第4話:イージー・ワーク-4

 場面1-8:旧港・護岸(夜)


 ナイフの刀身をハンカチで拭うと、黒曜はそれを懐に納める。再び懐中電灯を手に取って、「荷物」の行方を捜すことにした。


 ……今回の任務(ミッション)は、護衛を伴い密かに国外へ逃亡しようとしている要人の抹殺。随分と秘密主義な依頼主だったからその素性はわからないないけど、裏社会を追われた元大物だとか、機密を持ち逃げした企業の離反者とか、どうせそんな手合いだろう。


 取り巻きにこれだけ手間取って、本命を逃したのでは元も子もない。何としても奴を見つけ出さないと——窒息しかけたせいでまだ重い頭を絞りつつ、黒曜はライトの光を周囲に巡らせる。


 経年劣化でひび割れたコンクリートの上に、赤い足跡が点々と続いていることに気づく。護送車の車内へ目をやると、それは射殺した男の血だまりから始まっているようだった。


「案外不用心な奴だな……」


 そう呟いて、心なしか小ぶりに見える足跡を辿っていく。


 徐々に薄れていく血痕に目を凝らしながら進むと、古い倉庫の一棟に行き当たる。


 閉ざされたシャッターの脇、立て付けが悪く半開きとなった金属製の扉を、音を立てないよう慎重に開け放つ。これまで何度も盗みに入られたのだろう、酷く荒れ果てた作業員の詰所。黒曜は拳銃を構え、ゆっくりと周囲を見渡す。……「荷物」の姿は、どこにも見当たらない。



 マタリングを仕掛けてみるも、反応はない。「荷物」はどうやら、"Lin-X"の話者ではないらしい。


[かくれんぼに付き合っている暇はない]


 ゴルドスタイン社製"CodeTalker"で問いかける。返答が返ってくる筈もなく、苛立ちのこもった自らの声だけが虚しく響き渡る。


 またしても言語難民か。これは長丁場になりそうだ——小さく舌打ちをしたそのとき、



(カラン)



 背後で微かに物音が聞こえた。振り返ると、作業机から落ちたらしい空き缶が、埃の積もった地面をゆっくりと転がってくるのが見える。


 矢庭に周囲を包んだ、静寂と緊張。遅回しとなった時間の中、つま先に空き缶が……触れる。


 すかさず、その先の影へと銃を突きつけた。


「動くな——」


 そう告げた瞬間、黒曜は思わず絶句する。



 作業机の裏から顔を覗かせていたのは、企業の離反者や、まして裏社会の元大物でもある筈がない。可憐で弱々しい、ひとりの少女の姿だった。


 色素欠乏(アルビノ)というのだろうか。眩いばかりに白く輝く髪と素肌、その中でいっそう目を引く虹彩の赤。オーバーサイズのコートを胸元で握り締める体躯は小柄なもので、女性らしさを帯び始めたばかりの肉付きの曲線が、布の上からでも見て取れる。高名な彫刻品に引けを取らないくらい整った顔立ちも相まって、天使だか妖精の類を思わせる神秘的な容姿だったけれど、袖口から覗く物々しい刺青で水を刺された気分になる。


 よくよく見ると、それは何かのバーコードのようだった。B&Bの企業警察が、収監中の政治犯を管理するのに用いるものと似ている。確かに彼女が脱走囚だとしたら合点がいくが、しかしこんな弱々しい少女に限って……。


「お前は、いったい?」


 戸惑いのあまり、黒曜は思わず問いかけていた。


「…………」


 少女は口をつぐんだまま、ただ差し向けられた銃口を見つめている。鋭く突き刺すような赤色の奥で、しかしその大きな瞳は、微かに震えているようだった。……さっさと殺してしまおう。沸き起こった感情を無理やり振り払って、黒曜は意を決した。


 引き金に力を込めようとしたとき、懐に感じる生温かさに、ぎくりと身を固くする。


 あの男の体温が、未だしてナイフの刀身に居座っていた。黒曜がその手で掻き乱した臓物の温もりが。……厄介な呪いを掛けられた。自らと同じ葛藤を、仇である僕にも味わわせようというわけか。


 けれども生憎、僕はお前のような半端者とは違う。なぜなら僕は兵士だ。相手に情けをかけて、自分が殺されるなんて失態は犯さない。相手が弱々しい少女だろうと、ただ任務を遂行するまで——。


「『一線を超えた兵士は強い』……」


 自己暗示のように呟いて、再び照準を定めた、そのとき。



『確かに、一線を超えた先でしか見えないものがある』



 ——どこからか、「先生」の声が聞こえた気がした。



『……それでも君には、この景色を見せたくないな』



 矢庭な脱力感に襲われて、黒曜は銃を下ろす。


 死の瞬間を待ち受けて固く目を瞑っていた少女は、様子を窺うようにゆっくりと瞼を開ける。戸惑った様子の彼女に、「行け」と目で促した。


 状況が飲み込めないようで両眼を幾度も瞬かせた少女は、ようやく立ち上がると、ふらつきながら何処へ走り去っていく。その足音が消えるまで、黒曜はただ立ち尽くしていた。


「……先生。あれからもう四年です」


 引き抜いたナイフを見つめて、ひとり呟いた。


「いつになったら、僕は貴女になれますか」


 ——2084年、7月。夏を知らない世代の傭兵は、寒さに凍える身体を抱きしめた。

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イネイン 高城乃雄 @High_Castle_Guy

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