Song.17 家族

 いつもなら誰もいない暗い家だが、この日は違った。

 玄関の扉に手をかけたときに、その違いに気づく。

 鍵がかかっておらず、軽い力で開いた扉。今日は家に誰か帰ってきているようである。その誰かというのは他でもない。今の状況で帰って来る人物は1人しかいない。


「ただいま」


 ガチャリと扉を開けたら、リビングの電気が着いていた。それに加えて、室内に充満したおいしそうな匂いが空っぽのはらわたにしみわたっていく。

 匂いにつられるがまま、恭弥の足はリビングへと向かう。


「あら、おかえり。顔見るのもすっかり久しぶりになっちゃったわねぇ」


 キッチンに立っていたのは祖母だった。何かを煮込んでいるようで、鍋を火にかけながら恭弥へ向けてほほ笑む。

 久しぶりに聞いた「おかえり」という言葉。さらに久しぶりに顔を合わせた家族である祖母。

 顔には疲れが見えたが、それよりも帰りを待ってくれていたということが嬉しくてついつい笑みがこぼれる。


「おじいちゃんの体調が少し良くなってきたみたいなのよ。あんまり見舞いに来なくていいからって。もうちょっとで退院できそうよ」

「……そっか。よかった」


 恭弥は祖父の見舞いには一度も行っていない。もともと病院が嫌いで行きたくなかったという理由もあった。それで構わないと祖父が言うので、恭弥は留守番に徹した。

 祖父の状態が回復傾向にあるのなら、喜ばしいことである。

 胸をなでおろし、丸くなってきた祖母の背中を見つめる。


「うふふ。まったくおじいさんったら、ベッドでもね――」


 祖母は手を止めずに入院中の祖父のことを面白おかしく話す。話を聞いている分にはかなり元気そうであった。


「ああ、恭弥。ベース、始めたのかい?」


 お皿に盛りつけた鶏肉と大根が入った煮物を食卓へ並べながら、立ったままだった恭弥の背中にあるベースケースに目をやった。


「ああ……うん。ベース、始めたよ」


 父が亡くなってから一切ベースをやっていなかったことを知っている。やらなくなった理由でさえも、薄々わかっていた。時の流れが心の傷を治してくれるだろうと、敢えて深く聞かずに今に至っている。

 顔を会わせない間に変わった様子に、優しい顔で「そうかい」と言うだけにとどめた。


「さあ、ご飯にしようかね。荷物置いて、手を洗ってらっしゃい。あったかいうちに食べよう」

「うんっ」


 祖母と食べる出来立てのご飯は、お腹だけでなく心までもいっぱいに満たした。

 満足のいくまで食べて部屋に帰ってから、Shabetterに一言書き出す。


『俺の曲をやることになった。頑張ろ』


 フォロワーからの反応はなかったが、恭弥は明るい顔をしていた。



 ☆



 物理室で恭弥を囲うように、メンバーが並んでいる。

 彼らが集中しているのは、流れている曲だった。

 恭弥自身が作った曲をスマートフォンへとデータを取り込んで持ってきたものだ。長い間放置していたものの、データはしっかりと残っていた。


(こんな曲だったっけ……)


 久しぶりに聞いたので、恭弥としては引っかかるものがあった。

 静かなキーボードから始まり、その後はテンポをかなり上がっていく。アップテンポな曲を作る方が得意なため、かなりリズミカルな曲調だ。

 それに合わせて唄っているのは、機械音声AiS。あくまでも機械なので平坦になりがちな唄を、工夫することによって抑揚のある声にさせている。しかしながら、憧れに向かっていく姿を唄うにしてはどこかぎこちない。歌詞は問題ないのに、心に響いてこないのだ。


「……こんな感じみたい。あんまり覚えがないけど」


 曲が終わった途端、スマートフォンを操作し、ホーム画面に戻すとすぐさまポケットの中にしまい込む。


「キョウちゃんらしいね」


 そう言う瑞樹の顔は明るい。同調するかのように、大輝も手を叩いて大きく頷いていた。


 しかし、残る2人の反応はあまりよくない。

 首を捻っては、眉間にしわが寄る。


(やっぱり駄目か……)


 誰もが納得するような曲ではなかったのだ。そう受けとった恭弥の顔が曇っていき、うつむく。これでは父にも聞かせられないと、ぎゅっと目を閉じた。


「むちゃくちゃ早いから、俺にできる気がしない……ドラム、ハードすぎないか?」

「まぁ、機械だからかなり激しく作ってあるから……」


 鋼太郎の心配は、ハイテンポのドラムだった。かなり技術が必要になることから、自分にできるか不安だったために、深い皺を作っていたようである。


「ねえ、この曲、手を加えてもいい? バンドらしさに欠ける気がする。というか、もっと僕ららしくできそう」

「え?」


 顎に手をあてて、「どう?」と顔を上げる悠真。メガネのレンズの奥で、真剣な目が恭弥を捉える。

 まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったので、目を丸くする。それでも何とか言葉を振り絞っていく。


「だい、じょうぶ……だけど、どうやって?」

「そうだなぁ……もっとギターを引き立たせるようにして、それに合わせて他の楽器も。ボーカルソロにしてもいいかもね。それと――……」


 次々に提案される内容に、驚かずにはいられない。ずっと1人で曲を作ってきた恭弥にとって、誰かにアイデアを出されたことはなかったのだ。

 驚きすぎて全ての案を覚えきれることもなく、我に返ったときには「どう?」と聞かれている有様。その声に「いいと思う」と適当に言ってしまった。


「スコアとかあるの?」

「いや、ない。曲のデータしか」

「そう。じゃあ、君の家に行くよ。そうしたら編集もできるでしょう?」

「お、おう……」


 ぐいぐいと進められる話にあっけにとられていたのは、恭弥以外も同じである。

 今日を作ることはできない瑞樹、鋼太郎、大輝の3人は顔を見合わせて笑いだす。


「なんだよ」

「何?」


 笑った声に反応し、恭弥と悠真の声が重なった。それがまた面白かったのか、大輝がさらに笑い声をあげた。


「なーんでも。な?」


 同意を求める声にうなずいて返す瑞樹と鋼太郎。面白いことを何一つしていない恭弥はムッとした顔を返す。表情から見れば不機嫌そのものである。しかしそれが本心を表しているわけではないことを、瑞樹はわかっている。


「キョウちゃんと悠真先輩のタッグ、楽しみだなぁ」


 すでに出来上がっていると感じていた曲が、さらにパワーアップする。そうして出来上がる曲がどんなものになるのか。今まで1人で曲を作ってきた恭弥が他の人と一緒に曲を作る。それが自分でないことに悔しさがあっても、大切な幼馴染が孤独ではなくなったのだという状況に、未来に瑞樹は優しい笑みが出た。


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