかったけど、手を挙げられませんでした……」
「じゃあ願ったり叶ったりだ」
貝守さんはこくんと頷く。その顔に少しだけ微笑みがにじんでいた。いじりやいじめはないようで安心する。
「どんなの読むの?」
小首を傾げる。
「いろいろ」
「一番最近読んだやつは?」
貝守さんは視線を斜め上のあたりに漂わせる。まるで本棚の本を探すみたいに。
「……『さくやさんはいじりたい 漫画ノベライズ』」
「はい?」
思わず裏声が出た。
「へ、変ですか……?」
「いや、もっと難しそうなのを読むのかとばかり」
「堅いものも、もちろん。でも、流行ってたから」
「というか、それなら俺も読んだぞ」
原作の漫画が好きだったから。
うつむきがちだった貝守さんは顔をあげ、満面に嬉しそうな笑みを浮かべる。まるで花の開花の早送り映像みたいだった。
「本当ですか……! すごく面白いですよね……!」
「あ、ああ」
「あのふたりの関係性がとても素敵で、どちらも優秀なだけにプライドが高くて素直になれず、いつもお互いを牽制してしまうのに、いざというときはすごく相手を思いやった言動をして、でもそういうときに限って相手はそのことに気づかずに――」
「う、うん」
「ふたりのキャラクター設定がうまくて、すれ違いも決してわざとらしくなくて、だからこそすごく応援できる――」
今までのたどたどしい口調が嘘のようにすらすらと言葉が溢れでる。
俺は面食らっていた。急に勢いよくしゃべりだしたこと、それ自体にではない。
寡黙でも、貝守さんはしゃべっていたんだ。アウトプットできないだけで、頭の中では、こんなにも。
俺はその声を聞こうともせず、『引っ込み思案』『口下手』のカテゴリーに彼女を押しこみ、手を差しのべることで自分を慰めていただけだ。
いや、彼女だけではない。これまで接してきたすべての人びともだ。俺は自分の不安を解消するために彼らを利用していたに過ぎない。上っ面だけで、本当の声に耳を傾けることなんてしてこなかった。それではあいつをいじって面白がっていた連中と大差ない。
貝守さんはふだんどんなことを思い、どんなことを考えているのだろう。すごく知りたい。なにより、楽しそうに話す彼女の表情に惹かれてしまっていたから。
貝守さんははっと息を飲んだ。
「あ、ご、ごめんなさい……。しゃべりすぎました……」
と、しょんぼりする。
「全然。身近にこんな話ができる友だちはいないし、よかったよ」
貝守さんはますます恥じ入るように首をすぼめる。
「あのさ」
そう前置きすると、彼女はちらと上目遣いでこちらを見た。急に照れくさくなって、今度は俺が目をそらす。
「俺、ほとんど本とか読まないんだけど。ちょっと興味が湧いてきたっていうか……。また来ていいかな?」
「あ、はい。いつも、開いてますので」
「いや、そうじゃなくて……。ええと……、貝守さんって、いつ当番なの?」
「基本的に、水曜日に」
なぜそんなことを聞くのか、といういぶかしげな顔をする。
「そ、そう。なら、その日に来るかも」
「……え? あ……」
「じゃあまた!」
俺は逃げるように図書室をあとにした。
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