イネイン

高城乃雄

第1話:イージー・ワーク-1

 "その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。" — 「創世記」11章1-9節




 場面1-1:コンテナ埠頭・船着き場(夜)


 黒洞洞たる海を見つめていた。鉛のように身重たく横たわる、深夜の東京湾を。


 午前二時、ナトリウム灯の淡い光に包まれた埠頭。無数に積まれたコンテナの面(おもて)には、二つの"B"で瞳を象ったアイコンばかりが繰り返されている。


「B&Bコミュニケーションズ」


「B&Bポリスサービス」


「B&Bフーズ&サプライ」


「B&Bトランスポート」


 いくつもの視線を背中に感じながら、護岸に腰掛けた男は煙草に火をつけた。メンソール入りのハイライト。近所の煙草屋ではこれが一番安い……。


 粘りつくような刺激の煙を肺いっぱいに吸い込んで、ため息と共に吐き出す。普段はここから対岸の非正規街区に灯る生活の光が覗けた筈だが、今日ばかりは廃ビル群の輪郭さえ捉えることができない。


「言語難民」たちの締め出しが始まったのだろう。小銃を手に、群衆の影を追い回す企業警察隊の姿が目に浮かぶ。


「明日は我が身、か……」


 ひとり呟いて、男は拳を握り締める。



 これからおれがやろうとしていることは。喩えるなら、このドス黒い海の只中に裸一貫で飛び込むようなものだ。



 一度潜ったが最後、日の当たる場所には帰って来られないかもしれない。誰にも知られず死んでいくのかもしれない。ロクな結末にならないことが見え透いていたとしても、クソッタレな現状を少しでも改善するためには、こうする他になかった。


「......閨槭%縺医k繧医≧縺ォ譁?唱險?縺」縺ヲ縺ヲ縺?>縺ョ縺九h」


「讒九d縺励↑縺?&......」


 神妙な面持ちで俯いた男の背後から飛び込んでくる、若者たちの笑い声。その意味するところを男が解することはない。


「……苅田さん!」


 唯一聞き取ることが出来た呼び声に、部下たちがたむろする護送車の方を振り向く。……白い息を吐きながら、ひとりの青年が小走りで向かってくるのが見えた。


「どうした、秋山」


「苅田」と呼ばれた中年の男が尋ねる。


「あと三十分です。......本当に、上手く行きますかね」


 顰め面の空山が、"Lin-X"訛りの日本語で言った。


「いまさら弱気になってどうする」


「しかし。硫黄島の連中を裏切るというのは、いくら何でも......」


「何かを得るにはそれなりの代償が要る。資本主義の鉄則だ」


 真顔でそう言いながらも、苅田は内心で自嘲する——資本主義の爪弾き者が、その原則を得意げに語るとは。


「ここのところ流行ってんだろ?お前らみたいに『言語代』で首が回んなくなって、裏社会入りする若いのが。何しろ最近じゃ、拡張野のインプラントだけで企業にウン千万ぼったくられるんだってな」


「…………」


 ばつが悪いようで、空山は押し黙る。


「見事にあいつらの術中にハマったわけだ。到底払いきれない額の負債で民衆をがんじがらめにして、一生手元に置いておく……。さしずめお前らは、拡張言語をエサに都合よく飼われてる奴隷ってとこか」


「そんな言い方は」


「嫌なら覚悟を決めることだな。この仕事が上手くいけば、借金をチャラにして余りあるほどの大金が入る。稼ぐ額に見合うだけのリスクなら、進んで背負ってやるくらいの度胸を見せてみろ」


 しばしの沈黙の後、空山は頷いた。


「……わかりました。俺、やります。企業に負い目を感じる生活なんて、もうまっぴらです」


 覚悟を決め、引き締まったその顔に、苅田は罪悪感を覚える。……それらしい御託を並べ立て、結局は自分勝手な目的に他人を巻き込む。おれのやっていることは、それこそ企業が実践している詐欺の手法と同じではないか。


「……それより、準備は万全なのか?」


 内心の葛藤を紛らわすように、苅田は尋ねる。途端に苦い表情をした空山は、絞り出すようにして言った。


「それが……」




 場面1-2:同・入り口(夜)



〈ありがとうございました〜〜〉


 原付に乗って走り去っていく配達員を見送ってから、その巨漢は、片手に抱えたディスク状の箱を満足げに見つめた。鼻腔をくすぐる香りにはやる気持ちを抑えながら、同僚たちが待つ船着き場へと向かう。


 オセロ・ピザ——全世界98カ国に展開する宅配ピザの老舗でさえ、今や〈B&Bブラザーズ〉の関連子会社にその名を連ねている。世界的混乱の煽りを受けて倒産寸前だったところをB&Bに拾われ、曰く〈一人でも多くのリピーターを獲得する〉経営方針で、瞬く間に世界シェア一位へと返り咲いたのだ。


 それからというもの、ピザ生地の生産ラインに奇妙な白い粉が混入しているとか何とか、怪しい噂も耳にするようになったが、糖尿病と脂肪肝でいつ死んでもおかしくない巨漢には関係のない話だった。


 それにしても——と、巨漢は不意に思いつく。あの配達員、結局は〈どっち〉だったのだろう。アニメキャラのように整った容姿が脳裏に浮かぶ。


〈……あんな女を抱きたいもんだなあ。あれで《付いてる》ってんなら、ゾッとするが〉


 ひとり呟いていると、コートのポケットで暖めていた指先に痛みが走った。


〈痛っ!……何だよ、ったく〉


 爪の間に突き刺さった紙片を、巨漢はまじまじと見つめる。


〈……《期間限定30%オフクーポン》?〉


 そういえばさっき、レシートと一緒に受け取ったんだった。ポップな見出しの下の、細々(こまごま)とした説明書きの内容に目を凝らす。


使89西




 場面1-3:同・船着き場(夜)


「ピザ屋を呼んだのか、この埠頭に……?」


 信じられないといった様子で、苅田は眉根を寄せた。


「依頼完遂の前祝いだとか何とか。ほかの連中も承知してたようで」


「ちょっと目を離した隙にこれか? おれは修学旅行の引率じゃねえんだぞ!」


 吸い殻を海面へと叩きつけると、苅田はヒステリックに叫んだ。


「もしそのピザ屋が配達先を怪しんで、サツにパクりでもしたらどうする。ムショに入れたらまだ運がいい、下手するとその前に、『連中』がやって来て皆殺しだ。一度目をつけられたらもう逃れられない、気がつくと全員仲良く海の底に沈んでる」


「苅田さん、落ち着いて......」


「大げさ言ってるんじゃないぞ。おれは知ってるんだ、そうやって何人も消えてったことを......!」


 焦りと恐怖で血走ったその目を見て、空山は戸惑いを覚える。そして気がついた——実際のところ、自分よりもこの人の方が、「連中」を裏切ることにおびえているのだ。


「......兎に角、あいつをここに連れてこい。おれは便所に行ってくる」


 途端に押し黙った苅田は、背中を小さくして立ち去っていく。……状況が状況だ、気が立っているんだろう。


「苅田さんも、今回ばかりは冷静になれないか……」


 小さくため息をつく空山。



 ふと、先ほどまで聞こえていた後輩たちの笑い声が、ぱったり止んでいるのが気になった。


 護送車の方を振り向いた視界に、件の人物の影が飛び込んでくる。淡い逆光に包まれた、達磨のような巨大なシルエット......。その周りでは、四人の後輩たちが何故か、彼を崇めるようにして身を丸めていた。


〈何をやってる!〉


 B&B社製”Lin-X”言語で、そう問いかける。


〈さっきの話は聞いてたろ。ふざけてる場合じゃ——〉


 そこまで言いかけて、空山はようやく異変に気付く。ゆっくりと歩み寄ってくる巨漢の動きはどこかぎこちなく、ひれ伏しているように見えた後輩たちはその実、頭を抱えて悶え苦しんでいた。


〈——何があった?〉


〈マカツカネヱサンは、手遅れです……〉


 投げかけた疑問もお構いなしに、ぶつぶつと譫言を繰り返す巨漢。


 逆光のベールが剥がれ、ようやくその表情が露わになる。


〈マカツカネヱサンは、もうお嫁に、行けません〉


 福笑いみたく無理に歪められた笑顔の口元からは、ペースト状に咀嚼されたピザが、だらだらと垂れ流されていた。




「手順」その1——処理限度を超える言語情報により、対象の脳に過負荷状態を引き起こす。




〈何を言って……〉


〈マカツカネヱサンが、今でもさめざめ泣いているのは、ひどい目に合たのに、皆んなが、知らんぷりするセィです。皆んなが、忘れたふりするセィです〉


 常軌を逸した眼光の迫力に、空山は思わず後退る。


〈マカツカネヱサンは、手遅れです。マカツカネヱサンは、ジャリドモが、見ました。缶の中に、うずくまっているのを、見ました。タキツケと、いるのを、見ました〉


 宇宙語を聞かされているかのような気分だった。噛み砕こうにも歯が立たず、元の形を留めたままの言葉たちが、みるみるうちに脳を埋め尽くしていく。


〈マカツカネヱサンは、手遅れです。マカツカネヱサンの素は、ヤスダ通いで、ユングです。二重の意。その身体脆弱性に頼んで、トツキサンが、差し入れしました〉


〈マカツカネヱサンは、手遅れです。ヤスダ通いは、ボウリョクされ〼。シガを食べ〼。夜通し続いて、オンギヤーオンギヤー泣きました。やがての日、ヤスダ通いはマカツカネヱサンに成りました〉


〈マカツカネヱサンは、それでもトツキサンが、野放しなので怒ってい〼。ユルゼナイ! ユルゼナイ! と、むかついて、トツキサンをイッパイ増やしました。とさ〉


〈それって……〉


 眉間を揉みながら、空山は戸惑いがちに続けた。



〈フレディとは逆なのか?〉



 ——口をついて出た言葉と、それで腑に落ちたような気になっている自分自身に驚愕した。


〈俺、いま何て……〉


 いま言おうとしたのは確か……マカッカ姉さんが7,139(現在)分の1になろうとしているということで、そのためにトッキサンをフィルターの材料にするのは仕方のない犠牲と言えるんじゃないのか?無言メソッドでは効果がないということは、既に歴史が証明してしまっている訳だし……。


〈……7,139分の1?〉


 それって、何のことだったっけ。


〈無言メソッド?〉 


 全くもって心当たりがない。浮かんでは消えを繰り返す、身に覚えのないこの言葉たちは、いったい……。


 まるで、思考だけが独り歩きしているような——そこまで思い至った途端、強烈な頭痛に襲われて、空山はその場に倒れ込んだ。




「手順」その2——過負荷状態の脳は、外部に対しての防御を緩める。それら脆弱性を突く命令(コード)を生成する。




 割れるような頭の痛みにうめき声を上げながら、空山は地面を這いずり回っていた。周囲で同じようにのたうち回っている後輩たちの吐瀉物と、ぐちゃぐちゃにすりつぶされたピザの匂いとが混ざり合い、つられて吐き気を催す。


 胃の中身をぶちまけながら、少しでも現状を理解しようと思考を巡らせる。しかしその度に、理解しがたい頓智気な単語ばかりが溢れて、頭痛は激しさを増すばかりだった。


〈ぅ〜〜おぉ〜〜〉


 耳鳴りの中に紛れて、妙な拍子のついた巨漢の唸り声が聴こえていた。


〈うおおぉぉぉぉぉぉおん〉


 辺りを彷徨い歩くその視線は虚ろで、だらしなく開きっ放しとなった口元からは、唾液が糸をひいている。


〈……こいつが、こいつのせいでっ……!〉


 震える手を腰にやり、空山は拳銃を引き抜いた。やっとのことで撃鉄を起こし、照星を達磨の胸元へと定め、引き金に力を込める。


 そのとき。




「手順」その3——告げる。





 何処からか声が聞こえた。巨漢を射殺す筈だった銃口は、しかし気がつくと、自らの顳顬(こめかみ)へ向けられている。


〈ちょ、待っ——〉


 言い終えぬうちに引き金が引かれる。星ひとつない夜空に、いくつもの銃声がこだました。



 * * *



「.......やま......」


 ——朦朧とした意識の中で、馴染みのある呼び声が響き渡っていた。


「......空山!」


 呼応するかのように拍動する掌の激痛で、空山は目覚める。


 瞼を開けると、そこは相変わらず深夜の埠頭だった。真っ先に目に飛び込んできたのは、取り落とされた拳銃と、右手に穿たれた穴から溢れる鮮血。


「気づいたか?!」


 空山は苅田に襟を掴まれ、力の抜けた身体を引きずられていた。


〈みんなは……?〉


 そう尋ねた後で、苅田さんは拡張言語を解さないのだ、と思い出す。目覚めたばかりで日本語を話すことは随分な負担だったから、自力で状況を把握しようと試みた。


 周囲を見渡すと、淡橙色の光に照らされた中に突っ伏した、五つの人形(ひとがた)が目に入る。


 四つは銃を手に、達磨のようなもうひとつは目や耳や鼻や口から流血しながら、そのどれも死んでいた。〈食い意地ばかりは一人前の小谷に、そのおこぼれに預かっていた安田兄弟、成人したばかりの富岡、子持ちの斉藤まで〉……。


 この仕事をしている以上、いつか同僚の死を目の当たりにする日が来るだろうと、覚悟はしていた。しかしそれが、こうもあっさりと、そのうえ何人も同時に訪れるなどとは。


 あの声だ、と空山は不意に思いつく。〈死ね〉と告げるあの声を聞いた途端、自らに銃を向けていた。


〈……マタリングか!?〉


 ひとり納得するように呟いた。ならばそう遠くない場所から、俺たちの様子を眺めているに違いない——見えない仇の姿を探して、必死で視線を巡らせる。



 積み上げられたコンテナの上、満月を背に立ち尽くす、小柄なシルエットがあった。


 いかにも中性的な青年だった。トレンチコートを羽織った下に覗くのは、オセロ・ピザの制服だろうか。影に覆われて窺い知れない目元から、炯々とした二点の光が見下ろしている。


 その右手には、銃口にあたる部分が桜のように花開いた、拳銃型の奇妙な機械が握られていた。




 場面1-4:同・コンテナ上(夜)


 取り逃した二匹の獲物を見下ろしながら、傭兵はひとつため息をついた。彼らを腑(はらわた)に抱えた護送車が走り去っていくのを見送って、コンテナを飛び降りる。


 ナトリウム灯の足下、闇夜にぼんやりと浮かび上がった公衆通信機。その受話器を取り、事前に打ち合わせしておいた番号をコールする。


 間もなく、戸惑いがちな女の声が飛び込んできた。


「……もう終わったんですか?」


「いや、仕損じた」動揺を気取られまいと、努めて冷静に続ける。


「これから『荷物』を追いかける。車をこっちに回してくれ」


「え〜〜嫌ですよぉ! 昨日レストアしたばっかりで、また壊れでもしたら……」


 不満を垂れる助手の言葉を遮って、傭兵は通話を切った。伝えるべきことは伝えた、あいつ個人の事情に構っている暇はない。


 それにしても、きょうび「これ」が効かない相手がいるなんて——指向性メガフォンのアンテナ部が折りたたまれていくのを見つめながら、内心そう呟いた。このご時世、裏社会にだって言語難民の働き口はそうないというのに、あの男は随分な幸運の持ち主なのだろう。


 けれど、あいにく今日がその運の尽きだ——メガフォンをホルスターに収めると、傭兵は拳銃を手に取った。

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