Song.8 記憶

 ずるずると連れていかれた薄暗い店内。中にある楽器を見たくないからと、ずっと恭弥はうつむいていた。あまり奥には行きたくないが、鋼太郎が恭弥を半ば強引に座らせたのは店の一番奥にある試し弾きできるソファー。目の前にはギターとベースが壁一面に並んでいる場所である。


「っ……」


 座ってから肘を立てて視界を両手で覆ってみたが、それが鋼太郎にはただただ「疲れているのだろう」という印象しか与えなかった。


「ほれ、ここに水と、あとうちで売ってる菓子。口にあうかわかんねぇけど、食いもんはこれしかねぇ」


 サイドテーブルに置かれたのは500ミリの水が入ったペットボトルと、個包装されたどら焼きだった。

 指の間からそれを見たら、しばらく忘れていた喉の渇きを思い出した。


「ぁざ……」


 消えるような小さな声で伝えた感謝だったが、鋼太郎の耳には確かに届いた。。

 どこからか持ってきた小さな椅子に座り、足を組むと鋼太郎はジッと恭弥を見る。その目を合わせないよう逃げながら、ペットボトルを手に取り、開けようとする。しかし、今の恭弥ではそれが叶わない。

 キャップをひねるも、手が痛むだけで開かない。何度か試したができず、肩を落としてサイドテーブルに置く。


「ほらよ」


 すかさず鋼太郎がそれ奪い取ると、いとも簡単に開けて、すぐに恭弥へ戻す。キャップが緩くなったため、今の恭弥でも飲める状態になった。ゆっくりとペットボトルに口とつけ、今度こそ乾いた体に、水がしみわたっていくのを感じた。


「ふぅ……」


 大きく深呼吸をし、顔を上げる。

 嫌でも視界に入って来るずらりと並ぶギターとベース。知識だけは充分備えているために、見えてしまったものに対する情報が次々に浮かんでくる。頭を振って思考をリセットしようとしたが、一向に消えることはない。

 再び顔を覆って真っ暗な視界にすれば、代わりに聴覚に神経が集中する。シンとした店内。長くゆっくり吐いた自分の息の音。嫌な汗が消えていく。


「そういや野崎って、やんの? こういうの」


 全く動かず話さずの状態が十分ほど続いた。さすがにその間の沈黙が苦しくなったのか、突然放たれた鋼太郎が言い出した。「こういうの」というのが何を指しているのかなどすぐにわかる。やるかやらないかと聞かれれば、答え方は一つである。


「やっていた……だな。今は全然やって、ない」

「そうか」


 またしても沈黙が来る。だけど、その間は苦にはならなかった。

 ちらりと指の間から恭弥の目に入る楽器が、そして肌で感じる懐かしい空気がいつの間にか心地よく感じていた。

 鋼太郎は、顔を隠していたのに指の間からジッと楽器を見つめている恭弥に驚いていた。本人に自覚はないが、明らかに指と指の間が広く開いていたのである。

 見たくないのに、見たいのだろうか、と矛盾している行動にきょとんとした顔を浮かべたのち、何かをひらめく。


「弾いてみるか?」


 その言葉に、恭弥の肩が大きく動き、顔から手を離して鋼太郎を見た。店の前では虚無を見つめるほど虚ろな目をしていたのに、一気に光が灯っている。その変わりようが面白くて、鋼太郎は「フッ」と噴き出した。


「でも、俺は……」


 音楽をやってはいけない。音楽に関わってはいけない。

 そう紡ごうとしたが、言ったら「なんで?」と過去を深堀されるかもしれない。その恐れから黙ってしまう。その沈黙を鋼太郎は都合のいいように受け取った。


「心配すんな。俺、ココのバイトだから。試し弾きがどれでも大丈夫だし。で、どれがいいんだ、ギター? ベース?」

「……ベース。上のあれ。ジャズべ。違う、その隣」


 そういうわけでもないのだが、早く言えとあっちこっちを指さす鋼太郎に、恭弥は一番気になっていたベースを指した。

 上段に並べられており手の届きにくい位置にあったが、背の高い鋼太郎が難なく手に取って、シールドと共に準備する。


(俺がやってもいいのか……?)


 そう思っているうちに、どんどん準備が進んで行く。

 今更断る訳にもいかない。心遣いを無下にできずに、鋼太郎を見る。


「あー……自分でつないでもらってもいいか? 俺ドラム専門で詳しくわかんねえ」

「ああ、自分でやる」


 小さなアンプの前で立ち尽くしていた鋼太郎から、ベースとシールド受け取り、恭弥は手際よくつないだ。アンプの電源を入れ、慣れたようにアンプのつまみを回す。ストラップもピックもない今、座ったまま指弾きをするしかない。

 ソファーの上で足を組んで、太ももの上にボディを乗せる。久しぶりに感じる重みが、心をくすぐる。

 父が担当していた楽器もベースだった。それに憧れて自分もベースを弾くようになった。父の死後は全く弾いてこなかっため、かなり久しぶりになる。


 ドキドキしながら一番太い弦を弾いた。

 ブオンと低い音が恭弥の体を震わせる。


「……なあ。チューナー、ある?」

「えっと確かここに……」


 ガサガサと引き出しを開けて見つけたクリップタイプのチューナーでベースの音を合わせた。

 そして今度は本格的に弾きはじめる。

 左手が滑るように動き、右手はリズミカルに。時にはゆっくりと、時には弾むようにスラップを。

 夢中だった。

 この音を体が求めていたかのように、すんなりと弾く事ができた。


(気持ちいいっ……!)


 時間が経つのも忘れて弾く。頭の中にある譜面を頼りにして。

 その姿に鋼太郎は驚きを隠せない。

 恭弥の後ろの席から普段の学校生活を見ていた鋼太郎。その姿からは大きくかけ離れた今の姿に目を丸くしている。


 結局恭弥が弾く手を止めたのは、鋼太郎が慌てて立ち上がったときだった。


「すまん。そろそろ閉めねぇと……」


 そう言って指さした先にある時計は、20時を示していた。

 もうこんな時間になってしまったのかと、驚いたのは恭弥だけでなく鋼太郎も同じ。

 ちらっと上に続く階段から、オーナーらしき人が2人のことを何度も覗いている。


「こっちこそわりぃ。ついやりすぎた」

「いやいや、弾いてけって言ったのは俺だし。オーナーにも悪いから片づけしてくる。お前はそこで待ってろ。途中でぶっ倒れられても困るから、家まで送る」

「え、ちょ……」


 急にテキパキ動き出した鋼太郎。一人で帰ることはできるだろうけど、ここで帰ってしまえば、嫌な人間だと思われるだろう。だから恭弥は何もできることがなく、慌ただしい鋼太郎を座ったまま眺める。

 ベースも回収され、手が空いた恭弥は、さっきまで弾いていたベースのことを思い起こす。

 両手の指先は弦でガサガサになり、皮がむけている。痛みがあるのにも関わらず、初めて弾いたときのような荒れた手に、自然と笑みがこぼれた。


「よし、終わった。帰るぞ」

「ああ」


 もらったペットボトルとどら焼きだけと持ち、鋼太郎に続く。

 最後の鍵閉めはオーナーが行うようで、電気もそのままに楽器店を出た。

 

 外はすでに日が落ちている。帰宅ラッシュも終わったようで、道を歩く人はほとんどいない。

 恭弥はその道をぽつぽつと自分の手を見ながら、黙って歩いた。鋼太郎もそんな恭弥を横目に見ているが何も言わず、横並びになって歩く。

 その二人の上には、三日月が輝いていた。

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