Song.35 舞台

 ケースに入っていたのはは、真っ黒のジャズベース。同じ色のピックガードには長年使い込んだことを示す、無数の傷が勲章のように残っている。

 色そして形から、まぎれもない、父親のものであることがすぐにわかった。


 その証拠に、ヘッド裏に「Map」と刻印が入っている。特注で作ったためにそれを入れていた。

 幼いころに何度か弾かせてもらったことのあるベースではあるが、触れるのは十数年ぶり。懐かしみながら触れれば、父との思い出がよみがえる。


「親父のかよ。荷が重いだろ……」


 いくらベースであっても、それに積まれた経験が違う。ずっと使っていた人のクセが染み込んでいるのだ。使えと言われても気が引けて、顔が引きつる。


 その顔のまま隅々まで確認してみれば、傷のないパーツがいくつかあった。

 何年も持ち主がいなかったにも関わらず、メンテナンスはしっかりされているようだ。そのため、弦がさびていることもネックが曲がっていることもない。それでも恭弥が背負うには荷が重い。

 だが。


「みんなでやるから大丈夫」


 ベースの傍に置いていた自分のギターに手を伸ばした瑞樹がにっこりとほほ笑みながら言う。

 その声に背中を押され、恭弥は深く深呼吸をすると、「やってやるよ」と小さな声で言い、意気込んだ。


 ケースの中には、ベースを背負うためのストラップやピックも入っていた。

 これもまた父親が使っていた、真っ黒のものだ。

 全てが形見であることに緊張しつつ、ベースを肩にかけて軽くピックで弦を弾く。


 アンプにつないでいないので、小さく弦が震える音が耳に入る程度。それでも懐かしい父のことを思い出しながら、チューニングを行う。

 瑞樹もそのそばで、自らのギターの準備をし始めた。



 ステージ上とそのすぐ下の所では、吹奏楽部がセッティングを終えている。

 恭弥たちからは見えないところに指揮を務める生徒が立ち、客席に頭を下げたところで拍手が鳴った。

 そうして始まる吹奏楽部の演奏。

 生徒、そして来賓は体育館に響く楽器の音を、静かに聞いている。

 コンクール用のクラシック曲とテレビで何度も流れる人気のポップスを数曲メドレーで披露し終えると、盛大な拍手が吹奏楽部へ送られた。


 幕が下り、ステージ上にいた吹奏楽部のパーカッション担当の人達が楽器を片づけていく流れに逆らい、悠真が走って恭弥達の元へやってくる。


「楽器のセットすぐやって。吹奏楽部の何人かには運搬だけは手伝ってもらえることになってるから早く」


 恭弥は遅れたことに対する謝罪をしようとしたが、何も言えず。

 しかし何かを言いたそうな顔をする恭弥を見た悠真は、「遅れてきて、ミスするなんて許さないから」と言うと、近くにあったスピーカーを運び始めた。


 吹奏楽部部員の何人かも、ステージ袖に置いていた機材をどんどん運んでいく。

 あらかじめ何をどこに置くかを伝えてあったようで、動きに迷いはなく素早い。


 ステージ前方に、下手からギターの瑞樹、ボーカルの大輝、ベースの恭弥の順に並び、後方に3人の間から見える位置に下手からキーボードの悠真、そしてドラムの鋼太郎が立つ。


 機材を運ぶのを吹奏楽部部員に任せ、恭弥達は配線や細かい位置の確認を急いで行う。

 そうして準備は恭弥が思っていたよりも早く終わった。


 物理室での練習同様に、シールドでベースとアンプをつなぐ。

 アンプのつまみを操作してから、ベースのボリュームを下げたまま、再度エフェクターボードにセットしてあるチューナーで音を確認する。

 あらかじめ曲順は決まっている。それに合わせたチューニングになっており、恭弥は首をまわし、ボリュームを上げた。


 恭弥だけではない。全員が心の準備を終えて、顔を上げた。

 言葉にせずとも、表情から全員準備ができた事を確認した大輝は、固い動きでマイクを片手に両手で大きな丸をステージ袖にいる司会進行を行う篠崎へ見せる。


 よく見れば、篠崎がいるその場所は灯りが灯っており、薄暗いステージから篠崎の顔ははっきりと見えた。

 恭弥が篠崎と目が合うと、「頑張れよ」というように親指を立てた。それに応じるよう、小さく頭を下げたら、篠崎は手元のマイクのスイッチをオンにして言う。


『お待たせいたしました。順番が前後してしまいましたが、こちらで最後となります。生徒5人によるライブパフォーマンスです。それでは、よろしくお願いいたします』


 篠崎のアナウンスが終わると、幕が少しずつ上がり始めると、ステージを照らす照明が明るくなった。

 それを合図のように、確認した鋼太郎がスティックでカウントをとる。


 最初に弾くのは、恭弥の父親のバンド、Mapの曲だ。

 避けてきた曲であったが、もう何度も練習し、完璧に弾くことができる。

 例え手元の楽器がいつもと違うものであっても。


 肩にかかる重みが、いつもと違う。

 それでも恭弥は強く、低い音を放った。


(すげぇ……)


 幕が完全に上がり、体育館に集まっている人の顔がハッキリと見えた。

 弾き始めたときは、ポカンとしている顔が多かったが、人気のあるMapの曲ということもあって、曲が進むうちに顔が明るく笑顔になっていく。


 生徒たちは手を振り上げ盛り上がる中、後方でパイプ椅子に座っている来賓や保護者の人達は手拍子をしていた。


 素人の演奏であるというのに、ここまで笑顔になってもらえると、弾いている恭弥たちも楽しくなってくる。


 イントロが終わりに向かった時、ふと大輝を見た。すると、唇を噛んで強くマイクを握っていた。

 間もなく唄が始まるというのに、マイクを口元へと向けない。おかしい、と思った恭弥が一歩前に出て、スタンドマイクの前に立ち曲の頭を唄い出した。


「キョウちゃん……っし」


 恭弥の声でハッとしたのだろう。

 手をズボンにこすりつけてから、ワンフレーズだけを恭弥に任せ、その後は大輝が唄い出した。恭弥が唄うことは練習ではなかったが、その後も時々ハモリを入れて唄に厚みを出す。


 そんな恭弥を見て、瑞樹も唄に加わった。

 気の向くままに大輝の声に重なる声。初めてやったのに、曲に合っていた。


 ただ棒立ちで弾いているのでは、ライブとは言えない。そう考えたのは、恭弥だけではない。

 場を盛り上げるためにも、五感全てで楽しませて、そして自分たちも楽しむために、それぞれがパフォーマンスを忘れない。


 緊張が吹っ切れたのかマイクを手に唄う大輝は、練習以上の声でこの曲を唄いきった。


 スンと終わるMapの曲。

 館内から拍手が送られ、照明がいったん落とされる。

 そうなれば、これで終わりだと思った人たちがさらに大きな拍手を送った。

 しかし、今回のライブはここで終わらない。


 知名度のある曲は注目を集める。

 その集まった目を、2曲目へと繋げていくのだ。


 暗くなったステージで、大輝がマイクを手に大きく息を吸い込む。

 その音を拾ったマイク。かすかな音であったが、まだ続くのではないかと思い始めた人が拍手していた手を止める。


 そして大輝がさっきの曲とは違い、力強い声を放つ。

 同時に照明が再び明るくステージを照らす。


 また始まった。

 今度はどんな曲なのだろう。


 そんな視線が彼らに刺さる。

 今までであれば、そのような視線は苦手だった。人の目が気になり、逃げ出したくなってしまうほどに。

 しかし、今の恭弥はそれが気持ちよく感じ、自然と笑みがこぼれる。


 大輝の声から始まった2曲目。

 恭弥が作り、悠真と共に手を加えたオリジナル曲だ。


 恭弥の得意なハイテンポ。それはNoKとして活動する中で見つけた得意分野。そしてプロである父親にも褒められたもの。

 そのテンポを維持するには、各楽器を担当するメンバーの技術が必要である。

 結成から間もないこのメンバーではあるが、経験者であることもあって、恭弥の曲をしっかりと弾けるようになっていた。


 いくらテンポが速くても、合間に手拍子を入れたり、メンバーと顔を見合わせたりと悠真は全体を見ている。それでありながら、繊細なキーボードの音を流れるように奏でていく。

 校内でも女子人気の高い悠真に、女子生徒の視線が集中し、黄色い歓声が上がっている。


 バンド全体のリズムを刻む鋼太郎は、正確で強弱をつけたドラム音で曲を支える。時折、スティックをくるくるを回しながら叩く様子は、ドラムが好きで楽しんでいるように見える。

 人に避けられ、怖がられていた鋼太郎が楽しみながら笑う姿は、まるで無邪気に遊ぶ子供のようである。


「どうせ過去には戻れやしない」


 全てに絶望したところから這い上がっていく姿を唄う歌詞。

 それを大輝が感情をこめて唄う。

 普段の大輝からは、到底想像できないほどに表現力を持っていた。それを唄うことに注げば、曲が生き生きとし、そして聞く人の心に唄がまっすぐ届く。


「だったら進むしかないだろう」


 間奏に瑞樹のギターが唸る。細かな音作りにこだわり、普段の泣き虫で可愛らしいイメージを壊すようにギターをかき鳴らす。

 瑞樹のギターはかっこいいだろう、というように大輝がセンターから移動し瑞樹と共に館内を煽る。

 姿勢を低くし、素早く指を動かして弾く姿は、彼の同級生に驚きを与えた。

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