Song.2 授業

 羽宮高校の授業は一限から五限まで、しっかりと詰められている。進学校を謳うだけあって、その内容はとても濃い。


 家から近いというだけで選んだ学校。校風とか制服とか、そういうものは一切検討材料に含めなかった。

 

 それなりの偏差値が必要とされていた羽宮高校に入るには、嫌でも勉強せねばならない。もともと勉強が嫌いで、下から数えた方が早いほどの学力の恭弥は、一年間みっちりと勉強して、何とかギリギリ入学できたほどだ。


 今は。文系、理系両方の科目で赤点をギリギリ回避できるほどの成績である。赤点をとったところで、補講と再試験を受ければ問題ないのだが、学校に長居したくなかったために、ずっとギリギリの成績を維持している。


 進学校を謳うだけあり、受験でも必須になる科目は、教師たちも教えるのに熱が入る。しかし、その他の科目は比較的教師の自由で行われていた。


 その中の一つ、音楽。

 数年前までは一番好きだった科目だったが、一転して今は大嫌いになった。クラシックも、ロックも全てだ。聞くだけでも頭が痛くなるほど、体が拒絶している。


 いくら体が悲鳴をあげても、授業を受けなければならない。

 座学が基本であるが、嫌いになったものをひたすら学ぶ。それが苦痛で仕方ない。


 しかも、今年は音楽教師の篠崎しのざき実巳さねみがクラス担任になってしまった。

 日頃から顔も覚えられてしまい、嫌でも付きまとってくる音楽から逃げることができない。


 今も強制視聴させられているクラシックの曲から、できるだけ逃げるように画面から顔を背ける。


「はい、今のがベートーヴェンが作った曲だ。ベートーヴェンならみんな知ってるだろ? この部屋にも写真がある。ほら、この人」


 篠崎が映像を止め、音楽室の壁に飾られている有名音楽家の肖像画の一つを指し示す。首元に赤い布を巻いた有名なものだ。

 この人だったのかと、全員の視線がその絵に集まる。


「ジャジャジャジャーンって始まる運命とかは有名だよな。ベートーヴェンは数多くの有名な曲を作った」


 黒板にカタカタとベートーヴェンについて書いていく。今後テストに出るかもしれない内容なので、しぶしぶ恭弥はノートに同じ内容を書く。


「音楽で生計を立てていた家に生まれて、幼い頃から音楽をやるには適した環境だった。だから必然的にベートーヴェンも音楽に関わって育った。うらやましい生活にも見えたが、母親は病死、父親は酒をやめられず。色々と大変な思いをしてきたわけよ」


 つらつらと書かれる生涯の記録。

 それをメモするのにクラスメイトたちは必至になっている。でも、恭弥は聞いていくうちに、頭がひどく痛み始め、ノートをとる手が止まった。

 あいにく痛み止めは今日、持ってきていない。市販の薬を服用していたが、昨日使い切ってしまった。


 薬が無ければ、我慢するしかない。チョークの音でさえも頭痛を助長させるため、唇をかみ、嫌な汗をかきながら必死に時間が過ぎるのを待つしかない。


「そしてさらに音楽家として致命的な問題が起きる。さあ、何だと思う? はい、今、目があったから答えて」

「えー、知らなーい」

「だよねー。マニアじゃなければ知らないよねー」


 適当に指名したものの、答えを全く知らない女子生徒は笑ってごまかす。篠崎も知らないということをわかっていたようで、再び黒板に向かう。

 そして再びカツカツと鳴るチョークの音。耳を塞ぎたくなるその音に、頭を抱えてふさぎ込む。


「なんとベートーヴェンは、どんどん耳が聞こえなくなってしまっていた! 聞こえない音楽家なんて、致命的。そんな状態で音楽を続けるなんて無理。できっこない、って思うだろ? な?」


 同意を求めたのもつかの間、今度は生徒たちを見ながら真面目な顔で話し始める。


「音楽家としては致命的な障害。音が聞こえない人生。それが辛くて苦しくて、絶望して、遺書まで書いた。でも、その遺書は使われることはなかった。なぜなら! ベートーヴェンは、一人じゃなくて、多くの人に支えられたから。だから音楽家として素晴らしい曲を作ったってわけ……おっと、もうこんな時間だな。これで今日の授業は終わりにするぞー」


 時計を見た途端、ちょうど授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 この授業を終えれば、帰ることができる。やっと学校からも頭痛からも解放されるのだと思った。

 でも、その思いはすぐに打ち砕かれる。


「荷物置いたら体育館に行けよー? 今日はこのあと全校集会だからなー」


 忘れていた。

 このままホームルームを終えて帰ることができるとばかり思っていた。でも、それはどうやらできないらしい。

 クラスメイトたちが「めんどくさいね」というような話をしながら、いったん教室へ戻っていく。


「くっそ……」


 青ざめた顔で、頭を押さえながら立ち上がる。普段の生活が影響しているからか、血流が悪く立ち上がっただけでもふらついた。

 転ばないように、そして倒れないように立ち上がってからしばらく動かず、歩ける状態かどうか確認した。


 視界はチカチカするものの、歩行は可能。それを判断するのにそう時間はかからない。

 篠崎に見られていることに気づかぬまま、おぼつかない足で音楽室を出たのだった。

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