Song.22 灼熱

 翌朝。朝なのにじめじめとした空気。それに加え、痛いほど強い太陽の下をいつものようにベースを背負って自転車で登校する。真っ黒なベースのケースが光を集めているせいか、ケースに接している背中は熱がこもる。

 額からは流れる汗を、手でぬぐいながら学校の自転車置き場に向かえば、そこには暑い中日陰に人の集団ができていた。


「あっ、来たわ!」


 そう言った集団の中にいる女子生徒の声を筆頭に、恭弥へとその場に集まっていた女子生徒5人の視線が集まる。その顔に見覚えもなければ、注目を集める理由もない恭弥は、いったん降りた自転車ごとずるずると灼熱の地面を後ずさりする。


 恭弥の隣を同じく自転車で登校してきた生徒が通り過ぎていく。その時に横目で見ながら通る。どうも気にはなっているようだが、間に口を挟むことはない。

 集まる視線かそれとも暑さのせいか。恭弥はだんだんと気持ちが悪くなってきていた。


「ねえ、あなた何なの? 御堂くんとどういう関係なの?」

「私達の御堂くんを取らないでよ」

「そうよそうよ!」


 わざわざ日傘を差しながら、そう問い詰めて近づいてくる女子生徒たち。言葉の意味も理由もわからず、恭弥は目を逸らす。


(どうって言われても……)


 説明するようなことがあっただろうか。恭弥は口をつぐんだまま、逃げ道を探そうとやってきた道を見る。

 するとその先。さっき通ってきた校門付近に、袖をまくったまま登校してくる鋼太郎の姿を確認できた。


 パッと目があったのもつかの間、状況を理解する時間を費やさずに、鋼太郎は駆け足で恭弥に近寄ってくる。


「よ。しゃんとしろよ」

「んぐっ……ぉはよう」


 肩を叩かれ、挨拶をかわす。人と会話することが少ない恭弥であったが、同じクラスということもあっていつも鋼太郎と挨拶をしている。


 普段は恭弥の方が早く登校するため、最初に挨拶をするのは教室なのだが、今日は女子たちに絡まれた分少し遅く登校する鋼太郎と外で顔を合わせることになった。


 決して強くはないものの、叩かれたことによる痛みとくらった衝撃に、姿勢を崩した。しかしなんとか転ばず、ハンドルに顔をぶつけることもなく済んだ。


 同性ということもあり恭弥はあまり感じてはいないが、長身の鋼太郎から放たれる鋭い眼光に、今度は女子たちがじりじりと後ろへ下がって行った。


「んだよ。野崎に用があんのか? 悪いな、俺も用があんだよ。後にしてくれ」

「っ……行こう?」


 女子生徒たちは鋼太郎に怯えて校内へと姿を消した。

 嵐が去ったことを確認し、恭弥はわざと静かに息を吐き出す。


「こんな顔でも役に立ってよかったみたいだけど、何だか複雑な気分だ」


 と呟いた鋼太郎は苦笑いを浮かべる。

 高い背丈とつり上がった目が与える印象で、鋼太郎は苦労したが今回ばかりは感謝した。


「そうだ。俺に用って、なに?」

「特に用事はねぇよ? 女子に何か言われてそうだったから来た。一体何を話してたんだ?」

「なんか、悠真との関係を聞かれてた。別に練習してるだけなのに」

「あー……なるほど。あいつは人気だからなぁ。練習ばっかしてるから、女子の嫉妬が野崎に向いたか。災難だったな」


 自転車を止めながらそんな会話をする。鋼太郎は徒歩通学であるが、先に校内に入ることもなく、暑さの中を隣で待ってくれた。


(何で俺ばっかりこんな目に……後で何か絶対言われるだろうし……)


 あまり人と関わることが多くないこともあって、女子が苦手だった。だから空気のように存在を消して過ごしてきたが、もうそれではいられない。

 またいつ、女子に囲まれて問い詰められるかと思うとめまいがした。


(最悪だ。鋼太郎にも迷惑かけたし、今後もわかんねぇし……何でこんなことに……)


 目線を下げつつ、気持ちも沈む。チラリと隣を見れば、「それにしても今日も暑ぃな」と太陽を睨み付けている。


(こいつも暑い中、何で走ってきたんだ?)


 自転車に乗っていても汗が出る気温。歩いていれば風もないため、かなり暑いはず。

 いくら家が近く、徒歩通学だからと言っても、この気温下では朝から少しの距離であっても走りたくなくなる。なのに、彼は猛スピードで走ってきた。そして今も日影に入ることもせず、太陽光を全身で浴びている。


 そんな彼の行動が全く理解できなかった。


「早く中入ろうぜ? あ? 俺の顔になんかついてるか?」


 横目で見るどころか凝視していたために、そう聞かれる。


「いや……なんで、わざわざ走ってきたんかなって思って」


 あまりにもわからずにモヤモヤするものだから、とっさに聞いた。

 すると鋼太郎は目を白黒させる。


「なんでって、そりゃ……お前が助けてほしい顔してたから? バイト先で見たときと似た顔してたぞ」


 自覚はなかった。そんな顔していたのかと、こめかみをポリポリと搔いて考え直す。それでもよくわからなかったものの、「そうか」と小さく返して、昇降口へと向かって歩く。


「最近気づいたけど、野崎は結構顔に出やすいよな」

「そう?」


 荷物を持って教室を向かう途中、鋼太郎はずっとそんな話をしていた。



 ☆


 本番まで一週間を切ったころから、放課後は毎日練習することになった。

 ベースを背負ったまま、練習場所である物理室に向かう。同じクラスの鋼太郎は何やらどこかへ電話することがあるとのことで、遅れてくるらしい。だから1人で向かった。


「キョウちゃーん。俺も一緒に行くー!」


 廊下を歩いていると、後ろから明るい声がした。

 振り返れば大輝が意気揚々に軽い足取りでやって来る。


「あとちょっとで本番だよなー。めっちゃ緊張してきたっ!」

「そうだな」


 大輝の声からは緊張は感じられない。表情も明るいこともあって、より一層感じられなかった。

 緊張はなくても、朝から気落ちしていた恭弥はその声を聞いて元気が出た。固くなっていた頬の緊張が解け、話を合わせるように頷く。


「お、もう誰か来てんじゃん。はやー」


 物理室のきしんだ扉を躊躇なく開けるなり、大輝はすぐに離れていく。すでに室内には瑞樹と悠真が来ていて、練習の準備をしているところだった。

 恭弥も荷物を置いて準備に加わった直後、さらに誰かが扉をノックした。


 誰もそれに対し「どうぞ」とも言わなかったが、手を止めて扉の先を見る。そこにいたのは、恭弥の担任である篠崎、そして練習を支えていた立花だった。

 立花は特に要件はなかったのか、自分の仕事のためにそのまま物理室を経由し、隣の準備室へと姿を消す。


「よっ。練習前に確認しておきたかったことがあってな」


 残った篠崎が変わらない軽い挨拶をしてすぐに、本題を切り出した。


「交流会のステージでやる曲を教えてくれ。来客者に配るパンフレットに書かなきゃいけないからさ」


 言いながらメモ帳を片手に室内に入る篠崎の問いに答えたのは、このバンド内で最も冷静さを持つ悠真だった。

 準備をする手を止めて、篠崎の顔を見て口を開く。


「1曲目がMapの――」

「Map!? 野崎、大丈夫なのか? 親父さんの――はっ!」


 驚きの声をあげながら、篠崎は恭弥の方へ勢いよく顔を向けて途中で口を手で覆った。しかし時すでに遅し。既に放たれた言葉を消すことはできない。

 篠崎の言葉の意味をハッキリとは理解できなかった悠真は、篠崎の目線を追って、同じように恭弥を見る。直後、ハッとして何かをくみ取ると眉がつり上がった。


「え? え? どういうこと?」


 何一つ理解できない大輝は、篠崎と恭弥を交互に見る。

 慌てて口を押えた篠崎の行動も、タイムラグがあって眉をつり上げた悠真の行動の意味も一瞬で全てを理解した恭弥は、おびただしい量の汗をかきはじめる。


「ねえ、どういうことなの?」


 朝は女子に、今は悠真にじりじりと距離を詰められ、汗で背中がひりひりし始めた。

 どんどん近づいてくる悠真とまるで磁石のように恭弥は後ろに下がって行けば、ついに窓に背中がくっついてしまう。


 もうどこにも逃げようがない。


 大輝を見ても、首を曲げているだけで動こうとはしない。その奥にいる瑞樹を見ても、あわあわとうろたえているだけ。朝のように、目を合わせただけで助けてくれる鋼太郎はいない。


(言っていいのか……? いや、言うのは駄目だろう。約束が……そう昨日考えたじゃねぇか。落ち着け、俺。考えるんだ)


 全国的に有名なアーティストであるMap。そのベーシストの息子。それだけで、マスコミに狙われる。それを避けようと、父は恭弥の存在を隠すことで守ってきた。


 父からも秘密にしなさいと言われていたため、ずっと一緒だった瑞樹以外の知人もその関係を知らない。瑞樹と出会った時から、指切りをしてまで秘密を守ろうと約束した。


 何があってもずっと守ってきた秘密を破っていいのか。

 いや、よくないはず。そう昨日考えて決めた。

 Mapとの関係は出さないと。


 でも、仲間に隠し事することになる。

 悩んで決めたばかりの結論が揺らぎ、恭弥の中で再び葛藤が生まれる。

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