第1話:イージー・ワーク-3

「あの『言葉使い』は、これが目的だったんだ」


背後で苅田が語るのを、運転席の袴田はただ静かに聞いていた。


「奴は空山に偽の記憶を植え付けた。初めて顔を合わせた新人たちへの、有りもしない思い入れの記憶を。憎しみを抱いた空山が、無茶をやってボロを出すことを期待したんだろう。……そして、現にその目論見は成功した」


「まさか。いくら『言葉使い』でも、口先だけで他人の記憶を操るなんて」


「いや、奴らならやりかねん。ごくひと握りの『凄腕』に限られた話だが」


「あんな年端もいかないガキが、そうは見えませんけど……」


袴田がそう訝しむと、苅田はため息混じりに、


「まったくだ。そしてその先入観が、結果おれたちの敗因になった」


掠れた声で、さらに続ける。


「奴の言葉が聞こえさえしなければ、これ以上どうすることもできないだろうとたかを括っていた。でも実際はどうだ。奴は、おれたちが想像していた何倍も狡猾で、それに残忍だった」


「苅田さん……」


「思い返せば、違和感を覚える場面がいくつもあった。空山は確かに純粋過ぎるが、我を忘れて仲間を危険に晒すほど馬鹿じゃない。もっと早くに気づけた筈なんだ。そしたらあいつは、あいつは……」


バックミラーの向こうで、苅田が頭を抱えた。かけるべき言葉も見つからず、袴田は黙り込む。


「なあ、袴田」


「……何でしょう」


「聞こえてただろう、拡張言語を入れているお前には。空山は最期に、何と言ったんだ」


冷や汗が浮かぶのを感じた。いっときの間を置いて、袴田は返答する。


「『すみません』。そう言っていました」


「そうか……」


呟くように言って、苅田は押し黙ってしまった。



袴田は嘘をついた。年来の部下を失い、いつにも増して悲痛な様子の苅田に、これ以上の追い打ちをかけるようなことは憚られたのだ。たとえその躊躇が、故人の遺言を捻じ曲げる結果に繋がるとしても。


〈知りたくなかった......〉


空山が零した最期の言葉は、苅田が告げた真実を前に、自らの死の意味を失くしたことへの精一杯の恨み言だった。それが思いがけず拡張言語として表れたのは、今や彼が日本語以上に”Lin-X”と慣れ親しんでいた証拠だろう。


不意に、運転席でまどろんでいる最中に聞こえていた四人の新人たちの会話が、袴田の脳裏をよぎる——。


〈オレたちみてえなロクデナシを拾ってくれたのはいいんだがよお。あのおっさん、いろいろトロ過ぎねえか?〉


〈アイツと話してるとノロノロ運転のジジイに出くわしたみてえな気分になる。前に居たら邪魔臭え、かと言って追い抜かそうとするとスピードを上げやがる。これだから言語難民(カタコト)は嫌いなんだよな〉


〈おいおい、仮にもオレたちの上司になる相手だぞ。聞こえるように文句言ってていいのかよ〉


〈構やしないさ、どうせアイツにゃ何言ってんのかわからないんだから〉


そう下卑た笑い声を上げていた一同も、今や埠頭の冷たいコンクリートの上に転がっている。皮肉なことに、拡張言語が仇となって——ぶつぶつと聞こえていた気味の悪い譫言と、直後に響いた六発の銃声が、頭の中で残響して消えようとしない。


社会の輪から隔絶され続けた苅田。輪の中に身を置きながらも、結局は言葉使いの手にかかった新人たち。言語の壁に阻まれ、最期の言葉を伝えることさえままならなかった空山——いずれにせよ、俺たちは企業に多くを奪われ過ぎている。取引を終えて借金を完済したところで、果たしてこのしがらみを逃れることはできるのだろうか……?



場面1-6:旧港・護送車車内(夜)



護送車は古い漁港へと差し掛かっていた。


底無しの闇をたたえた海の中に、一隻の小型船が浮かんでいるのが見える。護岸に沿って車体を走らせながら、袴田は無線機を手に取った。


〈こちらK班〉


そう呼びかけるも、反応はない。訝しみながらもさらに続けて、


〈《荷物》を持ってきた。船を岸に寄せてくれ、どうぞ〉


引き続き応答はない。岸に寄るどころか、寧ろ離れていく船体を目の当たりにして、袴田は困惑した。


〈こちらK班! 聞こえてないのか、荷物の受け渡しが……〉


甲板に人影が出てくるのを見て、袴田は言葉を切った。大袈裟な身振り手振りで、必死に何かを伝えようとしている。


〈上?〉人影が指差した先に目線を向ける。



目が合った。



車体の上から顔を覗かせた傭兵が、フロントガラス越しにこちらを見下ろしていた。その冷たい眼光に射抜かれて、袴田は思わず凍りつく。


〈お、お前……〉



傭兵が告げた。——直後、袴田の視界は暗闇に覆われる。


どこに目線を向けようと頭を振ろうと、何ひとつ変化のない漆黒。何だ、いったい何が起きた? ……湧き出る疑問に脳が溺れていく。背筋を撫でる悪寒に震えあがって、上下の歯がガチガチと音を立てた。


「袴田、どうした」


その異様な様子を見かねて、苅田が尋ねる。


「苅田さん、あいつがそこに。でも目がっ」


「落ち着いて話せ。何が……」


「うわああああああああっ!」遂に袴田は狂乱して、車体を滅茶苦茶に振り回し始める。言葉使いを振り落とそうと、アクセルを踏み込んだまま。


「何やってる、しっかりしろっ」


苅田の静止もお構いなしに、無我夢中でハンドルを切り続けた。くたびれたエンジンの咆哮とタイヤの悲鳴が、夜空に響き渡る。


……親や企業や借金に、何もかも都合良く奪われてきた。その上、命まで奪われるというのか? 糞詰まりな人生にも一縷の希望が見え始めた、その矢先に。


嫌だ、やっぱり死にたくない。これまで何ひとつ良いことがなかった。何度も命を断とうと考えた、だけど踏み止まって、ようやくここまで来たんじゃないか。だからこのまま終われない、まだ生き足りない。死にたくない、死にたくない、死にたくな



——肌を粟立たせる大きな衝突音とともに、袴田の意識は途絶えた。



場面1-7:同・護岸(夜)


小型船が去り、先ほどまでの騒動が嘘のように静まりきった湾の水面。それを砕き割るかのように、ひとつの影が現れる。


勢いよく水飛沫を上げて、傭兵は護岸へと這い出る。まったく散々な夜だ——内心毒づきつつ、手をついて立ち上がった。海水を吸ってずしりと重いコートから水滴を滴らせながら、冷たい潮風に全身を震わせる。


鼻をつく焦げ臭さを嗅いで顔を上げる。立ち昇る黒煙と、古い倉庫に突っ込んだまま動かない護送車が目に入った。衝突の威力を物語るかのように、運転席の部分がぺしゃんこに押しつぶされ、そこからチリチリと小さな炎が顔を覗かせている。


「どうして、こうも上手くいかないもんかな」


深く吐き出した白いため息が、夜空にほどけて消えていく。


あの言語難民の男さえいなければ、今ごろ任務を終えて帰路についているところだった。むろん走行中の車の屋根に乗り移り、数キロほど走った先でさらに夜の海へと飛び込む、なんてアクション映画も顔負けの真似をする必要もなく。


依頼主(クライアント)から渡された資料に、敵に言語難民が居るなんて情報はなかった筈なのだけれど……思案を巡らせながらも、空になった拳銃のシリンダーに弾を込める。コートの内側から懐中電灯を取り出し、辛うじて原型を留めている護送車の車体後部へと近づいていった。


バックドアに身を寄せて、開閉用のハンドルを掴む。事故の衝撃で運転手は当然のこと、ついでに言語難民の男と「荷物」も処分できていればいいのだが——念じるような思いで、ドアを開け放つ。

 

暗闇の中、散乱したガラスの破片だけが輝く後部座席。焦げ臭さと生臭さに満ちたその中へと、一歩足を踏み入れる。


爪先に柔らかい感覚が触れて、電灯の光を足元へと向けた。……ついさっきこの手で射殺した、若い男の死体が転がっている。外気に晒されて湯気を立てる血溜まりの中、昏い瞳で虚空を見上げるその姿は、いつかの誰かに似ているような——古い後悔を思い出しかけて、傭兵はかぶりを振る。


死体の傍らには、座席に座って深く項垂れた、別の男の背中が覗いていた。


「動くな」


日本語で呼びかけても、反応はない。だらりと垂れ下がった右腕からは、血が滴り落ちている。


死んでいるのか……と、傭兵は訝しむ。銃口を向けたままゆっくりと近づき、肩に手を置いた、そのとき。



(ゴンッ)



鈍い音が間近で響いた。矢庭に飛んできた拳を顔面に受けて、傭兵は仰向けに倒れ込む。


その上に馬乗りとなった中年の男は、逞しい両手を傭兵の首元へ伸ばした。


「このクソガキが……よくもっ」


折れそうなほどに細い首筋が、ミシミシと音を立てる。空気を取り込もうと必死にもがく傭兵の視界には、額や鼻や瞳から流血しながら、憎しみに歯を食いしばる言語難民の男の形相だけがある。


拘束を解こうと抵抗するも、傭兵の華奢な体つきでは屈強な男になす術がない。最悪の展開だ——遠のいていく意識を辛うじてつなぎ止めながら、取り落としてしまった拳銃へと必死に手を伸ばす。


指先で手繰り寄せ、ようやく銃把を握ろうとした、そのとき。


「……!」


矢庭に現れた足首が銃身を蹴り飛ばし、通り過ぎていく。「荷物」が逃げたのか——靄がかかったように判然としない意識の中で、傭兵は愕然とした。


こうなると、他に手立ては……。白くぼやけていく視界に遠くの拳銃を捉えたまま、辛うじて絞り出す。



「たすけ、て……」



言葉使いが零すのを聞いて、苅田は頭から水をかけられたような気分になった。何をやっているんだ、おれは? 細い首筋を絞めていた両手の力が、思わず緩む。


つい今まで苦悶に歪められていた言葉使いの表情は、全てに諦めがついたかのように、虚ろで生気のないものとなっている。その幼い顔立ちと華奢な体つきを見比べていると、しばらく会っていない長女と次男の姿が、脳裏にちらついた。


違う。いくら子供くらいの歳だろうと、こいつは立派な言葉使いだ。空山と袴田を殺し、おれたちのクソッタレ人生から最後の希望さえ奪い去った、正真正銘の悪魔なんだ。なのにどうして、どうしておれは——。


「……畜生、悪魔のくせにっ」


そう呟いて、苅田は思わず、言葉使いから目を逸らす。



——男が見せたその隙を、傭兵は見逃さなかった。


コートの下に滑り込ませた指先に触れる、硬くて冷たい感覚。傭兵はそれを引き抜くと、男の下腹部へと思い切り突き刺した。


「ぐはっ」


男の口から、何とも間抜けな声が漏れた。豆腐に包丁を突き立てたような、随分と呆気ない手応え。それを確かめるように、傭兵は男を何度も、何度も滅多刺しにする。


やがて首元に絡まった指が解け、男は傭兵のそばに倒れ込む。ずたずたに裂けた腹部から血を溢れさせながら、何か言い遺すことがあるかのように口をパクパクと動かしていたけれど、やがてそれも止まった。


喘ぐような呼吸をしばらく繰り返して、傭兵はどうにか平静を取り戻す。徐に立ち上がって愛銃を拾い上げると、言語難民の男の骸を見下ろした。……やはりこの男は、単に運が良かっただけだ。そうでもないと、こんな半端者が裏社会を生きながらえて来られた筈がない。


男の腹に突き立ったナイフを引き抜いた。荷台から外に出て、その薄刃を月明りにかざす。鮮血に塗れている筈の刀身は、しかし本来の漆黒から、何ひとつ変わりないように見える。


「……こうも真っ黒じゃあ、血の色だって見えないか」


自らと同じ名を持つ石器のナイフを見つめて、「黒曜」は呟いた。

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