Song.9 気持
鋼太郎の家は駅に近いらしく、わざわざその家を通り過ぎてまで、恭弥を家まで送り届けた。
細くていつも保健室を利用しているぐらいだから、1人で帰すには危険と鋼太郎が判断したための行動だ。結局帰り道には何事も起きなかったが、それならそれでいいと、恭弥を送り届けた鋼太郎は何食わぬ顔でスタスタと家に帰った。
1人になった恭弥は家の前に立つ。電気もついていない真っ暗な家。今日も祖母はいないようだ。
そこでハッと、出るときに鍵をかけたか不安になった。おそるおそる扉に手をかけてみたら、静かな家の扉はいつもの習慣からか鍵がしっかりとかかっている。恭弥はちゃんと鍵をかけてから外に出ていた。
ポケットに入っていた鍵で開錠し、「よし」と気合を入れてから扉を開ける。
1人の家が怖かった。またあるはずのない声が聞こえるのではないかと。
だけど、今ならきっと大丈夫だろうという謎の自信をもって家の中に入る。予想通り、声は聞こえなかった。
自信はあったが確証はなかった。
いつもの家なのだという安心感から、誰も入らないようガチャリと鍵をかけ、扉に背中を預ける。
そしてそこでまた、自分の手を見つめた。
(俺は、ベースを……)
父の部屋を開けようとしたら、苦しくなって飛び出した家。
いつの間にか苦しかった呼吸もズキズキと痛んだ頭痛もなくなっている。
どのタイミングでなくなったのかはわからない。だが、ベースをやり終えたときには何も苦しくなかった。
その流れを踏まえてでた結論。
(俺は、ベースをやりたい)
胸が軽くなり、自然と口角が上がっていた。
☆
放課後。恭弥はまっすぐ前を向いて、物理室の扉を開けた。
中には教師二人と、鋼太郎、瑞樹がきていた。恭弥がやってきたことによって向けられた視線から今度は逃げようとはせず、強いまなざしをしていた。昨日と打って変わった様子に、先に来ていた篠崎は目を丸くする。
「野崎くん。君はバンド、やりますか?」
白衣を着たままの立花が立ち止まる恭弥に問いかける。
今までであったなら、あいまいに「え」、「いや」というような短い言葉が先に出てきていただろう。しかし、自分の気持ちに気づいたが故、そのような言葉が出なかった。
「やります」
代わりにでたのは短くても芯の通った低い声。それを聞いて真っ先に瑞樹が大きな音を立てて立ち上がった。
瑞樹の顔が紅潮し、瞳が潤んでいる。込み上げてくるものを堪えることはせずに、勢いそのまま恭弥へ向かって飛び込んでいく。
「キョウちゃん!」
「うぐっ……」
瑞樹の体を正面から喰らう。身長的には恭弥が勝るが、力で言えば瑞樹が勝る。ましてやとびかかっているので、普段よりも力が大きい。そんな瑞樹を受け止めることは、恭弥には無理だった。
すぐ後ろにあった物理室の扉に、ガコンと大きな音を立てながら背中をぶつける。大した痛みではなかったが、一瞬だけ顔をしかめた。
それでも胸に顔をうずめてすすり泣く瑞樹を見て、小さく「悪かったな」と言えば、首を横に振られた。
そんな2人のいかにも親し気な様子に、鋼太郎は開いた口が塞がらない。立花もにこやかな顔を作っているが、頭上にクエスチョンマークを浮かべているようだ。
「瑞樹は昔からの知り合いなんだよ」
「そうそう、それで先生が瑞樹の伯父さん」
「は?」
瑞樹との関係を簡単に説明した後、さらっと篠崎が割って入った。それが衝撃的で素っ頓狂な声が出る。
「いやいや、だから。作間瑞樹の母親の兄が俺。つまり、伯父と甥ってわけ」
へらへら話す篠崎。まさかここで嘘をついているとは思えない。
目を白黒させていると、背中をくっつけていた開き戸が誰かによって開いたせいで、恭弥は瑞樹を抱えたままそのまま床に寝転ぶ形になった。
「うん? 何してんのー?」
「どういう状況、それ」
扉を開けたのはあの騒がしい男とメガネをかけた男。
恭弥と瑞樹を見るなり状況が把握できずにいた。
「イヤ、ナンデモナイデス」
「なんで片言!?」
ゲラゲラ笑われながら、2人も室内に入る。そこでやっと瑞樹が離れ、席につくことができた。
「全員集まったけど……やる気があるってことでいい?」
席に着いた5人の生徒へ向けた問いかけに、否定する答えは返ってこない。
「よし。じゃあ本格的にやっていくぞー。まずはー……自己紹介から行こうか。名前、クラス、できる楽器らへんを。はい、一番元気なお前から時計回りにGO」
「はいはーい! 2-5、菅原大輝! 楽器はできません!」
ニカッっと笑った大輝は、目が眩むほど眩しく爽やかだ。整えられた少し茶色がかった短い髪に、明るい表情。いかにも人当たりのよさそうな雰囲気を出している。
「お前は元気でよろしい! はい次、副会長!」
「その呼び方、やめてもらえます? はあ……御堂悠真。2年6組。ピアノならできる」
細い黒フレームのメガネをかけた悠真は、篠崎に不満を漏らした。
「へいへい、以後気をつけまーすと。そいじゃ隣の方―」
絶対悪いと思っていない。その場の全員がそう思った。
「片淵鋼太郎。2-1。楽器屋のバイトでドラム請け負ってる。多少は叩ける」
律儀に立ち上がり、低い声で名乗った鋼太郎。
「うんうん、いいね。次々言っちゃってー」
場を回すように指示していく篠崎に従い、恭弥の隣に座っていた瑞樹が口を開く。
「作間瑞樹、1年です。ギターならできます。よろしくお願いします」
1人だけ学年が違う。それを踏まえた丁寧なあいさつ。過保護な篠崎が、瑞樹の時だけ拍手をした。
「ほい、じゃあ最後。言っちゃって」
「……野崎恭弥。2-1。ギターもドラムもシンセもできるけど、ベースがやりたい」
小さく大輝と鋼太郎が「すげぇ」と言うのと、悠真が「うさんくさ」と言うのは同時だった。その言葉で恭弥は逃げるようにうつむく。
「馬鹿ユーマ!」
「いでっ……叩かないでよ、馬鹿ッ」
咎めるように悠真を叩いた大輝。それに反抗するようやりかえす悠真。ガタガタとやりあっているのを横目に、教室後方に立っていた立花がパチパチと手を叩く。
「よし、自己紹介終わったから詳しく説明するぞ。まず、本番は7月7日。だいたい3か月ないぐらいだ。初心者の集まりだったら無理だが、俺調べではここにいるほとんどが経験者。曲にもよるかもだけど、余裕で間に合うと思うんだよねー」
篠崎が黒板にスケジュールを書いていく。すでに配られている用紙に書かれている内容だったが、恭弥はその紙を無くしていた。きっとバッグのどこかにあるのだろうと思ったが、探すのも面倒で黒板を見つめる。
「バンド経験者って訳ではなさそうだから、まずは簡単な曲から。その間に本番でやる曲を決めていけばいいかなってな。言ってくれればスコアはこっちでスコア探すから」
書かれていく曲は、バンド初心者に適したもの。恭弥にとっては大昔に練習したことのあるものばかりで、思わずあくびが出た。
「先生」
「んー、どうした御堂」
「機材は?
盲点だった。そもそも部活に微塵の興味を示さなかった恭弥には思いつかなかった問い。いくらベースやギターを持っていても、マイク設備やアンプまで持参することは難しい。
「あーそれは平気平気。この学校、もともと軽音部があったから、機材は充分そろってる。ただ使うにはメンテナンスが必要だろうな。明日にでも使えるかどうか確認してもらうから」
悠真は納得したようだ。
その後も篠崎による説明を聞いて、小一時間で解散となった。
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