Song.27 祖母

 次に車が止まったのは、大きな白い建物――病院の駐車場だった。

 吸い込まれるように院内へと向かう患者やその家族。その人達から恭弥は目を逸らす。


(来たくなかった、病院なんて……)


 恭弥が最後に病院へ向かったのは、父が事故に遭い、危険だと聞かされたときだった。

 まだ中学生だった恭弥は、今回のように授業中呼び出され、祖父母と共に急いで病院へ向かった。事故は近所ではなかったため、移動に時間がかかった。

 まだその頃は聞いた情報を素直に受け入れることができておらず、ただついて行くだけ。


 見たことがないほど血相を変えた祖父。

 小刻みに震えながらも恭弥の手を握っていた祖母。


 2人とともに病室に行けば、見るからに痛々しい傷をいくつも作り、様々な機械につながれていた父がベッドに横たわっていた。


傍らにはともに事故に巻きこまれたのか、柊木が大きな傷を顔に負い、包帯を赤く染めながら何度も「恵太!」と叫ぶ。


 その日の朝には、恭弥が作った曲をあとで聞いてほしいと渡し、笑っていた。

だから、恭弥はいつ感想が聞けるかと楽しみにしていた。


 が、今はそれと全然違う姿。生き生きとして、ベースを弾いていた姿はもうそこにはない。

 ただただ刻々と死の匂いが濃くなるのを、全身で感じ取った。

 その後、賢明な処置をされたものの、負った傷が深く、息絶える父を目の前で見送った。


 そんな苦しい経験があるからこそ、病院は死に満ちた場所だと恐れて避けてきた。たとえ祖父が入院しているとしても。


「よし、着いた。帰りも家まで送るから、荷物はそのまま載せといていいぞ。部屋は……階だけ聞いているから、後でスタッフに聞けば大丈夫だろう。とりあえず入口はこっちだ」


 車を降り、篠崎の先導で院内へと入ろうとした。しかし、足がすくみ、息が荒くなる。胸に手を当てても、呼吸が戻ることはない。

 言葉にせずとも、心境を察し、見かねた篠崎が、恭弥の肩を抱きながらゆっくりと一緒に歩いた。


 院内に入れば、独特に匂いが満ちていた。

 外来受付カウンターを横切り、奥の方にあるエレベーターに乗り込む。


 2人以外は誰も乗り込んでくることもなかったが、2つ上の階で扉が開くまで会話はない。ずっと恭弥は過去の記憶が頭をよぎり、話ができるほどの余裕がなかった。


 ものの十数秒で扉が開くと目の前にはナースステーションがあった。医療スタッフが慌ただしくしている中、座っている事務らしき人に篠崎は少し話すと、すぐに「こっちだって」と先導して通路を歩く。


 ナースステーションから2つ目の病室の前で篠崎は立ち止まる。大部屋のようで、扉の横にある名札には、知らない名前とともに確かに恭弥の祖母の名前があった。

 それを確認してから篠崎が控えめなノックをすると、中から「どうぞ」という声が返って来る。


「失礼しまーす……」


 病室の扉は篠崎によって開けられたが、その背中に隠れていた恭弥が先に部屋に入るよう促される。入りたくないと拒むように顔をしかめたものの、「大丈夫だから」と篠崎に背中をそっと押されて病室に入った。


 鼻をつく消毒液の匂い。そして目の前のベッドで起きていたのは、まぎれもない恭弥の祖母だった。

 その姿は、いつもとは違う。頭には包帯を巻き、腕からは点滴の管がつながれている。


「ばあ、ちゃんっ……」


 やっとの思いで絞り出した声で呼べば、ニコリとほほ笑む。

 祖母は篠崎とも一度目を合わせて軽く頭を下げると、篠崎は病室に入ることなくどこかへ向かって行った。

 恭弥は祖母が生きているのを確認できたことで、喉がひりひりし、目を熱くしながらベッドサイドに駆け寄る。


「あらら。ごめんなさいねぇ、心配かけて」

「ほんとだよ……俺、ばあちゃんが死ぬんじゃないかって……」


 言葉に詰まりながらも、祖母の手を握る。その手からは確かにぬくもりがあることで、恭弥は力が抜け床にへなっと座り込んだ。

 その頭を祖母が空いた反対の手でなでる。


「ちょっとくらくらしちゃってねぇ。ほんの少しだけよ、車にぶつかったのは。運転手さんも、狭い道だからゆっくり走っていたもの。大したことないって言ったのに、お相手の方が救急車呼んじゃって」


 そう話す声は、恭弥が想像していたよりも元気だった。

 それに話の内容やケガの状態、繋がれている機械の数からも、父のときと違い軽いことがわかる。ひとまずは安心し、祖母の声を聞き続けた。


 しばらくしてから、病室の扉を叩く音がした。

 祖母がどうぞと言えば、扉が開き入って来る祖父と篠崎の姿。入院着を着ているもののまっすぐ立っており、点滴すらもしていない祖父を見て、恭弥は目を細める。


「お前が入院してんじゃ、たまったもんじゃねぇよ」

「あらあら。そうよねぇ。おじいさんと一緒のところに入院するなんて、まさかよねぇ」

「まったくだ」


 そう言いながらどすどすとベッドに近づき、一番奥にあったパイプ椅子にドスンと座った。


「で、怪我の具合は?」

「今日明日で検査して、異常がなければ明後日に退院みたい。ごめんなさいね、おじいさんの入院日数も少し伸びることになっちゃって」


 祖母の手を握りながら、2人の会話を聞く。どうやら祖父母の退院は同日の予定になったようだ。

 頭の中で詳しい日付を数えると、退院日は交流会の翌日だった。


「ごめんね、恭弥。あなたの演奏を見るの……楽しみにしていたんだけどねぇ。入院することになっちゃって。ベースを弾く交流会、土曜日だものね」

「なんで知って……」


 恭弥がベースを再び弾き始めたことを知っていても、ステージに立つことは伝えていない。ましてや日付も伝えていない。なのになぜ、祖母の口から交流会や土曜日という単語が出たのか。

 その疑問を解いたのは、近くにあった祖母の荷物の中から祖父が1枚の紙を取り出すことで理解した。

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