Song.25 挨拶

「先生、おはようございまーす」

「ああ、おはよう」


 生徒たちが続続と登校する時刻。篠崎が正門に立ち、生徒へ向けて挨拶をしていく。

 たまたま挨拶運動の当番になったために、この日は正門にいなければならなかったのだ。


「ああ、野崎……」


 挨拶をすることもなく、その前を恭弥は自転車で通り抜ける。


 一瞬ではあったが顔色が悪いのを篠崎は見逃さなかった。だが、背中にベースを背負っていたため、本人にやる気はあると思い込んだ。


 きっと放課後も練習に来るだろう。そのときに謝ろう。そう決意をし、篠崎は業務に戻り、登校してくる生徒たちへ挨拶を続けた。




 ぞろぞろと教室に人が増えていくと、恭弥の不安が大きくなっていく。

 席に着いた恭弥の横を通り過ぎるクラスメイトは、友人の元へと向かっていく。


『お前のせい』


 そう思われているのではないか。恭弥の家庭事情など知るよしもないクラスメイトがそのようなことを考えることもないのに、1人で怯え始める。


「よう、野崎」

「っ……はょ……」


 体を縮こませていた恭弥へ、登校してきたばかりの鋼太郎が声をかけたら、ビクリと肩を上げた直後、小さな声を返した。


「……」


 その後は互いに何も言わず。

 恭弥は意味もなくバッグの中から何かを探すような素振りを見せる。


 席に着いた鋼太郎は何も言わずに恭弥の様子を見ては、自らのスマートフォンで誰かとやり取りをしていた。




 チャイムが鳴り、昼休みを迎えれば恭弥はすぐさま席を立った。

 まだ授業後の開放感もあり、机の上を片づけたり友人たちと会話をして騒がしくなり始めた教室をすぐに出る。恭弥の後ろで授業を受けていた鋼太郎は、ほんのわずかにその横顔を見ることができた。


「本格的に、まずいよなぁ……」


 教室内の明るい声に、鋼太郎の呟きは消えていく。


 一方で恭弥は、ここ最近鋼太郎と共に過ごすことが多かった時間を、今日は以前と同じように、1人でいられる場所へ逃げ込んだ。


「野崎くん、久しぶりね……ってまあ。酷い隈ができてるわよ? 体調よくないのね。ベッドなら空いているわ。使って大丈夫よ」


 昼食をとることなく、まっすぐ保健室に行けば養護教諭に迎え入れられた。


 久しく利用していなかった窓際のベッドへ行けば、心配そうな顔をする養護教諭にカーテンを閉められる。やっと体を休められると、ベッドに体を埋もれさせフカフカの毛布でくるまる。


 枕元にはスマートフォンを置き、制服がしわくちゃになるのも気にせず、縮こまった。


 午前の授業は苦痛だった。

 心が疲弊して、体力も削られた状態で、今後の楽しみもなく耳から入る音に集中しなければならない。しかも後ろの席には鋼太郎がいる。


 人の目が気になる。

 今後が不安になる。

 一瞬たりとも気が抜けない。


(帰りてぇ……午後どうしよう……)


 昼休みが明ければやってくる授業。幸いにも大嫌いな体育ではない。しかし、出席日数が危うい科目である英語である。


 恭弥は昼休み中ずっと悩み抜いて、午後一の授業である英語を受け、その時の状態を見て帰ろうと決めた。



 食欲もなく、授業開始時刻ギリギリに教室へ戻った。

 結局保健室で一睡もしていないので、体調は変わりなく悪い。ただ、出席日数のためだけに教室に留まる。


「大丈夫か?」


 席につこうとしたとき、体を前のめりにして鋼太郎が声をかける。だが、恭弥から返って来るのは「ああ」という弱く短い言葉だけ。明らかに元気のない姿。恭弥のことを顔に心情が出やすいと言っただけあって、状態をくみ取っていた。


「野ざ――」

「はーい、席に着いてー。授業、始めますよー」


 小太りの教師が教材片手に教室へとやってきたとき、授業開始を告げるチャイムが鳴る。

 もう少し話を聞こうとして鋼太郎だったが、遮られてしまい口を閉ざした。


 英語の授業。

 教師が英文を読み、訳を生徒にさせる。校内でも学力は下から数えた方が早いほどの恭弥は、それをろくに聞こうともせず、窓からじっと外を見ていた。


 授業が始まってから30分ほど過ぎたとき、閉じていた教室の扉をノックする音で、授業が止まった。


 なんだなんだとクラスがざわつく中、教師が廊下へと向かう。急にうるさくなったために、恭弥の視線もそっちへ向いた。


 ほんの数十秒だけ、廊下で何かを話したかと思うと、教室に戻りまっすぐに恭弥の隣はやってきた。なぜやってきたのかわからず、恭弥は目を見開く。


「野崎。こういうことだ。お前、荷物を全部まとめてすぐ廊下に出ろ。詳しくは篠崎先生が説明してくれる」


 教師が真剣な顔で半分に折られた小さな紙を恭弥の机に置いた。

 おそるおそるそれを手に取り、教師の顔を伺いながら開いた。


「なっ……! そ、んな……」


 見てすぐに、サッと血の気が引き、手も声も震えていた。

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