Song.23 噓吐

「……」

「っ……」


 悠真の目がまっすぐ恭弥をうつす。

 怖いという気持ちよりも、今どうしたらいいのかわからなくて目が泳いだ時、悠真はサッと恭弥から距離をとった。


「……まあいいや。僕らにも言えない、そう言うことなんでしょ」


 どこか遠い目をして離れた悠真は、そのまま眼鏡の位置を正して腕を組む。その仕草は、まるで心の壁を作ったようである。


 そして新たに作った壁を保ったまま、自らが担当するキーボードの元へ移動した。


(変に思われたかもしれない……)


 うつむく恭弥の元に、こっそりと篠崎が近づいてきた。

 そしてひそひそと耳打ちをする。


「悪い、野崎……Mapの曲をやるっていうから、てっきり親父さんのことは全員知ってるものだと……」

「……先生はどこで知ったんですか?」


 篠崎の発言を許すわけでもなく、うつむきながら問う。すると篠崎は隣で顔をあげて、窓に背を預けながら準備をする他のメンバーを見つめながら話した。


「知ったのは……大元は瑞樹からだ。妹……いや、瑞樹の母親から進学に悩んでるって相談されて。本人から聞けば、お前が家族を亡くしてからひどく落ち込んでるから、進学先は違うところがいいって。で、どんな奴か調べて推測し――」

「っ……!」


 話の途中で唇をかみ、強く拳を握りしめた。あまりにも力を入れたせいで、爪が食い込み、手が白くなる。


 唇からはじんわりと血がにじんだ。

 その後の篠崎の言葉は全く聞いていない。


(何言ってんだよ、瑞樹。秘密にするって言ったのに……俺との約束は何処に行ったんだよっ……)


 ずっと信頼していた相手に裏切られたようで、胸に手を当てる。

 悔しくて、苦しくて、言葉にならない叫びが大きく膨らむ。


 ただでさえ、今までずっと逃げてきた音楽に向き合っていることで心がパンパンになっていたところに加わった圧力。何とか前を向いていられた恭弥の心にヒビが入った。


 だが、恭弥も成長している。今は嘆く時間ではないと、何とか落ち着かせるため深呼吸をしてから、思考を整える。


(いや、瑞樹のことだ。何かの間違いかもしれない。篠崎が無理矢理聞き出したって言うこともあるかもしれないし……)


 ちらっと瑞樹の様子を見れば、一瞬だけ目が合ってすぐにそらされた。


(嘘、じゃない……か。裏切り者っ。瑞樹を信じた俺が馬鹿だったんだ。口約束なんて無駄なんだ)


 ショックを受け、苦痛から顔をしかめる。

 悠真と恭弥、恭弥と瑞樹。互いに信頼を失い、ぴりついた空気が漂う。


「マイクっくー。せいっと。あー、あー」


 突如、大輝がマイクをオンにした。それにより増大した声がスピーカーから放たれる。

 この声によりこれから練習が始まるということを暗示する。


「悪い、遅れて。電話が……あ? なんか変な空気じゃねえか?」


 遅れて物理室にやってきた鋼太郎が扉を開けてすぐ、不穏な空気を感じ取る。


 明らかにひきつった顔をして入ってきた鋼太郎へ、マイクをそのままにして、逃げるように大輝が駆けよった。


「コーウちゃーん。待ってたぜ。コウちゃんいないとドラムのセットわっかんねぇもん。早く準備してやろーな!」


 大輝の声に鋼太郎は便乗し、せっせと準備をしては強くドラムを叩いた。


 それにより全員が気持ちを切り替えようと、各楽器に手をかける。恭弥もよろめきながら窓際を離れて真っ白なベースを肩にかけると、弦を弾いた。


 しかしこの日、奏でた曲はいつもよりまとまりがなく、ズレが酷い。

 悪い空気を感じとった大輝もきょろきょろ楽器隊を横目に見ては声が裏返ったり、音を外したりと。

 歌声にも音にも全く気持ちもこもらない、冷たいものになっていた。


「あー……まずったねぇ」


 教壇前で全体を見ていた篠崎が苦い顔をしながらつぶやいた。

 音楽教師でもある篠崎から見れば、危機的状況になったことを音だけですぐに気づく。


「何を言ったんですか、篠崎先生」

「んー、それは言えねぇんですよ。それを言ったからこうなったというか……ねえ?」


 いつの間にか準備室から静かにやってきた立花が表情を崩さずに聞けばぼかして答える。その時は、さすがに蚊帳の外になってしまったことに苛立ったのか、一瞬だけ素の立花が現れたのを篠崎は知らない。



 ☆



「待って! キョウちゃん!」


 練習を終え、ベースにエフェクターなどの片付けをさっさと行った。そしてすぐに帰ろうとしたとき、瑞樹に呼び止められる。


 まだ瑞樹は片付けを終えていない。

 ギターはむき出しのまま机に置き、エフェクターも広げたままである。唯一片付いているのは、シールドだけだった。


 これでは到底瑞樹は帰れる状況ではない。それでも恭弥を呼び止めた。


 信頼していた幼なじみに、かなり昔の約束を破られて恭弥の秘密を洩らされたことを知った今日。

 決して穏やかな気分ではない。そんな状態で破った当の本人と会話ができるほどの余裕はない。


「悪い……無理。1人にさせてくれ」

「あっ……ごめん……」


 恭弥は瑞樹の顔を見ることはせずに、誰よりも早く、物理室を出て帰るのだった。

 去って行く背中を瑞樹は泣きそうな顔で見つめる。


「みっちゃん?」


 明らかに小さくなったその背中に、大輝が声をかけた。


「大輝先輩……僕っ、キョウちゃ、を、おごらぜぢゃっい、ましたっ……」


 足音もなくなり、恭弥が近くにいないとわかった途端にボロボロと泣き崩れた瑞樹。


 彼の傍に大輝が近寄り、背中をさする。

 各々片付けをしていた悠真と鋼太郎も手を止めて、泣き続ける瑞樹を見た。


「キョ、ちゃ……僕に、あんなこと、言ったごと、ないっです……僕が、悪いごと、したんだっ……! だからっ!」

「みっちゃん……」


 恭弥から「無理」と言われたことが、瑞樹にとって何よりも苦しい言葉だった。

 幼なじみからの拒絶が、瑞樹の涙を流し続ける。

 物理室だけじゃなく、廊下までその泣き声が響く。


「先生。どういうことなんですか?」

「うん? 俺に聞く?」


 泣いている瑞樹に近寄ることはせず、練習を俯瞰していた篠崎を悠真が睨んだ。


「元は先生の発言から、彼が変わった。僕が詰めよったことも関係していると思いますが、その後先生が何か話していましたよね? その後から彼は酷い顔をしていた」

「わーお、名探偵。観察眼は素晴らしいもんだな」


 素直に褒めているのだが、元の性格が軽いため、篠崎の言葉に重みがない。

 むしろ馬鹿にされていると受け取った悠真が、立場を忘れて舌打ちをした。


「悪いが、俺からは言えねぇことなんだな、これは。というより、俺も本人に言うべきじゃんかった。これは俺の落ち度もあるな。どんな内容かは御堂も薄々わかっているんじゃないか?」

「……確証はないですが」


 泣き続ける瑞樹。彼を支える大輝。推測の範囲から出られず、今後に不安を抱く悠真。彼らを支援する2人の教師の顔にまで曇りがかる。


 ――これはもう駄目だ。


 メンバーが散り散りになり、最近までできていた曲が合わない。

 そんな絶望的な状況を見て、鋼太郎だけが冷静に全体を見ていた。



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