Song.24 深夜

 灯りをつけず、ひとりぼっちの夜。

 街は寝静まり、車が通る音さえ聞こえないほど静寂に包まれている。


 そんな中で恭弥はメンバーとの関係、そして間近に控えたライブに不安を抱えて、暗闇の中ベッドで横になったまま体を丸くする。


 枕元では鳴らないスマートフォンは連絡がないことを示す。


 本番まで時間はない。

 月明かりで照らされた壁のカレンダーを見て、残りの日を数えたら、今日を含めずあと2日だった。


(明日もう1回話して、瑞樹とも仲直りして……そうしたらライブがうまくいくだろうか。でも瑞樹は俺を裏切った。秘密を漏らしたんだ。ちゃんと話せるか、俺。弾けるか、俺)


 どうしても信頼していた相手から手を離された、そう考えてしまう。


 膝を抱える手にも力が入り、爪が食い込んでいく。外的な痛みがなければ、心が壊れてしまいそうだった。


(暫く誰にも会いたくねぇなぁ……)


 それが素直な今の気持ちだった。

 人に会わなければ、傷つくこともない。

 自分を守るための最善策である。



 今日も祖母は祖父の付き添いで病院で寝泊まりしいるため不在。夜はいつも通り1人でいられる。


 だが、明日になれば学校へ行かねばならない。

 もし学校を休んで家にいたら、家事を済ますために一度帰宅する祖母に心配されてしまうから。


 変わりなく学校に行って、メンバーと顔を合わせないようにするためには。

 恭弥は、明日、久しぶりに保健室へ行こうと決めた。



 だが、決めてからも、恭弥の頭はもしもを考え、働き続ける。


(保健室で誰かに会ったらどうする? また何か言われるかもしれない)


 そんなことを目を閉じながら考えてしまったので、全然寝付けなかった。


 あまりにも眠れないために、チラッと時間を確認すれば、深夜3時を過ぎている。


 遅刻することなく学校へ行くには家を7時半過ぎにでなければならない。今寝ても、睡眠時間は圧倒的に少ない。


 ここ最近は練習で疲れて夜はよく眠れることが多かった。それまでは度々、不眠に陥っていたが。


 心の疲弊を回復させるために、何とか眠ろうと瞳を閉じることさらに1時間。

 朝がもうすぐ来るという時間にやっと夢の中に落ちていった。



 夢の中では、昔の記憶の扉が開かれた。

 それは、幼い恭弥が初めて、父に連れて行ってもらった練習スタジオの頃のものだ。


 音がとても大きくてびっくりするから、となかなか連れて行ってくれなかったが、駄々とこねてやっと一緒に行けた日の記憶である。


「恭弥! お前天才だな! 流石俺の息子だ!」


 父のバンドメンバーたちが来るまでまだ時間がある。

 だから試しにベースを弾いてみるかと聞かれ、真っ黒で大きく重い父のベースを、父の膝の上に座って構え方から全て教えて貰い、ドキドキしながら音を出した。


 すると隣にあるアンプから低音が放たれ、恭弥の背中はピンと伸びる。

 それを見て、聞いていた父はとても嬉しそうな声を出していた。


(俺がベースを弾いたら、父さんが喜んだ……!)


 ビクビクしていた表情が明るくなり、そう思った恭弥は「もっとやりたい」と懇願した。


 すると、父は今まで渋っていたのが嘘のように、ベースをあれこれ教えたり、恭弥のために新品の真っ白なベースをプレゼントした。


 体格に合わないほど大きなベースを抱えて練習するたびに上手く弾けるようになっていく。

 当時既にデビューして人気だった父のバンド――Mapのメンバーたちからも、それを褒められた。


 もっと上達したい。

 向上心を抱き、独学で学ぶことに加えて、細かい技術についてを父に何度も聞く。


 どんな音がいい音なのか。

 弦を抑えるときのポイントは。

 指弾きとピック弾きで音はどう変わるか。

 学業そっちのけで、熱心に音楽スキルを磨いていった。


 父は仕事で家を空けることが多かったが、帰ってきたときにはずっと教えてもらい、時には電話をして聞いた。


 たまに帰宅したときに弾いてみせれば褒められて。それがまた嬉しくて。


 いつしか父が憧れの存在になっていた。


 ベースの技術に加え、作曲をしていた父のようになりたい。そう考えて、恭弥は自ら曲を作り始めた。


 プロの父に聞いてもらうには恥ずかしいために、そのことは父に内緒で行っていた。


 曲を作り始めたことを瑞樹に言えば、「すごいね!」と応援してくれる。


 インターネットで公開することを薦めたのも瑞樹だった。

 そこで活動するなら、本名では父にバレてしまう。ならばと、名前からもじって「Nok」という名前で活動を始めた。


(みんながいいって思うような曲を作って、いつか聞いてもらうんだ。親父、褒めてくれるかな……みんなが喜んでくれるかなっ?)


 そんな期待を抱いて、練習する日々。

 ハイテンポの曲の方が作りやすいと気づいたのは、作曲し始めてから1年ほど経ったとき。


 そこから、曲調や歌詞に工夫を凝らし、いろいろな手法を試しては修正して。


 納得がいく出来になったとき、インターネットで公開すれば、徐々に再生数が増えていく。


 最初の曲は再生数が100を越えればいいと思っていたが、今に至っては何百万回が当たり前になるほどになった。


 宣伝をするためにShabetterを使い始めれば、フォロワー数が伸び続ける。


 再生数やフォロワー数が増えれば増えるほど、自分の曲が認められているように思えた。

 毎日が音楽に満ち、端から見ても順風満帆といえる生活だった。


「親父。これ、あとで聞いて感想ちょうだい」


 中学生になってもその生活を続けていた。

 まだまだライブに忙しい父が、珍しく自宅から練習スタジオへも向かおうと家を出る直前、恭弥は1つのUSBを手渡した。


「何入ってんだ?」

「お、俺が作った……曲。は、恥ずかしいから1人の時に聞けよ!」


 噛み噛みで顔を赤くしながら言えば、また嬉しそうな顔でそれを受け取ると、「わかった」と笑った。


「じゃ、行ってきます! ばぁちゃんの言うこと、ちゃんと聞けよ!」


 父のその言葉を最後に、その世界がぐにゃりとゆがんでいく。

 あれだけ笑顔だった父が真っ黒な影に包まれ、地面へと溶けていった。


 直後、あたりは葬祭場に移り変わる。悲しみに満ちた空気。暗い曲の中で、恭弥は中学時代の学生服を着ていた。


 目の前には大きな祭壇。真っ青な花が並ぶ中央には父の遺影。


 祭壇の前。

 真っ白な棺の中に、父が眠る。

 事故に遭って亡くなったとは思えないほど、その姿は綺麗に整えられていた。


 顔には隠しきれなかった傷がいくつもあるのに、力強いベースを弾いていたその手は嘘みたいに綺麗であった。


「親父……」


 眠る父を見て、弱々しい声で呼ぶも反応が返ってくるわけもなく。

 スピーカーから流れる暗い曲に恭弥の声が溶ける。


 棺の前で立ち尽くす恭弥。

 その後ろに1人近づく喪服姿の男が現れた。


『お前がしつこく恵太に聞くから。だから恵太は疲れて、事故に遭ったんだ』


 父のことを親しげに「恵太」と呼ぶ人物は限られていた。それに何度も聞いた声であり、恭弥が顔を見なくても声の主がわかっている。


 恭弥が反論することもなく黙っていれば、さらにコツコツと足音を立てて近寄る。


『お前のせいで、ファンも悲しんでる』


 そう言いながら恭弥から2メートルほど後ろで立ち止まったのは、父のバンドメンバーでもある柊木だった。


「そんなこと言ってねぇ! あの人は、言ってねぇんだよ! 黙れよ!」


 恭弥のベースを何度も褒めてくれたこと。そして父以上に恭弥を甘やかしてくれていた柊木。

 彼が自分を傷付ける言葉など言わない。


 黙れと言わんばかりに叫び振り返れば、少し長い前髪から覗く柊木の目が、恭弥を睨んでいた。


 柊木だけじゃない。

 喪服を着た他のMapのメンバーも次々に現れては冷たい言葉を恭弥に向ける。


『お前のせいで死んだんだ』

『ずっとMapはうまくやれていたのに、お前が壊した』

『お前がしつこく付きまとうから』


 実際は言われていないというのに、言葉が恭弥を突き刺す。

 耳を塞ぐも頭の中で言葉が反響する。


『キョウちゃんがMapを壊したんだよ』


 今度はMapのメンバーの奥から、瑞樹がのらりくらりと現れる。

 その姿は幼い頃の瑞樹ではなく、今の――高校生の瑞樹だ。


 それに動揺し、恭弥の顔はみるみるうちに青ざめる。


「ちがっ……俺は親父みたいに、なりたくてっ……」


 近づきながら繰り返される冷たい言葉を必死に否定したが、冷たい目が恭弥を捉えて離さない。


 怖くなって後ろに下がると、父の棺が背中に当たった。


『恭弥が俺を殺した』


 今度は死んだはずの父の声がした。

 驚いて振り返れば、さっきまでの整えられた姿から一転、事故直後のような血まみれの姿で棺から起き上がる父。

 そしてそのまま恭弥の首に手を伸ばしてきたのだ。


「親父っ……! 俺、はっ……」


 もう逃げ場はないと、強く目をつむった。




「っ……! は、はっ……」


 恭弥はベッドから飛び起きる。

 体は汗でべたつき、肩で息をするほど呼吸は荒い。


 自分の手を見て、息苦しさを感じていることで先ほどは夢を見ていたことを理解する。


 夢だとわかっても、その間に感じた恐怖が祓えない。

 体が小刻みに震え、目にはうっすらと涙が浮かぶ。


「そうだ、全部っ、俺のせいだ……俺が……」


 ままならない呼吸で、声を絞り出す。


「俺が音楽を、やったから、だっ……音楽が全部、壊すんだっ……親父を殺したのは俺だ……」


 自分の体を抱きしめて吐いた言葉は震えていた。

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