第1話:イージー・ワーク-2

 場面1-5:市街・護送車車内(夜)


 最初の「拡張言語」が発売された頃のことを、苅田は昨日のことのように覚えていた。


 自然言語に比べて情報伝達の効率性・正確性を増した、「言葉の殻に閉じられた世界をうち破る」人工言語——たしか、そんな触れ込みだったように思う。


「言語パッケージ」と呼ばれるデータのまとまりを脳に直接書き込むから、単語や文法を自力で学ばなくて済む。故に言語能力の個人差が生まれ辛く、誤解や軋轢を恐れることもない。生まれや育ち、人種などに関わらず、皆が共通したひとつの言葉を使うことができる。


 そして何より、自然言語で話すのと同じ内容を、その四分の一の発語数で伝えられる……。インターネットが崩壊し、皆が他人とのつながりに飢えていたこの世界に、拡張言語は瞬く間に普及。社会インフラの奥深くまで浸透していった。


 やがて、代わり映えしない面子とその七光がのさばっていたこの国の頂点には、それぞれ独自の言語を運営する二大企業が君臨する。


「B&Bブラザーズ」と「ゴルドスタイン社」。公民問わず、社会組織の大半がいずれかの傘下に取り込まれ、それは苅田の勤め先も例外ではなかった。体質上、拡張言語の書き込みを受け付けない「言語難民」であった彼は、ついには一般社会で働く権利さえも奪い取られてしまったのだ。


 以来二十年に渡り、裏社会の運び屋として細々と生き延びてきた苅田だが、それも今や限界を迎えようとしている。何しろ日本語を話すことはおろか、日本語で「考える」ことにすら、税金がかかるこのご時世である。


 だからこそ。もう一層、深い闇の中へと足を踏み入れる必要が、苅田にはあった。



「……ああそうだ、受け渡しの場所を変えたい」


護送車の後部座席では、エンジンの唸りが騒がしいばかりに響いていた。空山の右手に包帯を巻きながら、苅田は必死で無線機に語りかける。


「無理を言ってるのはわかってる、だがこっちは命がかかってるんだ。……ああ、しばらく先で古い漁港に出るから、船を寄せておいてくれ。『荷物』はそこで受け渡す。オーバー」


「荷物」の様子を見やりつつ、無線機を座席の上に放り投げた。包帯の両端を固く結んで、空山に鎮痛剤代わりのウォッカを手渡す。


「......悪かったな、その手のこと」


 数分前。自殺を図っていた空山を止めようと、苅田は拳銃を握るその手を撃ち抜いたのだった。......差し出されたスキットルを受け取った空山は、一口だけそれを呷って、口元を拭う。


「謝らないでください。お陰で助かったんです」


 俯いた空山の表情は、発言に反して重苦しい。


 何とも居づらい沈黙が、二人の間を流れる。……新人教育の名目で預かっていた五人の部下たちが、目を離していた隙に「殺された」。苅田は確かに、部下たちが自ら頭を撃ち抜く様を目のあたりにしたのだけれど、それでも彼らは「殺された」ことに違いなかった。言葉という名の凶器によって。トレンチコートを着た、あの「言葉使い」に。


 ——「彼ら」の囁きを聞いて、ある者は発狂する。またある者は、自らの意思に反して自殺を図る。或いは謂れのない憎しみを植え付け、見ず知らずの相手を滅多刺しにするよう仕向けることさえ、「言葉使い」には意のままだ。


 企業が国家を代理するようになって以降、熾烈を極める企業間紛争の只中に、彼らは介在していた。拡張言語の脆弱性を掌握し、その影響下にある人々をまるで自らの手足のように操ることが出来る傭兵たち。おれたちを襲ったのは、そんな連中のひとりだ。


 雇い主は何者なのだろうか……と、苅田は訝しむ。おれたちを襲う動機があるとすれば、まず思い当たるのは「取引」に気づいた硫黄島の連中だ。しかし、拡張言語を忌み嫌うがために離島へ立て篭もった奴らに限って、言葉使いなど雇うわけがない。


 他にあり得るとすれば——「荷物」に刻印されたバーコードへと、自然に目がいった。


「……盗まれた物を取り返そうってか」


 そう呟いたとき、運転席から素っ頓狂な声が上がった。


「後ろ、何か来てるっす!」


 先の騒動中、車内で居眠りしていたために命拾いした運転手の袴田が、今度は真っ先に異変に気づいた。車体の背後を覗き込んだ苅田は、深夜の大通りを猛然と迫り来る一台のスポーツカーを見つける。


 直後。破裂音が轟くと同時に、リアガラスに亀裂が走った。真っ赤なポルシェの車体から覗くトレンチコートの袖と、窓に穿たれた小さな穴を見比べて、苅田は歯軋りする。


「あの野郎……」


 連続する発砲音と、ヒビで白くくすみががるリアガラス。その向こう側を広がっていくヘッドライトの光を睨みながら、苅田は声を張りあげる。


「トラック44、フルボリュームだ!」


「了解!」袴田が応じて、カーオーディオのスイッチを入れる。


 ハンドクラップが繰り返された後、鼓膜を引っ掻くエレキギターの音色が響き渡った。重低音で脳を直接揺さぶられるような感覚に、こみ上げる胃酸を飲み下す。


 きょうび耳にすることさえ珍しい英語の歌詞で、ハスキーな男の声が歌い始める。



 "今日も汗だくで目が覚める

 恥辱に塗れ、食い潰すだけの一日がはじまる——"



 言葉使いの発言を認識すると身体を乗っ取られるのなら、極端な大音量でそれを打ち消せばいい。我ながら安直な考えだったが、空山たちの様子を見るに上手くいったらしい。


 ご自慢の指向性メガフォンが封じられて、今の奴はアスファルトの上の金魚も同然だ。どれだけ立派なひれがついていようと、掻き分け進むための水がなければ意味がないだろう。しかし……。


「スピード上げろ、追いつかれるぞ!」


「無茶言わないでくださいよ、これで精いっぱいっす!」


 袴田の悲痛な叫びに、苅田は舌打ちをした。


「存外、喰らい付いてくるか……!」


 向こうがその気なら、やるしかない。意を決し、安全な隅に「荷物」を寄せると、自らの拳銃を空山へと差し出す。


「傷病手当はくれてやる。もう少し働いてもらうぞ」


「言われなくても!」


 歯を食いしばりながら、空山は不慣れな左手で銃を握った。一方の苅田自身は、今にも破られそうなリアガラスの下からアタッシュケースを引っ張り出し、その中身を組み立て始める。


「まだだ、次の弾が来てから——」


 形を成した軽機関銃に弾倉を叩き込み、コッキングレバーを引いたそのとき。鋭い音とともに、リアガラスが粉々に砕け散った。


「今だ!」苅田が叫ぶ。ガラス片から顔面を庇いつつ、二人は座席を飛び出した。


 すぐそばまで迫ったポルシェに向けて、一斉に銃を連射する。



(ズガガガガガガガガ)


(バン、バン、バン)



 夜の市街に、いくつもの銃声がこだまする。堪らず別車線に退避した赤い車体は、そのまま高架へと進入する坂道を上っていく。


 高架上を並走するポルシェに向かって、二人は引き続き射撃を続ける。しかし銃弾の殆どが橋桁とガードレイルに阻まれ、かたや護送車を見下ろす体勢となった傭兵は、獲物を深追いして身を乗り出した苅田と空山を狙撃することが出来た。


 マテバ”MTR8M”——前傾姿勢の異様な銃身から発射されたマグナム弾が、苅田の耳元を掠める。本能の部分を逆撫でするような音に身震いして、慌てて身を隠した。


 尚も拳銃を乱射する空山の襟を掴み、車内へと引っ張り込む。


「何するんです!」空山が怒鳴った。


「邪魔しないで下さいよっ」


「今は分が悪い。冷静になれ!」


 平坦な調子を装いながらも、自らの声が上ずっていることを自覚する。ヒトは撃たれて死ぬとき、「あの音」を聴くのか。神経を逆撫でする大気の震えが残響して止まない。


「気を急いて姿を晒すと奴の思うつぼだ。今は状況を見て......」


「次の機会が来るまで、じっと動かないでいるつもりですか」


 空山は語気を強める。


「結局身動き取れなくて、缶詰の中身にされちまうのがオチですよ」


「今出て行ったところですぐに死ぬだけだ。何を自棄になってる、頭を冷やせ」


「対価に見合うだけのリスクなら背負えって、あなたが言ったんでしょう!」


 そう声を荒らげて、空山は拳銃を投げ捨てる。激情に歪められたその顔に、苅田は違和感を覚えた。


「お前、そんなに短気だったか……?」


「何言ってんです、俺は変わらず冷静です。……使わないんなら、それ貸してください」


「……何をするっ」


 短機関銃を奪われそうになって、苅田は抵抗する。その手を無理やり振り払った空山は、傍らの割れたガラス窓から身を乗り出して、銃を乱射し始めた。


「おい馬鹿、戻れっ!」


 カーオーディオから流れるシャウトにかき消されているのか、それとも当人に聞き入れる意思がないのか。苅田の呼びかけも虚しく、空山はただ一心不乱に引き金を引き続ける。


 突然、風船が割れたような鈍い音が響いた。後輪から空気を吹き出しながら、途端に勢いを無くした赤い車体が横滑りする。途切れたガードレイルの先に並び立つ三角コーンが弾き出され、護送車の屋根にぶつかって大きな音を立てた。


 パンクした後輪を橋桁から投げ出したまま、背後に飛び去っていくポルシェ。それを横目に捉え、苅田は安堵する。


「......袴田!」


「なんっすかあ!?」


「もう切ってくれ、耳が馬鹿になりそうだ!」


 唐突な静寂に包まれた中で、苅田は座席に深く身をもたせた。荷物の状態は......少しくたびれてはいるが、無傷だ。これでどうにか取引を終えられる。生まれてこのかた不幸続きのおれだが、今更になってツキが回ってきたらしい。


 とはいえ、空山の無茶は上司として見逃せない——説教しようと口を開きかけて、しかし苅田は言葉を詰まらせる。


「おい、空山——」


 一体いつから、彼はそうしていたのだろうか。苅田の視線の先には、血溜まりの中に力なく倒れ込んだ、空山の姿があった。


「空山? ……しっかりしろ、空山」


 そう呼びかけながら、苅田は全身から血の気が引いていくのを自覚する。


「何事です、空山さんがどうしたんすか?!」


 袴田からの疑問に答えている余裕などなかった。ぐったりと横たわる空山の服を脱がせると、胸元に空いた赤黒い穴が目に入る。そこから絶えず血液が溢れ出るのを見て、苅田は悟った——こいつは、もう助からない。


「苅田、さん」


 消え入るような声で、空山が言った。先ほどまでの覇気を微塵も感じさせない青白い顔に、苅田は耳を寄せる。


「何だ、何か言いたいことがあるのか」


「俺、立派に復讐を果たせましたか......?」


「復......讐?」訳が分からず、苅田は首を傾げた。


「今、『復讐』って言ったのか」


 空山はこくりと頷く。


「いったい、何のことだ?」


 ——そう尋ねられて、ほんの少しの間、空山は言葉を失った。


「あれ......え? だって......」


 表情と声音に戸惑いを隠せないまま、空山は絞り出す。


「だってみんな、あいつに殺されたじゃないですか。『食い意地ばかりは一人前の小谷に、そのおこぼれに預かっていた安田兄弟、成人したばかりの富岡、子持ちの斉藤まで』……」


 そのとき、苅田の内心で燻っていた違和感が確信へと変わる。


「お前、何を言ってる?」


「何、って……」


「あいつら、この前入ったばかりの新人じゃないか。お前が顔を合わせるのは、今日が初めての筈だ」


 そうだ、どう考えてもあり得ない——確かめるように、苅田は内心で呟いた。こうなることがないようにと、今回はわざわざ新人を借りてきたのだ。「取引」の最中に万が一のことがあったとき、後腐れなく切り捨てられるように。


 そして、絆されやすい空山と袴田が彼らに思い入れを抱くことのないよう、今日の今日まで顔合わせをさせなかった。つまり、空山が彼らの個人的な事情まで知っているなどということは、どうしてもあり得ないのだ。


「そんなの、俺、オレ……」空山の目から、涙が溢れる。


「遏・繧九r蜿肴悍……」


 瞳の奥で微かに揺れていた灯火が、そのとき消えた。最期の瞬間、彼が零した言葉の意味を、苅田が解することはなかった。

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