Song.36 完璧

 ギターソロが終われば、再び大輝が唄う。

 瑞樹から離れ、センターへ戻っていく。

 全員の音が広がり、体育館の空気を握る。


「だから俺たちは歩き続ける」


 左手にマイクを持ち、空いた右手を大きく伸ばして、最後の歌詞を伸び伸びと唄いきった。

 これ以降に大輝が唄うところはないが、完全に曲が終わるまで、大輝が手を抜くことはない。


 恭弥も気を抜かない。

 この曲は、アウトロの中に、ベースのソロがある。

 ほんの数小節ではあるが、曲を締める大切なパートだ。


(っし、これで最後だっ……!)


 恭弥は唇をペロリと舐め、ソロを完璧に弾き切った。

 そして曲は終わりを迎える。


 彼らに贈られる数多の拍手。

 指笛のような高い音も中に混じっている。


「ありがとうございましたっ!」


 大輝が最後に礼を言って頭を下げた。

 それに合わせて、残るメンバーも次々に頭を下げれば、幕が下りていく。

 その間もずっと拍手は鳴り響いていた。


 まさにその光景は、幼いころに憧れた父親のステージと同じもの。

 その時は客席から拍手を送る立場であったが、今は父親と同じステージの上に立っている。

 ライブとは、バンドとは、音楽とはこんなに楽しいものだったのかと気持ちが昂り、頬が赤らんでいた。


 拍手の中で完全に幕が下りると、篠崎が交流会を終わらせるために、最後のアナウンスを行う。


『以上を持ちまして、地域交流会を終了いたします。ご来場いただいた皆様は、もうしばらくおかけになってお待ちください。生徒のみなさんは、3年生から順に――』


 その声が聞こえ、恭弥は頭を上げたところで今の自分の状態に気が付いた。

 演奏中は気づくこともなかったが、額から大粒の汗が流れ落ち、どっと疲れが恭弥を襲う。

 へなへなとその場に座り込み、制服の袖で汗をぬぐう。


「お疲れさん。後ろから全部見てたぞ」

「ああ……そりゃドラムは俺の後ろだもんな」


 やり切った直後だというのに、汗をかきながらも疲れた顔を見せない鋼太郎が恭弥に声をかける。


「キョーちゃーん! マジでかっけぇぇぇぇよ! みっちゃんのギターもぎゅいんぎゅいんしててかっけぇし、コウちゃんのドラムはドコドコしてうずうずするし、ユーマのキーボードは鋭いし、いつもとなんか違って音が響くし、みんなすげーし、もう楽しかった! やばくね、俺、もっとやりたい!」


 大輝が両手を挙げ、はしゃぎ始めた。

 だが、その声が大輝からだけでなく、さらに大きくなって響いている。


「はぁ……大輝。マイク。まずはオフにして」

「あ、やべ」


 悠真が頭を抱えて言うと、本気で忘れていたマイクの電源を大輝はやっと切った。

 先ほどの語彙力の少ない感想が、体育館に響いていたようだった。おかげで、館内からは笑い声が上がっている。

 大輝はそのことが恥ずかしいと感じてはいないようで、「やっちまった」と笑いながら頭を搔いているだけだ。


「……ははっ!」

「ぬぁ!? どした、キョウちゃん!? 急に笑い出して!」


 恭弥は声をあげ、お腹を抱えながら突然笑い始めた。

 急な行動に大輝はぎょっとし、他のメンバーを手招きして呼びよせると、まるで恭弥の頭がやられたんじゃないかと聞く。


「はははははっ……いやぁ、マジで悪ぃ。空気壊したり、迷惑かけてさ。でも、もろもろ含めて、面白くなってきたや。俺、どうやら馬鹿やってたみたい」

「うん? どゆこと? 俺、わかんない」

「何言ってるの君。空気壊したのは君だけじゃなくて、僕も同罪だと思うし、迷惑はお互いさまでしょ」

「僕もごめんね、キョウちゃんの秘密を……」

「だな、俺たち全員、野崎を助けてやれなくて悪い」


 次々に謝罪や反省を述べれば、余計に恭弥は笑いが止まらなくなる。

 お腹が痛くなるほどに笑ったことで涙が出た。それを拭い、ベースを抱えるように前のめりになって、仲間たちの顔を見た。


「やっぱり俺は馬鹿だったわ。親父のことで、勝手に悩んで勝手にヘコんで。ちゃんとみんなに言っておけばよかったし、好きな音楽を……バンドをもっとやってればよかった」


 ベースを撫で、思い返す。

 本当は好きだった音楽を、嫌いだと自分に嘘をついた。

 それでも再び音楽に向き合ったことで、こうして仲間が出来、心の底から楽しいと思い出すことができた。


(ばあちゃんにもじいちゃんにも……親父にも見せたかったな。今日のライブ)


 来たくてもこれなかった家族。

 残念な気持ちもある。しかし。


「やればよかったって、これからもやればいいじゃん?」

「は?」


 きょとんとしながら言う大輝に、恭弥は聞き返す。


「もしかして、もう終わりなの? 俺、もっとやりたい! ね、先生」

「んあ? バンドをか? そうだな、せっかく機材もあるんだし、軽音楽部として続けてみるのもいいと思うぞ。部活設立に必要な人数はいるし、顧問は立花先生にお願いすればいいだろうし……」

「やったー!」


 いつの間にかステージにやってきた篠崎が、「問題ない」と言えば、両手を挙げて喜びを全身で表現しながら、大輝は飛び跳ね、さっそく立花を探しにステージからはけていった。

 嵐が去り、静かになったステージ。

 そこで改めて篠崎が恭弥へ向け、深々と頭を下げた。


「申し訳なかった。今回は俺が余計な事を言ったばかりに、お前らの関係を悪くさせたようなものだ」

「いや……俺も黙ってたのが悪かったんですよ。バンドをやるなら、親父のことは言っておく方がよ――」


 恭弥が篠崎の背中のその先を見て、言葉が止まった。

 何事かと皆が視線の先を確認すれば、2人の大人がひらひらと手を振ってやってきている。


「やあ、お疲れー。さっきぶりー」

「失礼。隼人がどうしても行くんだってうるさくて……」


 軽い挨拶をしながら来たのは、恭弥をここまで連れてきた柊木。そして、先に学校へ来ていた司馬。

 2人を見るなり、ファンである悠真がアワアワし始め、とっさに鋼太郎を盾にするよう身を隠した。


「これはこれは、Mapのお二方がこんなところに。この度は大変申し訳ありません……」

「いやいや。先生、頭を下げてくださいよ。俺ら一保護者として我が子の成長を見れて満足ですよ。ね、りょう」

「そうだね」


 大人同士の会話に、恭弥たちは呆然と見ているだけ。

 そんな中で、再び嵐がやってきた。


「立花せんせーが顧問やってくれるって! なぁなぁ、このまま軽音部作ろうぜー……って、あ。朝、騒がしくしてた人だ! あざましたっ!」


 ドタバタと走ってきたのは大輝だった。

 その後ろに立花がのそのそとついてきては、柊木たちを見て驚きの顔を示す。だが、さすがに大人なので、すぐに丁寧に頭を下げた。


「いやいやこちらこそ。いいもの見せてもらったよ。あ、ちなみにここには俺ら2人だけど、他の2人も見てたよ。コレで」


 柊木は司馬の持つタブレットを指さす。

 司馬はそれを操作し、画面を恭弥達に見せた。


「ばあちゃん、じいちゃん!」


 画面に映っていたのは、恭弥の祖父母だった。

 どうやらオンライン会議などで使うソフトを用いて、入院中の祖父母へ生中継していたようである。

 ニコニコしながら手を振っていることから、声も映像も届いていることを知り、再び泣きそうになったがどうにか抑え込んだ。


『俺たちもいるぞー。無視すんなよ、おチビ』

『そうだそうだー。あと、片淵さんもいるからな』


 次々にカメラがその場にいる人を写す。

 柊木たちと同じバンドメンバーである園島、神谷と続き、最後に恭弥の知らない老人がうつったとき、鋼太郎が「うちのじいさんだ」とつぶやいた。


『ナイスアイデアだろ? 流石俺じゃね?』

『うっせ。たつはジュース飲んで座ってただけじゃん。他は俺がやったんだけど』

『は、ここまで運転してきたのは俺だろ』

『だって俺免許ねぇしー』

『髪を染める時間があるならとれよ。じゃねぇとその髪の毛、黒く染めるぞ』

『やだね』


 画面がぐらっと傾き、真っ白な天井とともに言い争う声がした。

 繰り広げられる口論に、恭弥は覚えがある。決して仲が悪いわけではないが、ふざけ合いながらもよく言い争っていた2人を。

 そこへ割って入るのはいつも父親だった。

 しかし今はもういない。誰も止めようとはしない。


『にぎやかねぇ。懐かしいわ』


 祖母の声と共に画面に祖父母がうつった。


『素敵な演奏だったわよ。今度は生演奏を聞かせてほしいわ。そうよね、おじいさん』

『ああ。おい、赤色。画面の上が赤く――』


 祖父の言葉は途中で途切れ、画面が真っ暗になった。

 どうやら互いに充電が切れてしまったようである。

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