Song.28 手紙
「じいちゃん、それって……」
「ああ。ばあさんから聞いてたやつだな」
祖父が手に取ったのは、恭弥がくしゃくしゃにしたまま自宅に放置していた交流会のスケジュールが書かれた用紙だった。
すっかりどこかへ無くしてしまったと思い込んでいたため、驚いて恭弥は目を白黒させる。
「恭弥の部屋で見つけたのよ。おじいさんと一緒に行きましょうって言っていたのだけれども……残念ね。私達はここから応援しているわ」
心の底から残念そうに言う祖母は、潤んだ目の恭弥の頭を再びなでた。
バンドをやることは伝えていても、ステージに立つということは伝えていなかった。正確に言えば、祖母とすれ違いの生活を送っていたために、伝える機会がなかったのだ。
頭に乗せられた祖母の手に恭弥は視線を斜め下へと向けた。
「ううん、いいよ。別に……」
祖母と同様、恭弥もどこか気落ちした声を出す。祖父母が交流会にわざわざ出向くことができなくなってしまったことに悲しみ、同時に自分の行動が祖父母に悲しい思いをさせてしまったことに酷く心を痛める。
(こんなことになるならやらなきゃよかった……)
どんよりとした病室。恭弥の胸の中に、真っ黒なもやが大きくなっていく。
暗い空気を感じ取り、口をつぐんでいた篠崎が、腕時計で時間を確認する鳴り口を開いた。
「あのー……そろそろ自分。学校に戻ります。急きょ彼を車に乗せてきてしまいましたし、まだ仕事も残っていますんで。それで、よろしければ彼をご自宅までお送りしましょうか?」
病室には時計がないため、正確な時間はわからない。業務の一環であっても、一時的に学校を離れた篠崎。長く病院に留まるわけにもいかなかった。
祖母は今更になって「どちら様?」というような顔をしている。それを祖父が「恭弥の担任の先生だ」と教え、改めて篠崎へ向けて姿勢を正す。
「先生。こんな姿で申し訳ありません。これからも恭弥のこと、よろしくお願いいたします」
祖母の声を背に、恭弥は渋い顔で病室を出た。
「恭弥、大丈夫かしら? 私が事故に遭ったって聞いて、きっと生きた心地がしなかったでしょうね……恵太の事故の記憶がよみがえってしまったかもしれないわ」
足音が聞こえなくなったとき、祖母が不安そうに声を出す。
恭弥の父、つまり自分たちの息子である恵太が事故死していることが、恭弥の心に大きな傷を作っていることを知っている。その傷をえぐるようなことが起きてしまい、内心落ち着いてはいられずにいた。
「大丈夫ですよ」
「え?」
祖母の不安に反応したのは、隣に座っていた祖父――ではなく、カーテンを開けたままにしていた向かいのベッドで新聞を広げて読む老人だった。
「ああ、そうだ。お前さんちの孫も、羽宮行ってるんだったよな、片淵」
祖父が呼びかけた老人は、新聞をベッドに置き、ニヤッと笑う。
「そうだ。うちの孫は羽宮で何だかドラムやってるらしい。それでもって今度の交流会でライブやるって言うもんだから、もしかしたら一緒にやってるかもなって思ってな。だったら大丈夫だ。鋼太郎ならやってくれる」
どうだと言うように笑う姿に背中を押され、祖母は口角が緩んだ。
「そうね。恭弥は1人じゃないわよね。片淵さんのお孫さんが一緒なら心強いわ」
彼らは孫のつながりを信じ、安堵したように笑った。
☆
「今日はもう休めよ。明日、待ってるからな」
黙ったまま車を走らせ、恭弥の家の前で止まった。
もう太陽が傾いている。空は赤く染まり、カラスが鳴く。
到着を確認するなり、「あざした」と小さな声を出してから荷物を持って車を降りる。
小さくなった背中に篠崎は窓を開けて声をかけたが、「はい」とも「いいえ」とも返事はなかった。それでも篠崎は「じゃあな」と言って学校へと走り去った。
夕陽を頼りにガチャガチャと家の鍵を開けて、誰もいない家に入る。
こもりっきりの空気が熱く、恭弥にまとわりつく。
靴を乱雑に脱ぎ捨てて、ベースでさえもすぐさま手を離して雑に扱う。
本人は立てかけたつもりでいたが、ガタッと音を立ててベースは倒れた。
教科書やスマートフォンが入ったバッグも、玄関にドサリと落とすように置く。
中に何が入っていて、どうなろうがそれを気にとめない。
フラフラとおぼつかない足どりで、部屋に向かおうとする。
『お前のせいで』
頭の中をよぎった言葉で、ぴたりと足が止まった。
冷や汗が体中から流れ出し、強く心臓が鼓動する。
胸を押さえ、こみ上げてきたものを飲み込む。
それがとても苦かった。
「いきたくねぇ……」
壁に背中を預け、ずるずると床へ座り込んだ。
学校へ行きたくない。
そしてこの世界に生きたくない。
2つの意味を込めた言葉は、恭弥を闇へと引っ張る。
(音楽をやるから、ばあちゃんは怪我をしたんだ。やらなかったら、ばあちゃんは怪我なんてしなかったし、じいちゃんの退院日が変わることもなかった。俺がまた、ベースをやろうとしたから……)
辛い現実を自分の行動のせいだと無理矢理こじつけて、恭弥はただひたすらに目の前の事象から逃げ出した。
そして翌日。交流会前日に、恭弥は学校に姿を現さなかった。
☆
時は戻り、恭弥が早退した日。
放課後に集まった瑞樹、大輝、悠真の3人は、いつになっても姿を見せない恭弥を心配して待っていた。
物理室で機材の準備を終えてからも、刻々と時間が過ぎていく。
鋼太郎は早退理由を知っているため、黙ってドラムの練習をしていた。
しかし、他の3人は何も知らない。各々個人練習をしながら待ってもやってこない恭弥を探しに行こうとかと思い始めた人もいた。
「ねぇ、まだ来ないわけ? サボり?」
痺れを切らして悠真が切り出す。
恭弥がしばしば保健室を利用していることが多いため、そっちにいるのではないかと疑い始めていたのだ。
「ああ、野崎なら早退したぞ」
同じクラスで、あらかた事情を知っている鋼太郎が答える。
すると、悠真は怒ったように言葉を続ける。
「はぁ? 何それ。この時期に? 本番近いのに?」
「まあ、な。ちょっとワケありで」
どういうことか、と追及しようと開いた口は、眉を下げてうつむく鋼太郎の姿を見るなり閉ざされた。
「本番、明後日だもんな。キョウちゃんがいない曲は何だか物足りない気がするー……なあ、キョウちゃんは来る、よな?」
不安そうな顔で大輝が言う。しかし、それに対して誰も「大丈夫」と簡単に言うことはできなかった。
恭弥の家庭について知っている瑞樹もギターを抱え、片手にスマートフォンを見ながら体を小さくする。
『キョウちゃん、大丈夫?』
恭弥へ向けてそうメッセージを送ったのだが、一向に既読がつかない。普段から返信が遅い恭弥であるが、何があったのか知りたいために瑞樹は気持ちは焦っていた。
『僕たち、待ってるからね』
せめてもの言葉を、と考えて送ったメッセージ。この日にも、そして交流会の直前でもある翌日にも、一切既読が付くこともなければ返信が返ってくることはなかった。
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