Song.7 拒絶

(なんで俺がバンドなんか……)


 もやもやした気持ちで家に帰った。

 音楽が嫌いな恭弥にとって、やりたくないものをやれというのが無理な話。

 なぜ自分が、なぜバンドを。

 考えてもわからない問いが繰り返される。

 だが、嫌いではあるが、かつては好きだったものでもある。それゆえ、心に引っかかるものがあった。


 もし今、音楽ができるのであれば。父が許してくれるのなら。前に進めるかもしれない。

 恭弥は二階へ上がり、一番奥の部屋へ向かう。


 二階の突き当りにある部屋。そこは父が仕事部屋として使っていた場所だった。

 暗い廊下に立ち、固く閉ざされた部屋の扉に手をかける。


「はっ、はっ……」


 呼吸が荒くなる。体が熱くなり、どくどくと熱い血が体を巡る。次第に体からはベタベタする汗がにじんできた。

 右手で胸を押さえ、左手でドアノブを下げようとするも、カタカタとその手が震える。


「っ……!」


 これ以上は無理。そう感じたときには呼吸が浅く、酸素を取り込めずに息が苦しくなっていた。立っているのも辛くなり、膝からドサリとその場に座り込んだ。


(……俺には音楽をやる資格がないんだ)


 音楽に関するものであふれた父の部屋が自分を拒んでいる、そう思い込みたかった。


『お前が音楽をやる権利なんてない』


 誰もいないのに、廊下の隅から既に亡くなっている父の声が聞こえた気がした。

 そんな言葉を言うはずがないのに、父の声が恭弥の胸を締め付ける。


『お前のせいで俺は死んだ』

「うるせぇ……うるせぇんだよ! 親父は死んだ! 親父はもういない! 親父の声でしゃべんな! 黙れっ!」


 耳を塞いで首を振る。必死に否定しても、頭の中に直接言葉が響いてくるので消えることはない。

 それどころかズキズキと頭が酷く痛み始める。


『お前が余計なことをしなければ』

「うるせえっ!!」


 頭を抑えながら、ずるずると床を這うようにその場から離れた。


(俺には出来ねえよっ……音楽なんて……)


 父親の部屋に入ろうとするだけで、この有様だ。こんな状態になってしまうのであれば、到底バンドなんてできっこない。

 恭弥は自室に戻り、ベッドに倒れ込むと肩で息をしながら、スマートフォンに文字を打ち込む。


『無理。バンドなんて出来ない。死んだ親父の声まで聞こえてきた。苦しい』


 心の声を打ち込んだ先はSNS。口にしない言葉を吐き出せるのはここしかない。こみ上げてくるものを出せばスッキリすると思い込んでいた。

 でも、いくら書き込んでも胸は締め付けられたまま。呼吸も元通りには戻らない。


「くそっ……」


 自分への苛立ち。現実への苛立ち。過去への苛立ち。

 何もかも嫌になって、唇を噛みしめた。


『お前のせい』

『お前が何もしなければ、俺が死ぬことはなかった』

『お前の曲が』

『お前が悪い』


 ありもしない声が恭弥を襲い続ける。いくら毛布をかぶっても、耳を塞いでも無駄な抵抗で。息をつくこともできぬまま、カチッと針が進む時計の音を耳にする。

 このまま横になっていても息苦しいまま。

 もはや、この家にいるのがよくないのではないかと思い立った恭弥は、ボサボサの髪のまま家を飛び出した。


 家に居たくなかった。

 どこか遠いところへ。家から離れたところへ。そんな意識があったせいで、駅前までやってくると人々が疲れた体を癒すために家へと向かうところだった。ぞろぞろとあふれ出てくる人混みの中をかき分けて進む。


 スーツ姿のサラリーマン。

 その手にはスマートフォン。それで楽しそうに通話をしていて、表情は明るい。

 次に、仲よさそうに話している学生たちとすれ違う。会話の内容は学校の出来事のようだった。

 ゆっくりと出てきた母親と手を繋いで歩く子供の顔は、一緒にいることで安堵したかのように見えた。


(どいつもこいつも見せつけやがって……)


 人々から顔を背けて駆け出す。何処に行こうとも考えずに、ただ闇雲に走った。

 右に左に曲がって、駅から離れるように進んで行くと、どんどん人が少なくなっていく。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 走ることは大嫌いだけど、それどころじゃ無かった。人がいるところだと、自分のみじめさを強く感じてしまう。人が少ないところだと今度はあるはずのない声が聞こえてしまう。


 走っていればどちらも感じずに済む。だから無我夢中で走り、体力が切れたところでやっと立ち止まった。久しぶりに感じた脇腹の痛みを、手で押さえながら近くのガードレールに寄りかかる。


 呼吸を整えながら空を見上げれば、カラスが一羽、赤い空を飛んでいる。周囲には老人が手押し車を押して歩いているぐらいで、他に人はいない。それに安堵したのもつかの間、立ち止まった場所が悪かった。


 すぐそこに一軒の楽器店があったのだ。住宅街の中にひっそりと建つ店。住居兼店舗としているようで、静かにたたずんでいる。だが、ガラス越しにサックスやクラリネット。そしてギターが夕陽で照らされ輝いていた。


 見たくなかった。だから違うところに行こうとした。

 頭はそう考えているのに、体がついていけない。疲労で足はガクガクと震えて動かせない。

 どうしよう。


「おい、お前……野崎だよな? 大丈夫とは言い難いみてえだし、休んでいくか?」


 拒んだ楽器店から出てきたのは、背の高い、つり目の男。誰だ、と目を細めながら確認したら、声の主は恭弥と同じく招集されていた片淵鋼太郎だった。

 180以上ある背をかがめ、顔色の悪い恭弥に声をかける。幼い子供であれば、その顔を見て恐怖を抱き声を上げそうになるが、恭弥にはその体力もない。何か声を発する力さえも。


「っ……」

「おい!」


 楽器店で休めるものか。フラフラな足で歩こうとしたが、一歩目でガクンと体が落ちていく。それを鋼太郎が軽々と受け止めたおかげで、地面と衝突することは避けられた。


「無理すんなよ。こんな細ぇんじゃすぐにぶっ倒れるだろ。中で休んでけ。食いもんもあっから」


 嫌だというように、残った力で首を横に振ったが、鋼太郎はスルーし、恭弥の腕を自分の肩にまわして楽器店へと連れていくのだった。

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